劇団員コラム

シーン393パラレルワールド』 星野 愛実

並行世界、平行時空。

すなわち、「パラレルワールド」

私たちが生きる世界と同じ次元に、別の世界線が存在しているのではないかと、論理物理学の分野でも語られている。

私もその存在を肯定したい。

きっとどこかに、違う道を歩む自分がいるのではないかと。

そしてその可能性は、何百、何千通りとあるだろう。

それでも私たちは、今生きているひとつの世界しか知ることができない。


あの時こうしておけばよかった。

これは、誰もが一度は思ったことがあるだろう。

例えば、寝坊をして仕事に遅刻してしまった。

あの時、二度寝しなければ、そもそも前日に夜更かししなければ寝坊しなかったのに…と、自分の行動を悔いるだろう。

しかし、いつもと同じ時間に出ていたら、事故に巻き込まれたかも知れない。

仕事への遅刻の比にならない、最悪な事態が起こってた可能性も考えられる。

それどころか、今日寝坊をしたことが、幸運の始まりだということも有り得ない話ではない。

例えば、道中で捨て猫と出会い、新たな家族になったとか。

いつもと同じ時間に家を出ていたら、出会っていなかったかもしれない。

それなら、後悔どころか、寝坊をして良かったと思うことだろう。


寝坊するかしないか、たった2通りの小さな選択肢でも、未来は大きく変わる。

そして、それを知ることが出来るのは、たった一つの結果。

もうひとつを選択していた場合の世界線はどうなっていたか、知る由もない。


こうして、シブパの一員としてコラムを描いている今も、奇跡を噛み締めている。

何か一つでもズレていたら、私は今、これを書いていないだろう。

シブパと出会わなかった世界線の自分は、どうなっていたか分からない。

けれど、出会う時に出会うべく人と出会い、導かれるかのように巡り会った。

どう足掻いても、巡り巡って、いつかは此の場所辿り着く運命だったのでは?と考えている。


大きな失敗も、後悔も、災難も、本当に悪いことだとも限らない。

失敗していなかったら、もっと大きな災難が降りかかったかもしれない。

また、災難があったおかげで、巡り巡って幸が訪れるということもあるかもしれない。

人間万事塞翁が馬。


過去を悔いても時は戻らないし、今に感謝して生きるべきだ

…なんて、そんな綺麗事を言うつもりはない。

やはり、ひとつの世界線しか知ることが出来ない以上、過去は悔いてしまうもの。

ただ、無限に存在する可能性の中で、選択を続けて此処にたどり着いた。

数々の失敗や後悔を含め、何かひとつでも自分の行動が違っていたら今の自分は居ない。

今繋がっている人たちとの出会いもなかっただろう。


結局のところ、何が言いたいのかをまとめると、

今の自分が在ること、それは本当に奇跡なんだなぁ、、、ということです。ただの独り言です。

文章になるとお喋りなもので。

深掘りしすぎて長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!


さて、これを読み終わった貴方は何をしますか?

たったそれだけのことでも、沢山の選択肢があり、その選択によって未来が大きく変わるかもしれません。

私たちは、いつでも選択を迫られる。

そして、それには、″無限の可能性”が広がっている。

それこそが”パラレルワールド”