劇団員コラム

シーン187『映画×ドラマ×演劇×脚本×原作』 りょーじ

 今回、劇団シブパ第17回公演『木曜組曲』の演出 兼 脚本を担当させていただいております森田です。原作のテイストを生かしながら、かつ、芝居にしかできない表現に挑戦しているつもりです。


 第11回公演『約三十の嘘』もそうだったのですが、本作もまた映画化された作品です。ただし、『約三十の嘘』と『木曜組曲』はその原作の在り方が違います。『約三十の嘘』はもともと土田英生氏がご自身の劇団の公演台本として 書き上げたものであり、作品化の道筋としては、「原作(戯曲)→ 演劇→ 映画脚本→ 映画」という流れかと思われます。一方、『木曜組曲』は「原作(小説)→ 映画脚本→ 映画」という流れでしょうか。『約三十の嘘』は、そもそも演劇用に書かれたものですので、シブパでの公演もこの原作戯曲から創り上げました。

 『木曜組曲』の場合、原作が小説ですから、それを公演用に脚本として起こす作業は、非常に骨が折れました。それでも、恩田さん自身が小説のあとがきに書かれているように、この小説それ自体の設定は、非常に「演劇向き」だと思うのです。


 で。こんな風に映像作品を文章で読む あるいは 書く、ということに着目するようになると、映像作品に対して新たな見方ができるようになりました。

 『木曜組曲』のように小説が原作のものを90~120分の映画や演劇の作品にしようとすると、びっくりするほど内容をカットしなければ収まり切りません。「設定を生かしながらおいしいところをとる」という作業が求められるのです。どこを生かし、どこをカットするかで脚本家の腕が問われます。

 逆に、テレビで毎晩流れている連ドラは、内容やエピソードをごっそりたさなければ、全10話だの12話だの作品には絶対になりません。ドラマのエンドロールの「原作」の欄、たまに見てみてください。先日までやっていた月9ドラマの原作、全然関係のない本が原作として挙げられており、設定だけ置き換えていた回もありました。映画でいうと「ダイ○ード3」。あれってもともと、原作はダ○ハードシリーズとは 全然関係のない作品らしいですよ。

 一方、NHKさんがよくやっている前・後編の特別ドラマ(合計4時間とか)や新春5時間スペシャルドラマなどは、割と原作小説の内容をそのままに脚本化できるように思われます。


 そんなこんなで、作品創りについて、また一つ多角的な視点を持つことができるようになった(?)りょーじでした。「小説版」や「映画版」の『木曜組曲』をご存知の皆さんは、ぜひ劇場に「森田亮二版」との違いを観に来てくださいね。