県重要文化財。

天明の大飢饉で亡くなった人々を供養したところ。

天明3年(1783)は稀にみる寒冷の年で、作物がほとんど実らず全国的な凶作となった。

食料不足から飢饉となり、このため疫病が蔓延するなど、領内は多くの死者であふれたと言う。遺体は埋葬もされず、道端のあちこちには骨が転がり、村は荒れ果てていった。

この惨状を哀れんだ斗内の林泉寺檀頭栗谷川藤右衛門は、せめて頭骨だけでも弔いたいと思い、首一つ(死者ひとり)につき24文払うことを条件に、遺骨を集めさせた。集められた遺骨は四つの塚に納められ、傍に石碑が建立された。天明5年、曹洞宗普門山林泉寺の胤龍和尚が導師となって、餓死者たちの供養が行われた。現在も、地域住民による供養が続けられている。

(参考)天明の大飢饉では、弘前藩で8万人、盛岡藩で6万人、八戸藩で3万人が亡くなったという。

アクセス

名称:斗内千人塚(とないせんにんづか)

所在地:青森県三戸郡三戸町斗内字清水田11‐3