劇団員コラム

シーン159『変化』 しんご

芝居に興味を持ち始めた頃から好きな劇団のひとつに、第三舞台があります。その主宰である鴻上尚史氏が言い続けている言葉があります。


 「第三舞台は変わらない。そして、変わり続ける。」


以前は、氏らしいロジックの用い方だなぁと単純に捉えていました。しかし、最近改めてこの言葉の意味するところを考えるようになりました。もちろん、氏が言わんとしていることと合致するかは判らない、私的な解釈ではありますが…。


劇団として芝居を創っていく――

その活動を続けていく中では、劇団全体もしくは劇団員個々のレベルにおいて、様々な変化が訪れます。望むものもあれば、望まぬものも然り。それは芝居創りに関わる人の意欲を操作し、個々の活動に変化をもたらし、やがては劇団全体としての活動に変化をもたらします。時として、マイナスの変化は劇団の活動休止や解散へとつながってしまうこともあります。

劇団という形に拘らずに、例えばその時々において「芝居を創る」ことを目的として活動するならば、そのための手段を多様に変化させることもでき、あるいはその目的達成を果たしていけるのかもしれません。


しかし、不器用な感覚なのかもしれませんが、劇団の活動目的である「“娯楽”としての演劇の地位向上」の達成を求めて活動していきたいと思うのです。劇団シブパの一員として。

では、そのためには何が必要になるのでしょうか。


以前は、環境や状況が変わろうとも、芝居を始めた頃や劇団に参加した頃の情熱や姿勢を持ち続けていくことが最大の要素だと思っていました。

敢えて言うならば、「変わらずにいる」ことなのではないかと。

劇団に限らず、人が生活をしていく中で、様々な変化が生じるのは必然であるはずなのに、それを拒もうとしていた自分がいたのかもしれません。

が、そういった変化を受容していくことが大切なのではないか、と今は思うのです。

その上で、変化し続ける環境・状況に応じて、最善の方法を選択し、実行していくことが、目的の達成に必要不可欠なことなのだと感じるのです。

何故なら、「芝居を創る」ことは、手段であり目的ではないから。


変わらない。そして、変わり続ける。


昔、まだ日本武道館が(一部の)ミュージシャンたちにとって聖地だった頃、 あるミュージシャンがこんなことを語っていたのを聞いたことがあります。


「武道館のステージに立ちたいと思うなら、頑張れば誰でも一度は立てるかもしれない。本当に難しいのは、そこに立つことではなく、立ち続けることなんだ。」


もちろん規模はまったく異なりますが、けれど、やはりそうなのだと思うのです。

芝居を創るだけではなく、シブパの活動目的を達成していくためには、創り続けなければと思うのです。


だから、これからも走り続けようと思います。

続いていたトラブルを断ち切り、第15回公演を無事に終えた今、 更に目的に向かって前進していくため、改めてそう思うのです。

ただわがままに非ず、そうしていられることへの感謝を絶やさず。


変化しながら、変わらずに走り続けようと。



――残念ながら、第三舞台はもうすぐ解散公演を迎えるようです。

これもひとつの変化なのでしょうか…。