劇団員コラム

シーン305『公演後記:ドラマを創るというドラマ』  森田 リョウジ

 劇団シブパ第22回公演『けれどスクリーンいっぱいの星』が終了しました。

 ご来場いただいた皆さま、ご来場いただけなかったけれども気にかけていただいた皆さま、関係していただいた皆さま、本当にありがとうございました。

 ご記入いただいたアンケートは、今後の参考とさせていただきます。


 さて。

 当然のことながら、公演を行うごとに思い出は増えていきます。今回の作品は稽古期間も長かった(シブパは通常4~8か月で公演に向けた稽古をしますが、今回は10か月稽古しました…)ので、その分ある種の伝説のような経験(?)も増えていきます。各団員に起こった事柄は、各団員が書きたいかもしれないので割愛し、ここでは自分の作品に対する思いの一端と、自分に起こった事柄について、少しだけ書こうと思います。


 『けれどスクリーンいっぱいの星』(以下、『けれスク』)は、高橋いさをさんによっておよそ30年前に書かれた戯曲で、その内容から毎年多くの劇団や演劇部が、30年経った今もなお上演する作品です。実際、劇団員の赤石さんや男2'を演じていただいた前山さん、照明を担当していただいた新井さんは、過去に参加していたそれぞれの団体で公演した経験があります。それほどまでに、演劇界(?)ではメジャーと言ってよい作品でしょう。

 一方で、多くの劇団が上演する割に、この作品を上演することの難易度は「高め」だと思います。私の演出させていただくときの作品選びの基本的なスタンスは、「4~6人の芝居であること」なのですが、『けれスク』は10人のお芝居。もうそれだけ未知の世界です。

 そんな「難易度高め」「未知の世界」であるはずの『けれスク』に立ち向かおうと決意することができた主たる理由は、他ならぬ劇団前主宰の赤石マサエの存在があったからです。


 彼女は劇団発足当初から常々「いつか『けれスク』やりたいよね」と言っていました。劇団内で演出をさせてもらっている私や小菅さんは、「やりたい作品リスト」のようなものを持っていて、やりたいと思う作品は年々増えていくのですが、赤石さんはそういうタイプではなく、ずっと「やりたい」と言い続けている作品はそうそうありません。そんな彼女が「いつかやりたい」と言い続けているということは、それほどまでに思い入れのある作品なのだろうな、と感じていました。

 しかし私は、これまでの経験から「いつかやりたい」の「いつか」という未来は、ひどく曖昧で、口で言っているだけでは絶対に到達できない未来であるということも、感覚的に理解していました。劇団員の9割が30歳を超え、劇団全体としての体力はこれからますます落ちていきます。そんな我々にとって『けれスク』をやる「いつか」とは、今しかないのではないかと思ったのです。おそらく体力的に1年後ではもう厳しい。そんな危機感が、第22回公演作品の選定の引き金となりました。


 …う~む。

 ここまで書いたのはよいが、こりゃ相当長くなりそうだ…。

 と、いうことで。今回はここまで。まさかの「to be continued」です…。