菅義偉内閣総理大臣は、日本学術会議が第25期会員として推薦した105名のうち6名を任命しなかった。その理由については、「総合的・俯瞰的な活動、すなわち広い視野に立ってバランスの取れる活動」を行えるようにするためと述べられるのみであり、その内実はまったく明らかにされていない。菅総理は、6名の思想信条が任命拒否の理由ではないと述べているが、明確な理由が説明されていないだけに、6名がいずれも、政府の政策に対し批判的な態度を表明していたことが任命拒否の理由ではないか、という疑念が深まる状況となっている。
日本学術会議は、政府から独立して職務を行う機関であり(日本学術会議法3条)、会員候補者は優れた研究又は業績がある科学者のうちから選考する(同法17条)、とされている。法制度上、政治権力から独立し、科学者コミュニティ内部での専門的判断により自律的に構成員を選考することが予定されていることは明らかである。個々の会員候補者がバランスに欠けるなどとして、時の政治権力が恣意的に任命を拒否することが可能になれば、日本国憲法が保障する学問の自由に対する重大な侵害となる。
個々の研究者の研究内容に対して政治権力の介入が行われたわけではないのであるから、本件は学問の自由とは無関係である、との言説も一部にみられる。しかしながら、自らの学術的主張のゆえに任命を拒否されたと疑われる状況に置かれること自体、学問の自由の侵害である。そしてまた、こうした事態は、社会全体にとっても不利益に作用する。というのも、日本学術会議は、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的としている(同法2条)。この異論の余地のない目的を達成するためには、分野や組織を超えた学術研究者を代表する団体が、政府から独立した立場で、科学のあり方について自律的に討議し、建設的な提言を行う体制が必要になるためである。公的学術団体への政治権力の介入は、科学と社会・国家との関係をゆがめてしまうことになることを銘記しなければならない。
任命を拒否された6名のうちの1名は、長年にわたり日本刑法学会の理事を務めている刑事法研究者である。質量ともに圧倒的な研究業績を誇り、日本を代表する刑事法研究者のひとりであることは衆目の一致するところである。科学者コミュニティの代表としての適格性には、まったく疑いがない。それだけに、今回の事態は、刑事法研究者にとって驚愕の出来事であった。
刑事法研究者は、戦前の滝川事件で言論弾圧の対象になった経験を有している。刑事法学は、性質上、国家権力と厳しく対立する場合もある学問領域である。我々は、刑事法研究に従事する者として、今回の事態を看過することは到底できない。菅総理は、6名の会員候補者の任命を拒否した理由を丁寧に説明するとともに、速やかに任命を行うべきである。
2020年10月23日