劇団員コラム
シーン380『麦秋の中で』 しんご
あれは群馬県で初めての緊急事態宣言が解除された日、去年五月の夕方のこと。
迫るコロナ騒動への対応に疲弊気味だった休日、用事を済ませた帰り道にふと思い立ち、母校である小学校方面へ車を走らせました。
母校は田園に囲まれており、この季節は一面に麦畑が広がっているはず。
気分転換がてら、夕陽を浴びる麦秋の景色を写真に収めたくなったのでした。
もともと写真作品の鑑賞はもちろん、撮るのも好きでした。
カメラや写真についての知識なんてない全くの素人なのですが、2年前に「ガラケー」から「スマホ」へ切り替えてからは、その手軽さに撮る機会が増えていました。
景色や花、そして稽古風景などをちょこちょこと撮って楽しむようになっていました。
母校近くの公園に車を停めて田んぼ道へ向かうと、すでに若い女性が一人、立派なカメラを構えていました。
ちょっと羨ましく感じながら、やや離れた場所でスマホを出しました。
浅間山や榛名山のシルエットを遠景に、夕焼け色に染まる見事な景色が広がっていました。
ひとしきり写真を撮り公園へ戻ろうとした時、先客の女性と目が合いました。
「きれいな景色ですね」と、思わず立ち話が始まりました。
気さくに話してくれた彼女は、住まいが公園の近くにあるらしく、聞けば小学校の後輩でした。もっとも、一回り以上歳は離れていたのですが。
小学校の思い出話に花を咲かせたのち、撮った写真を見せてもらいました。
写真が趣味で時間があると撮影へ出掛けるという彼女の作品は、とても魅力的で素敵なものでした。黄金色に染まりたゆたう麦穂の姿は優しく柔らかく、同じ場所から撮ったとは思えない素晴らしい景色が写し出されていました。
ほんのひと時ではありましたが、喜びや活力を伴う高揚を与えてくれる贅沢な時間となりました。
それは、気付けていなかった新たな見方や魅力、可能性を教えられたから。
それは、そんな力を持つ作品が生み出されるまさにその場に立ち会えたから。
そして、そんな力を生み出す人の尊さに触れられたから。
あの日、疲れを凌ぐほどの高揚をもたらしてくれたのは、彼女の作品であり、場や時間の共有であり、人であり、それらを含めた出会いそのものだったのでしょう。
そんな出会いを与え得る力をやはり羨ましく思うのですが、けれど嬉しいことに、それに代わるかもしれないものを、彼女にとっての「写真」に値するかもしれないものを、私は知っています。
ならば、たゆたうことなく歩を進めて行こうと思うのです。
コロナ禍の、その先へ向かって。