カルメル山の聖母に捧げられた教会は、現在も存在するカルメル修道院の一部として1268年に建てられた。その時代の一部のロマネスク様式ゴシック様式だけが側面にある。1328年に初めて増築し、1464年にはチャプタールームと支援室を追加し1476年に完成。1771年の火災で内部をほぼ完全に破壊され、再建がジューゼッペ・ルッジェーリとジュリオ・マンナイオーニに委託された。1775年から1782年に完成。16時から15分ぐらいで見学。
修道院は教会附属で1597年に作られた。ブランカッチ礼拝堂はここを通る
上段の一番左が「楽園追放」(マザッチョ)、中央が「貢の銭」(マザッチョ)、右(正面)が「聖ペテロの説教」(マソリーノ)。下段は、左が「聖ペテロの刑務所の訪問」中央が「椅子の椅子のテオフィルスと聖ペテロの息子の復活 」(マサッチョとフィリッピーノリッピ)、 右(正面)影で癒しの聖ペテロ (マサッチョ)
ブランカッチ礼拝堂は、サンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂の教会堂(バシリカ)として1366年あるいは1377年にフィレンツェの商人ピエロ・ディ・ブランカッチによって建てられ、後にピエロの甥のフェリーチェ・ブランカッチの所有となっている。フェリーチェは1423年から1425年にかけて、マソリーノに聖ペトロを描いた一連のフレスコ壁画の制作を幾度か依頼。ペトロがピエロの洗礼名で、さらにブランカッチ家の守護聖人でもあったためだが、教会大分裂期のローマ教皇を支持するという意味も込められていた。
中央の祭壇画は13世紀後半の「カルミネの聖母」。
【前からの続き】ブランカッチ礼拝堂の壁画作成を請け負ったマソリーノは、18歳年少のマサッチオを共同制作者として選んだが、マソリーノは1425年にハンガリー、1427年にローマを訪問してフィレンツェを去り、ブランカッチ礼拝堂壁画の完成はマサッチオに任せられることになる。しかしマサッチオも壁画が完成する前の1427年あるいは1428年にローマのマソリーノの元へと行っており、その後ブランカッチ礼拝堂のフレスコ壁画を完成させたのはフィリッピーノ・リッピで、1480年代になってからだった
上段左(正面)が「がんのバプテスマ」(マサッチョ)、中央が「ラメの癒しとタビサの復活」(マソリーノ)、右が「原罪」(マソリーノ)。下段左(正面)は「商品の流通とアナニアスとサプラ」(マサッチョ)、XVIの死。サイモン・マグスとの紛争とピーター(フィリッピーノ・リッピ)、XIVの十字架。刑務所から解放された聖ペテロ(フィリッピーノ・リッピ)
アダムがイブの隣に立ち、禁断の果実に噛み付きようとしている間、お互いを見て、蛇はちょうど彼女が彼女の腕を置く木から彼女を提供したことを示す。ヘビは木に包まれ、女性が果物を噛むことを確認するために身を乗り出す。イブは、常に蛇の影響下で、果物を噛むためにアダムを誘惑する。
麻痺の治癒とキリスト教のタビサの復活は、使徒の行為によると、リダとヤッファでそれぞれ行われ、信仰に2つの都市の多くの住民を得た聖ペテロの2つの奇跡。この絵では2つのシーンは同じ空間で統一。左側には、聖ペテロが、目の不自由な人を見て、「ナザレのイエス・キリストの名の下に」と言い、病気から彼を癒した。右側には、ヤッファの信者であるタビサと呼ばれる賢い女性が病気になり亡くなった。ペテロは、祈り始め、起きるように言うと目を開けて復活した。中央(写真)は周りに何が起こるかに関係なく歩く2人のブルジョワが描かれている。2人の右に一点透視図法の消失点がある。
「アダムとイブの誘惑」の反対側にある。、アダムは絶望と罪悪感から手で彼の顔を覆い、イブは恥ずかしさで裸を隠し、彼の顔に痛みを伴う表情で叫ぶ。高い上に正義の天使は、剣で彼らに道を示す。
若者がペテロから洗礼を受ける準備をしている。1人は川でひざまずき、手を組み、1人は寒さで震えながら腕で身を覆っている(美術史家ヴァサーリはこのリアリズムを賞賛)、3人目は服を脱いでいる。4人目(写真では見えない)は裸足で、濡れた頭で、青いチュニックのボタンをつけている。水や濡れた髪の表現はこれまでに無かったもの。
マサッチオが描いたフレスコ画で最終的には共同制作者でマサッチオの師ではないかと考えらるマソリーノが完成させた。『貢の銭』は保存状態が悪く、何世紀にもわたり大きな損傷を受けるままだったが、1980年代に礼拝堂とともにほぼ完全に修復。1420年代に描かれたこの作品は27歳で夭折したマサッチオの最高作。モチーフは『マタイによる福音書』に書かれている聖ペトロに関するもので、神殿への税を支払うことが出来ないペトロに対し、キリストが魚の口から銀貨を見つけるよう(画面左)に説いたエピソード。この作品は美術史上非常に重要な絵画で、少なくともローマが陥落した476年以来、一点透視図法を最初に使用した、あるいはただ一つの消失点(青いローブのキリストの頭上)を表現した絵画として広く知られる。また、マサッチオ独自の技法として、大気の表現と大気の描きわけによる空気遠近法 (遠くにあるものほどかすんで見える遠近表現があり、この絵では背景の山々や画面左奥のペトロは手前の人物像に比べてはるかに薄暗く青味をおびて描かれ、この絵画に距離感と奥行きを与えている。
奥に回廊が見える
修道院の一角にある。1683年に完成。奥の中央祭壇は、ラピスラズリを含む半貴石で覆われている。祭壇の後ろには、黄色と緑の大理石の基に、聖アンドリューコルシーニの記念碑がある。聖人の骨壷は、1683年から1686年にジョヴァン・バッティスタ・フォギーニによって処刑された焼けた銀の浅浮き彫りで飾られている。
1682年のルカ・ジョルダーノのフレスコ画がある。聖アンドリューコルチーニとプルームの4つの美徳を描いている。
かルミネ教会前でタクシーを降りる人がいたので、それに乗る。ベッキオ橋がかかるアルノ川沿いを進む。真ん中の塔は市庁舎
ベッキオ橋の西にあるサンタ・トリニタ橋のたもとにあるフレスコバルディ宮殿。16世紀以来、フレスコバルディ家が所有し「カサ・デル・コルタイル」(広大な内部庭園)と呼ばれていた。ファサードの後ろに住居、1階と2階には大きなアパートが建てられた。オリジナルの外観を最も維持する1階は店舗となっている。
正面はベッキオ橋のたもと。右手前のナイン・ロッソはアンティークの衣服・服飾を扱う
ベッキオ橋を越え、アルノ川沿いのトッリジャーニ通りを東へ進む。このHP作成現在写真の像は無い
中央の尖塔はサンタ・クローチェ聖堂のもの。聖堂はフランシスコ会のネオゴシック様式でジョットによるフレスコ画、ミケランジェロやガリレオの墓がある。