シーン427『恩師とライバルと』 小菅 信吾
2025.11.28
久しぶりにコラムを書きながら、ふと思う。
得手不得手はさておき、文章を読み書きすることが嫌いではない。
十分な読解力は身についていないかもしれないけれど、
なかなか思うように綴れないかもしれないけれど、
きっと好きなのだと思う。
それには、小学生時代の経験が大きな影響を与えていることは間違いない。
圧倒的な要因のひとつは、小学校時代の恩師の存在だ。
小学4年生から6年生までの3年間担任をしてくれた先生。
その先生の国語の授業は、とても楽しく学び甲斐を感じられるものだった。
主語に述語、主部に述部、修飾語や接続語、そして文節やその結びつき等々、文の成り立ちや読み取り方を丁寧に指導してもらった。
そんな授業が、読むことの楽しさを教えてくれた。
また、国語の授業とは別に、担任だったその先生からは、日記を書いて提出するという宿題が毎日出されていた。
配られた縦罫の黄色いキャンパスノートに、ほぼ毎日書いていた。
1冊書き終え次の新しいノートに移る度に、どこか達成感を感じていた。
その日記に対し赤ペンで書き込まれる、まるで手紙への返事のような先生の感想を読むのが好きだった。
そんな宿題が、書くことの楽しさを教えてくれた。
もうひとつの要因は、同級生の存在だ。
あの先生の授業を同じ教室で一緒に受けていた、頑張り屋な優等生タイプの同級生。
勝手にライバルだと感じていた。
自分は大して頑張りもしないくせに「負けたくない」なんて思っていた。
前出のノート、その同級生が○冊目に入ったなどと聞くと、自分も追いつきたくて沢山書いていた。
いつしか互いに競い合っていた。切磋琢磨と呼べるなら嬉しい限り。
そして、兎にも角にもそれが楽しかった。
今思えば、負けたくないからではなく、あいつに認めてほしかったのだろう。
そんな想いが、文章を書くという経験を積ませてくれた。
40年が経つというのに色褪せないそんな思い出は、
大切な原体験として気付けばとても大きな財産となり、
今も読み書きを楽しんでいる。
果たしてこのコラム、先生は赤ペンでどんな返事を書いてくれるのだろう。