当社は、平安時代中期の法令集『延喜式』に所載の越前国足羽郡十三座の一つとして「與須奈神社」に比定され、『越前国神名帳』にも「従四位 寄品明神」とみえる古社とされる。社号の訓は「ヨスノ」(『延喜式』九条家本)、「ヨスナ」(『延喜式』古田家本)とあるが、現在「ヨスナ」と称されており、国内唯一とされている。
当社は、『足羽郡誌』の引く社伝によると、元大瀬の大杉の下にあり、昔村人が下肥を福井より車に積んで社頭を通行することが屡あったという。このため、神霊がそれを忌み、ござ舟で下市に遷らせたことを、下市の市左衛門が夢の神託によって知り、驚いて下市山腹に堂を建てて奉祀したという。文化十二年(一八一五)成立の『越前国古今名蹟考』では、当時「寄品(依品)明神」と呼ばれ、「村の山上の半腹」に在ったと記されている。
また最初大瀬村に祀られたのは、御神体が川に流されていたのを大瀬村ですくい上げて奉祀したのだという。
明治四十二年六月字中山鎮座の中山神社(祭神¨大山祇命)に、宮ノ腰鎮座の薬師神社(祭神¨大己貴命・少彦名命)とともに合祀され、薬師神社と号した。同四十四年六月には、下市宮ノ下の亀山神社(祭神¨継体天皇妃、稚子媛)を合祀して、字亀山に遷座し、薬師神社のち與須奈神社(主祭神¨継体天皇)と号した。このため現祭神は五柱である。神紋は「輪宝」(八輪宝)。社宝として拝殿の絵馬二面(「源平合戦図」正徳二年(一七一二)記。「勧進帳」同四年年記)がある。
遷座とは
神殿や仏殿の改築、修理の際に、神体や仏像を他の場所に移す祭儀や儀式のこと。
遷座式には、次のような種類がある。
仮殿遷座祭
本殿から権殿へ移す祭儀
本殿遷座祭
権殿から本堂へ移す祭儀
(福井ケーブルテレビニュースより)
(福井ケーブルテレビニュースより)