江戸幕府崩壊のきっかけとなったのは、1853年の黒船来航であるのは間違いのない事実。黒船来航により、260年続いた徳川の天下は一気に崩れていきました。では黒船来航がなかったら、江戸幕府はどうなっていたのでしょうか?幕末時代を別視点から探ってみた。中心となって進められたかもしれない。
江戸時代は鎖国していたとはいえ、意外と海外との交流は盛んでした。オランダ・ロシア・韓国・中国とも交流を深めており、ちょっとした国際都市状態だったのです。
1844年のこと。オランダの使節団が来日した際、幕府へ開国するように告げられます。結果的に幕府の猛反発もあり開国に至りませんでしたが、江戸幕府崩壊への序曲は既に始まっていました。
「開国は嫌だ」と幕府が首を横に振っていても、外国勢はじわじわ近寄ります。先鋒を切ったのはイギリスで、幕府と「日英和親条約」を締結させました。
当時のイギリスに敵なし状態で、中国とのバトル(アヘン戦争)で勝利を収めた国。幕府から見れば、当時のイギリスは「無敵の中国を撃退した恐ろしい国」だったのです。
1835年に「天保の飢饉」が発生し、庶民だけでなく幕府も大打撃を受けました。しかし飢饉はきっかけに過ぎず、幕府の財政は既に火の車となっていたのです。
江戸時代の税金システムは、農家だけに重い税率を敷いていました。税金を持っていかれると生活に支障が出るため、農家達は農地を手放し別業種へ転職します。農家の数が少なくなると、幕府にお金は入って来ません。そんな中で、追い打ちをかけるかのように発生したのが「天保の飢饉」だったのです。
幕府の大ピンチに立ち上がったのが、老中首座だった水野忠邦。水野忠邦が取り組んだのは、めちゃくちゃ過ぎる節約令でした。また当時の物流を取り仕切っていた株仲間を解散させて、経済を活発化させようとしていたのです。
しかし目論見は見事に外れ、幕府の経済はもっと悪くなってしまいました。
生活は苦しいまま。頼りになっていたはずの幕府も能無し。周りを見渡せば外国からじわじわと攻められている始末。当時の民衆達が大激怒するのは仕方ないのかもしれません。
黒船来航前に農民達が結託し、正式的な手続きでお上を訴えた騒動も起きました。幕末に入ると各地で一揆が勃発し、1年で100件も起きた年も。明治維新後には「世直し一揆」も勃発。民衆達の怒りは、抑えが利かなくなっていました。
黒船来航がなくても、名前のない民衆達が倒幕に動いていたことでしょう。各地で内戦が勃発し、血で血を争う戦いになっていたのかもしれません。
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