劇団員コラム
シーン235『想像するということ』 沢村 希利子
思春期の少年少女が現実ではありえないことを妄想し、自身をそのファンタジーの 登場人物として妄想を膨らませていくことを、ネット用語で「中二病」と呼ぶそうです。
大人になって振り返ってみると赤面してしまうような幼い妄想や行動に対する皮肉なのでしょうが、そんな現象があることに私は少し安心しました。
他者とのコミュニケーション能力がたびたび問題視されている現代の子供たちも、想像する力をちゃんと持っているということなのですから。
インターネットが普及し、考えるよりも早く知識が得られるようになった現代。
CGは進化し、テレビやパソコンのモニター映像は鮮やかになり、映画、ドラマ、 漫画、小説、音楽……あらゆるメディアがより新しいもの、より面白いものを打ち出し、想像するより早く与えられる現代において、それでも子供たちは想像する力を 失っていないのです。
私たちが思春期の頃に読んでいたような、少年少女向けの小説はいまやライトノベルと名を変え今の時代でも続いています。
最初から与えられる情報の質や量が変わっても、人の根源にある想像力は同じなのでしょう。
問題はむしろ、大人たちにあるのではないかと思います。
いつの時代もファンタジーの決まり文句のように、「大人になると見えなくなる」という設定があります。
30代も半ばを迎えた今、私にはなんとなくその意味がわかるような気がするのです。
年齢が上がるにつれ責任が増え、見なければならないこと、考えなければならないこと、やらなければならないことが増えました。
同時に、自身の情報量も増え、考えなくても楽しみがいくらでも見つかるようになりました。
ふと気がつくと、幼い頃常に共にあったファンタジーは、文字通り「見えなく」なっていました。
ミステリー作家の赤川次郎氏は、その著書「イマジネーション」の中で、想像力の大切さを 説いています。
「イマジネーション」という作品は、赤川氏が全国の大学などで行った講演の内容を本にした エッセイであり、その生い立ちや赤川流小説の書き方から始まり、社会情勢や歴史について語られ、果てにははるか昔ヨーロッパで行われていたい拷問にまで話は及びます。
なぜ「想像力」をテーマにしたこの講演の中で、そこまで話が広がるのか。
想像力とはつまり、世界のこと、相手のことを自分の身に置き換えて考える力のことであると赤川氏は訴えます。
いつの時代も子どもたちに壮大なファンタジーを考える力があるのであれば、人の痛みを考える力も本来は持っているはずなのです。
時代が移り変わるごとに情報の速さや量、娯楽の幅が広がり、他者とのコミュニケーションすらスピードや手軽さが目立っているこの時代。
大人になるにつれファンタジーとともに他の大切なものも見えなくなってしまう人が年々増えている気がします。
今だからこそ、大人である私たちが他者とのコミュニケーションや娯楽、日々の生活などを丁寧に行い、相手のことを自分の身に置き換えるということについて振り返る必要があるのでは ないでしょうか。
そしてその想像力をどう使うのか、多くの大人たちが次の世代に伝えていけるようになって頂きたいと思います。
(参考「イマジネーション ―今、もっとも必要なもの―」赤川次郎 2007年、光文社文庫)