1.下市町の歴史
下市町は足羽川との合流地点の日野川左岸に位置する。背後に丹生山地が迫り足羽川の旧川道(現狐川)の合流点には漆ヶ渕があった。古くから市が開かれていたようで、金屋の上市に対して下市と称されたものと考えられる。朝倉氏の部将の屋敷跡が下市にあった。(名蹟考)
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(近世)
下市村 江戸期~明治22年の村名。越前国足羽郡のうち、福井藩領。村高は、「正保郷長」で田方93石余・畑方400石余の合計493石余、「元禄郷長」「名蹟考」「天保郷長」「旧高旧領」とも493石余。日野川と旧足羽川(現狐川)の合流点に渕ヶ淵があり、その上流は小渡と呼ばれ、対岸東下野村への渡船場であった。なお「名蹟考」では、東下野村の枝村に小渡、当村の枝村に渡と記し、川の両岸に「渡守居住」とある。神社は与須奈神社。寄品大明神とも称され、「延喜式」神名帳の足羽郡与須奈神社に比定されている。
明治4年福井県 以降足羽県、敦賀県、石川県を経て、同14年福井県に所属。明治初年小渡が分離独立。「足羽県地理誌」では田8町5反・畑16町、戸数45,人口は男107・女116の合計223名、産物には菜種・薪がある。明治11年に下市小学校開設されたが、明治14年水越小学校に統合された。明治22年東安居村の大字となる。
(近代)
下市 明治22年~昭和14年の東安居村の大字名。明治24年の幅員は東西2町余・南北2町余、戸数45人口は男99・女117、小船1。世帯数・人口は、大正9年44・218、昭和10年34・188 大正14年 福井市下市町となる。昭和30年世帯数35・人口191昭和35年角折を結ぶ日野川に二光橋が架け替えられた。
「角川日本地名大辞典」
なお、平成16年から始まった日野川改修(引き提)工事により「二光橋」が平成22年に架け替えられ、呼び名は「にこうばし」のまま、漢字を日光橋に変更された。
2.日光橋渡り初め「H22.10.17」
江戸時代から明治時代には船渡しによって川を行き来していたが、明治の河川改修により船渡しが廃止され、二光橋が架けられる。
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日光橋について
江戸時代から明治時代には船渡しによって川を行き来していたが、明治の河川改修により船渡しが廃止され、二光橋が架けられる。その後、大正3年には木橋、昭和36年にはコンクリート橋に架け替えられた。昭和36年に架橋された旧日光橋はバスが通行するにもかかわらず幅員が狭く、通学にも供されてきた日光橋付近の道路状況は劣悪であったため、改良工事が求められていた。その折、国交省が推し進めていた河川改修事業により、著しい老朽化の元にあった旧日光橋は架替えが行われることとなった。新しい日光橋は約15億円を掛けて架橋され、2010(平成22)年10月17日より供用されている。
3.集落ぐるみの取り組み(鳥獣害対策)北陸農政局「H29.3.13」
下市町自治会では鳥獣被害対策として、電気柵を山林と集落の境目に設置し、害獣の侵入を防いでいる。
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電気柵は、動物に軽い電気ショックを与えることで、田畑への侵入を防ぐ「心理柵」である。動物は一度鼻先でワイヤーを触り、電気ショックを受けると、その痛みと恐怖を学習・記憶し、それ以降は電気柵に近づかなくなる。また、電気柵は人が触れても無害で人体に危険はなく、安全性は確保されている。