劇団員コラム
シーン175『表に出よう!』 しんご
物事の「事実」
それについて発信される「情報」
それを受信しての「認識」
それぞれが何故か異なることの多い、この情報過多の昨今。
それは様々な弊害を引き起こしているように感じられます。
「人の輪郭は、その人を取り巻くものたちによって形成される。」
という話を聞いたことがありますが、要不要に関わらず入ってくる情報に溺れてしまうと、自分を取り巻くものたちが見えなくなり、自己の在り方そのものに自信が無くなり、不安に苛まれ、やがては、自分の存在価値を見失い、自己否定に陥ってしまう…。
そういった人が非常に多く見られるように感じます。
そんな時、溺れさせた情報過多を逆手に取り、その中から、人は無意識のうちに縋るような拠り所を見出し、自らを救済しようとするのかもしれません。
その対象となるものは多種多様ですが、それは過剰なまでの依存となり、依存していることで自己実現が成るような錯覚を起こさせるようです。
まるで、そこに生きる意味を見出せたかのように。
しかし、時が経つと、それが幻影・幻想であったこと気付くのです。あるいは、拠り所だと思っていたものが、どうにも逃れられないシガラミと化していることに気付くのです。
自分を取り巻くものたちの形を自分に都合のいいように捉え続けることは、ただ己の内に閉じ篭もることに似て、結果、自分以外のものと有効な繋がりを築くことが出来なくなるのです。当然、そこに救済など在りはしないことでしょう。
やはり、人間は独りでは生きていけないのだと思います。
他者と繋がり合うことでこそ存在価値が生まれ、自分が信じるのものたちとの繋がりの中にこそ生きる意味や救済が存在するのだと思うのです。
依存することと信じることは紙一重なのかもしれませんが、明らかに異なります。
依存は無責任ですが、信じることはそれを選んだ自らに責任を持つことですから。
自分を取り巻くものたちと、依存せず依存されず、けれど互いに信じ必要とし合いながら在り続けたいと思います。
繋がれることなく、繋がっていきたいと思います。
シガラミではなく、本当の意味での“絆”として。
劇団シブパ第16回公演 『表に出ろいっ!』に足をお運びいただいた皆様、 誠にありがとうございました。
“私”の輪郭の大きな部分を形成する仲間たちと共に創り上げた舞台、いかがだったでしょうか?
私にとっての「事実」と、あなたにとっての「認識」が、少しでも重なり合えたなら、こんなに嬉しいことはありません。