シーン422『人間諦めも肝心』 野口 直暉
人間だれしも「何かを諦める瞬間」というのは、あるかと思います。
例えば簡単なことで言うと、「走れば一本早い電車に乗れるかもしれない、だけど少し走ったら息が上がってきたので諦めて次の電車に乗る」、「明日の試験に向けて徹夜で勉強しないといけない、けど眠気には勝てないので寝てしまおう(明日起きてやる気はある)」。仕事の場では「妥協」という言葉に変えられていますが、これも対立する事柄や人の双方、またはお互いが譲り合って(何かを諦めて)1つの解決に向かうものです。
大小さまざまな内容と理由で誰もが諦めというものを経験していると思います。ことを大きくして言えば、この世の中も「With コロナ」という世の中自体もある意味新型ウイルスに対する諦めがあると思います。
自粛ばかりじゃ、何もできませんもの。がんがん経済回していこう!!
自分ももちろん、あらゆる場面で諦めや妥協をしてきています。ただ、これまでの自分はどちらかと言うと、諦めの悪い方の人間でした。「自分が何かもう少し頑張れば解決できる」「まだ何かできることが絶対ある」そう思っては、時には考えすぎだと思われることにまでおよび頭を抱えたりもしました。
しかし、ここ半年くらいであらゆること(私生活、人間関係 等)、ある程度までで諦めるようになりました。それはことによっては、悪い方に繋がってしまうかもしれませんが、まあそれも仕方ないでしょう。(諦め)
諦めずに挑み続けることは悪いことではありませんが、それだけに捕らわれすぎると効率も悪なりますし、一度見切りをつけるなどして別のことに取り組んだり、時間を空けるなどした方が楽しいし効率的かな、と思っております。「逃げるは恥だが役に立つ」なんてドラマもありましたね。あれって何年前だ?…(検索中)…2016年……(思考中)……8年前!?!?時代の流れは速いですね……。
ただし、私は演劇をやることにおいては、公演が終わるまで諦め・妥協はなるべくゼロにしたいと思っています。役者だったり、効果(照明・音響)だったり、受付だったり、立場は違えど行動や物が、すべてが観に来るお客さんのもとに届きます。そこに妥協は含ませたくない。いかに舞台を面白くできるか、いかに楽しい、面白い劇を観てもらえるか、公演日までいや、終演するまで考え、あがき続けます。
やはり私は、諦めの悪い人間のようです。