シーン376『令和元年 公演No.2『今度は愛妻家』公演後記【その1】』 森田 リョウジ
2020.1.14
令和元年二つ目の公演は、12月に公演した『今度は愛妻家』です。
2002年にサードステージの舞台として世に出た本作は、2009年に豊川悦司×薬師丸ひろ子の両氏によって映画化されたことでも話題になりました。シブパの公演を観に来て下さったお客様の中には、映画版をご覧になったことがあった方も多かったようです。舞台と映画は、ストーリーの大筋は同じなのですが、結婚して6年目か10年目か、年齢設定の違い、あるいは、一人二役の見せ方をしていないなどの台本上のポイントが少しずつ異なっています。いずれの台本も非常に魅力的なものに仕上がっている、とても人を惹きつける力のある作品と言えるでしょう。例によって、今回も作品の内容ではなく、私の個人的な想いのみをお伝えしたいと思います。
2002年の初演の際、私はシブパでは客演の常連である橋本大介氏と一緒に観劇に行きました。また、別のタイミングでシブパ団員の小菅氏と瀬山氏も観劇に行っていました。作品がとても面白く、感動的であったため、当然のように小菅・瀬山・森田の三人の共通の想いとして、「『今度は愛妻家』をいつかやりたい」「演出:小菅、北見役:森田、さくら役:瀬山」というものが生まれ、溢れるようになりました。ですが、当時の劇団事情として、団員はほぼ20代でこういった大人の作品はどうしても表面をなぞるだけの作品になり兼ねず、面白さも厚みも出ないだろうという意見が主流で、「団員が30代になったらやろう」という結論に落ち着きました。
しかしいざ、団員が30代になった頃、先に述べた映画が公開となりました。その影響かどうかははっきりとはわかりませんが、作者の中谷まゆみさん(あるいはサードステージ)から上演許可は降りなくなりました。私は本当に後悔しました。その意味で本作は、「『やりたい』と思ったことはその時にやらないと過ぎ去ってしまう」ということを直接的に教えてくれた作品にもなりました。
時は流れ、2018年になったある日、他県の複数の劇団さんが立て続けに『今度は愛妻家』を上演しているという噂を聞きました。映画化から10年が経ち、改めて上演許可を出すようになったのだろうという想像ができました。私は喜び勇み、上演予定の1年近く前から上演許可申請を行いました。小菅・瀬山の両氏も、喜んでくれました。「やった! これでできるねっ!」と。
…ですが、現実はそうはうまくいきません。瀬山和美は休団しました。小菅信吾は「瀬山の休団を聞いた時、俺は『瀬山とりょーじで創りたかったんだ』って気づいたよ」とつぶやき、演出を辞退しました。私は打ちひしがれました。同じ作品で二度も「『やりたい』と思ったことはその時にやらないと過ぎ去ってしまう」ということを教わるとは思ってもみませんでした。
すでにシャンテ演劇館に参加することが決定しており、日程も決まっていた中、演出と主演を変えることにならざるを得なくなった状況が生まれました。上演作品を変えることも頭をよぎりました。ですが、私は演目の変更はしませんでした。上記の三者で行うことは「あの頃の」ベストだったのでしょうが、私は「今の」ベストを尽くすことに想いをシフトさせることにしたのでした。
<続く>