劇団員コラム

シーン231『某怪獣王』 宮野 圭輔

 先日、某怪獣王のハリウッド版を、映画館で観てきました。もともと、ハリウッド版をもう一度作るらしいという話を数年前に聞いた時、きっと企画だけで実現しないだろうなあと思っていました。その後も、あまり続報がなく、時々流れてくる情報は、監督がころころ変わっているらしいという前向きでないものばかり。そもそも前作、98年のハリウッド版があまり納得のいく出来ではなかったので、今回のものも全く期待していませんでした。


 ところが、主役のデザインが日本版に近いデザインらしいとか、監督が日本版のファンらしいとか、段々と前向きな情報が流れてきて、期待が高まっていきました。さらに嬉しいことに、日本での公開が近づくにつれて日本版のものを特集したテレビ番組が放送されたり、本が数冊出版されたり、古い作品がリバイバル上映されたりしました。日本の制作が終了してから、ここ数年全く姿を見ることがなかったため、またメディアで取り上げられる機会が増えたことで、自分の中で熱が高まっていきました。


 そして、25日(金)、同じ趣味の友人二人と一緒に、映画館へ行きました。いろいろと不満なところもあったのですが、概ね満足のいく内容だったと思います。主役が登場し、大きく咆哮をあげるシーンは、「ああ、怪獣王がついにスクリーンに帰ってきたんだ!」と、心が震えました。登場するまで、足や背びれを映すのみで、全体像をなかなか映さない手法は、日本版の初代への愛を感じましたし、ここぞという時に吐く放射火炎も、かっこよかったです。なにより、最後は海に帰っていくというところが、良かったです。


 大きな不満点としては、全体として人間のシーンが長く、怪獣の登場するシーンが短かったところです。日本の特撮映画は、怪獣が主役で、人間の動きはあくまでもおまけのような扱いなことが多いのですが、今回の映画は「怪獣が現れた時、人はどうするのか」という人間ドラマで、人間が中心、怪獣はそれを引き立たせるための添え物といった印象でした。これは、怪獣が見たくて怪獣映画を見るものとしては、少々残念ですが、日本とアメリカの根本的な考え方の違いで、どうしようもないことなのかもしれません。


 今回、ハリウッド版が公開されたことで、日本での熱も高まって再び新作が作成されることを切に願っています。私個人としては、日本版の第一作が制作されたきっかけが核に対する警告であったように、核の恐怖が再び日本で膨らんでいる今こそ、新作を作るべきなのだと思うのですが、実際に避難を余儀なくされている方、被害にあわれた方のことを考えると、軽率に扱うには非常に難しいテーマなのだと思います。


 今作のハリウッド版は、続編が予定されているそうです。 いつか日本で再び作られる日を夢見ながら、ハリウッド版を楽しみたいと思います。