劇団員コラム
シーン357『お弁当の思い出』 沢村 希利子
まだ「キャラ弁」という言葉がなかった子供の頃、母が海苔を切り貼りして顔を描いて作ってくれたおにぎりが自慢でした。
それはまだ就学前のことですが、友達と分けて食べたことを覚えています。
しかし、母の料理の腕や彩りなどのセンスは、やや残念なものでした。
小学校に入学し、運動会や遠足などの行事を重ねるうちにふと思うのです。
「みんなのお弁当は厚焼き玉子が入ってていいなあ」
卵焼きはお弁当の定番ですから、もちろん私のお弁当にも入ってはいました。
焦げた平べったい卵の生地を、無理矢理折り畳んで巻いたものが。
母は卵焼きが作れなかったのです。
みんなのお弁当に入っている卵焼きはお店で買うものだと、小学生くらいの時まで本気で信じていました。
その後高校生になると、毎日お弁当を持っていくことになるのですが、そこで母の奇妙なセンスは発揮されます。
おかずの大きさとお弁当箱の大きさを全く無視した詰め込み方が、日々私を驚かせてくれました。
ゆで玉子やおでんのちくわなどが無理矢理押し込まれ、ぎっちりとプレスされていたわけです。
時には焼き魚がお弁当箱の形に沿って折り畳まれていました。
絶対切った方が楽だったと思います。
クラスの友人たちに、私のお弁当は「まるごとシリーズ」と呼ばれていました。
今、毎日自分のお弁当を作って仕事に行く日々を過ごす中で、母の有り難みを感じるとともに、あの焦げた平べったい卵焼きが恋しくなることがあります。
あれは母にしか作れない味なので、それはそれで技ということになるのでしょう。
幸か不幸か、母は今卵焼きを作れるようになってしまったので、あの味はもう食べることができないのですが。