劇団員コラム

シーン375令和元年 公演No.1『魔女の夜』公演後記』 森田 リョウジ

 平成から令和へと元号が代わった2019年、劇団シブパは2本の公演を行うことができました。6月の『魔女の夜』、12月の『今度は愛妻家』と行いましたので、いつもながら公演の事を少し振り返っておこうと思います。普段であれば、6月公演の直後に振り返っておきたかったのですが、今回は公演を行うという形では参加しなかったものの、10月に開催された「第2回 まーや演劇祭」の運営に携わっていた関係もあり、Webの更新が遅れてしまいました。更新を心待ちにしていた奇特な方がもしいらっしゃるとすれば、申し訳ありませんでした。


 さて。6月公演『魔女の夜』が終演し、早6ヶ月が経ちました。ご覧いただいた方にはお分かりいただけると思うのですが、演出としてこのお芝居には「シンプル」を求めました(ご覧いただけなかった皆様は、「主宰より」のページ「その20」をご覧ください)。なかなかどうして観客の皆様にとっては、観ることに疲れる仕上がりになったのではないかと思います。それが善いことか、そうでもないことか、悪いことか、嫌なことか。その辺の解釈は皆様に委ねることにして、今回のコラムではただただ私の「想い」のみをぶちまけたいと思います。


 私がまだうぶな青年だった20年ほど前、群馬県にも渋めの、いわゆるアングラとでも言われるような作品を創る劇団さんが多くありました。観ていて「これは本当に面白いのか?」と思ってしまうような。けれども、いつまでも頭に残っているような。ただただ繊細で、役者の呼吸音さえ聞こえてきそうな異質な空間で。一挙手一投足が、練りに練られていて。だからこそ、自分の好みとは違うのだけれども、尊敬できて、愛おしくて。そんな「面白さを見つけにいかないと、面白さがわからない」作品たちが溢れていました。

 20年経った今、インターネットやSNSの発展に伴い、エンターテイメントの在り方は大きく変わりました。動画配信サービスがテレビを越えて、最大のエンターテインメントになるなんて、当時は9割以上の人々が想像しえなかったのではないでしょうか。この時代に「演劇」というマイナーカルチャーが生き残っていくのは、本当に大変なのだろうと感じています。You-tubeを中心に溢れている昨今のバラエティ映像の多くは、一見して視聴者の興味を引き付けるように工夫されています。映像と合わせて文字がテロップとして出ていることは当たり前で、目に強い刺激が与えられる映像効果がふんだんに使われています。一度見たことがある映像の関連映像や情報がメニュー画面には表示され、必要最低限の検索で「あなたへのオススメ動画」が自動で紹介されます。これらの結果として、視聴者の能動性はそこまで必要なくなり、受動的でもエンターテインメントが溢れている環境ができあがりました。「面白さを見つけにいかないと、面白さがわからない」エンタメは、真っ先にオワコン(終わっているコンテンツ)というレッテルを貼られたり、マイナーカルチャーとして扱われたりするようになってしまいました。この流れは演劇界にも同じように影響を与えており、ミュージカルやインプロビゼーション(≒即興劇)が流行っているのも、実はここに起因しているのではないかと個人的に疑っています。誤解を恐れずに言うならば、「手っ取り早く、わかりやすい」ことを人々は求めている、いや、求めすぎている。すみません。ちょっと過激な表現だとは思います。もちろん好みはありますから、全部が全部そうではないんです。でも。それでも、そういうことだと思うのです。

 エンタメはそういったわかりやすいものだけではないはずなんです。ゆっくりとした時間の中で、じっくりと鑑賞を楽しんだり考えたり、作品についての解釈を考えたり語り合ったりすることも、大事なエンタメであり、エンタメの愉しみ方だと思うのです。むしろ、本当の上質な作品は「面白さを見つけにいかないと、面白さがわからない」ものの中にこそ、潜んでいると思うのです。


 今回の『魔女の夜』の演出は、女優に挙動の一つひとつを指示しました。指の振れ、瞬き、呼吸…、その動作一つひとつには、そう動かすはずの理由があり、理由がわからない動作はしないでくれ、と。60分間、全ての所作には意味があるわけですから、お客さんはその意味を見出したり見逃したりしないために真剣にならざるを得ません。結果、演じ手も観手も、非常に疲れる60分になったと思います。エンタメは、演劇は、コメディだけではないんです。こんな時代だからこそ、そんな芝居をする団体が、あるいは演出が、身近にあっていいのだと思い、取り組ませていただきました。


 観るのが疲れる芝居。「面白さを見つけにいかないと、面白さがわからない」芝居。

 本物の上質な芝居を目指して、いつかまたどこかで創ってみたいものです。

 時代の流れに抗いながら。自分の、自分たちの表現したいものを信じながら。