劇団員コラム

シーン409『玉子焼きの思い出』 沢村 希利子

 朝、お弁当用の玉子焼きを作っている時、ふと思い出します。

 私が子供の頃、母は玉子焼きを作れなかったな、と。


 玉子焼きを作れない母の玉子焼きは、焦げた薄く平たい甘い玉子を無理やり丸めたものでした。

 遠足や運動会など、お弁当には必ずそれが入っていて。

 それはそれで嫌いではけれど、友達のお弁当に入っている厚焼き玉子は、子供の頃の私には憧れでした。


 いつ頃からか、「あの玉子焼きは買うもので、うちは貧乏だから買ってもらえないんだ」と思い込むようになっていましたが、さすがに成長するにつれて、作るものだということに気付いてきます。


 そして中学生くらいだったでしょうか、お弁当のおかずに厚焼き玉子をリクエストした私に母は言いました。

 「あれは玉子焼き用の四角いフライパンがないとできないんだよ」

 

 それで、頭の悪い私はまんまと信じてしまったわけです。

 その後成人した私は、アルバイト先のパートさんに「玉子焼きなら普通の丸いフライパンで作れるわよ」と言われ、衝撃を受けました。

 そのパートさんに作り方を教わり、自宅で小さめの丸いフライパンで試したところ、いともあっさり玉子焼きができてしまい、再びの衝撃。

 これまでの20年は一体何だったのか。

 

 そして母にも作り方を教え、母は玉子焼きを作れるようになりました。

 私が実家を出た今も、母は元気に玉子焼きを作っています。

 我が家の玉子焼きの味は母の味ではなく私の味、いやむしろあのパートさんの味。

 

 あの薄い焦げた謎の玉子焼きは、今はもう作られることはありません。

 ですが時々なんとなく恋しくなります。

 きっとそれこそが、母の味だったんでしょうね。