シーン401『うさぎとかめ』 宮野 圭輔
2021.10.19
僕が小学生の時、クラスのお楽しみ会で、絵本を元に劇をすることになりました。演目は、「うさぎとかめ」。
僕は、かめの役でした。
練習して、セリフもばっちり覚えて、本番当日、事件が起きました。
ナレーター役の子が、ナレーションをするのに読むはずだった絵本を家に忘れてしまったのです。
そこで、グループで話し合って、図書室で代わりの「うさぎとかめ」の絵本を急遽借りてきて、それを使って劇をしよう、というアイデアが出ました。
そして、役者はセリフを新しく覚える時間がないから、手にカンペをつけてそれを見ながらやればいい、ということになりました。
僕は反対しました。
それでは今まで練習してきた意味がないし、見た目にもかっこ悪い、と思ったのです。(そもそも、自分はセリフを覚えているのに、ナレーターは本を見ながらやれば良いから覚えなくてもいい、と考えていたことや、その上で本を家に忘れてきた、ということも気に食わなかったのです。)
「せっかくセリフを覚えたのだから、役者は前の絵本のとおりにやって、ナレーターだけ新しい絵本でやれば良いんじゃないか。紙を見ながらやるなら、僕は出たくないよ。」と言ったのですが、周りの友達からは、「それぞれの絵本で細かい部分が違うから、それはできないよ。出たくないなら他の子にやってもらうから良いよ。」と言われてしまいました。
結局、僕はどうしても納得がいかず、劇に出ませんでした。
かめの役は、他の友達が一生懸命やっていて、それを複雑な気持ちでみていました。
担任の先生は、その騒動については終始なにも言わず、不貞腐れる自分の隣で笑って一緒に劇を見てくれました。
大人になった今考えると、それぞれにもうちょっとうまいやり方があったのかなぁと思うのですが、まだ子どもだったので、どうにも折り合いがつかなかったのです。
なんとか劇をやらなくてはと考えた周りの友だちも、自分の納得のいく形でないとやりたくなかった僕も。
最近、ふと、そんなことがあったなぁと思い出した、子どもの頃の出来事です。