花などの植物を採取しないでください。自然の中で観察しましょう。
タバコはすわないでください。おいしい空気をすいながら歩きましょう。
ゴミは必ず持ち帰りましょう。
みくりや清水からのコースは、幅広くよく整備され、コース沿いの雑木林は春から秋にかけてさまざまな花が咲き、一年を通して一番人気のスポットです。
下市町のため池からのコースは、カタクリの花の咲く中を通って行くので、春には多くの登山者で賑わいます。また途中尾根廻りコースと谷廻りコースに分岐しながらそれぞれが頂上広場へと向かっていきます。
鎌倉時代に亀山法王の勅願によって建立された弘祥護国禅寺は、明治時代まで約七百余年の時を刻み、その歴史を閉じます。現在、その跡地には同寺ゆかりの古い墓石だけがひっそりとたたずんでいます。
朝倉時代の大冶山弘祥護国禅寺の七堂伽藍を描いた想像図
故 佐々木敬蔵氏 画
静寂な自然の中で墓石の傍らに今も途切れることなく湧き出る水は、古くから病気平癒や安産の水として、地元や近隣の住民に親しまれています。
安居城は、南北朝時代の足羽七城の一つで、朝倉時代後半には朝倉氏の一族、朝倉孫三郎影健が居城していました。前方に日野・足羽川の合流地を臨み、後方に国見山系をひかえた天然の要塞であると同時に、交通の要衝の地でもありました。千六百年頃廃城となって以来、明治初年にはまだ礎石が残存していたというものの、現在はわずかに残る平坦地と「切り落し」などが当時の面影を残すのみとなっています。
安居城想像図
故 佐々木敬蔵氏 画
この下市の山腹にある寄品大明神は、元は大瀬町の大杉の下にあったそうです。その昔、このあたりの村人が福井の下肥を荷車に積んで神社前を頻繁に通行していました。大明神はこれを忌まわしく思い、御座船で下市にお移りになりました。下市の市左衛門というものが夢のお告げで之を知り、大変驚いて下市山に堂を建て、大明神を安置 [延享4年(1748年)]したのが、ここにある石祠です。のちに下市村社の薬師神社と合祀されて現在下市町にある与須奈神社となったと云われています。