Fig1. ○ixで個人サイトを作ろうとして挫けてしまったS氏
かつては○説家になろうやカ○ヨムなどに投稿していた時期もあったが、すべてアカウントを削除し、ここ数年はひたすら新人賞にホイホイ投げていたため「書いた小説に反応がないことでモチベーションが下がる」=エタるということはなくなった。
しかし、反応がないせいで自分の小説がどう見られているのかという情報もまったく得られなくなってしまったのである。これは大問題だ。
加えて、ひたすら公募作と戦い続けていると、どうしてもプロットだけとか推敲だけの期間が生じてしまう。そんなときの息抜きとして、賞に投げない小説を書き(またはあるものを手直しし)、せっかくだから公開してしまおうということで個人サイトを作成した次第である。
大手小説投稿サイトではなく個人サイトにした理由は、そこまで大多数の目に晒されたいという願望がないこと(公募で受賞すればいい話なので)、ランキングなど他者との比較要素を視界に入れたくなかったことの2点である。
掲載小説が読みやすいサイトになるよう、様子を見ながら調整していきたい所存である。
ところで、今までブログを長期間続けられたことはない。
本日はここまで。
公募用小説のプロット作成と並行して、過去の小説の書き直しをしている。
先のプロットがどうも進みが悪いのと、小説の文章を書きたくなったからだ。
そのおかげなのか、プロットの進みが少しだけよくなった。
小説を書き直していて気づいたことがある。
元が三人称だったが、一人称でも書き表せる(むしろそっちのほうがいいのでは?)と思い、展開等微調整・さっくりプロット作成し、本文に取りかかった。このとき、なるべく元小説の本文は見ないようにしようと思っていた。
しかしだ。なかなか浮かばないものである。そこでカンニングしてみると、今なら絶対に浮かばないだろうと思う表現や文章がたんまり載っていて驚いた。
書き直す上で展開やプロットを組み直したとき、当時気づかなかった物語構成上の粗は見えるようになったと思う。対し、文章そのものは味気なくなった。無駄を削ぎ落し、必要最低限の情報を落とし込む。「何(情報)を書くか」を考えるようになってから、本文を書くことも楽しいと思えるようになったが、そのせいで直感的にいいと思う文章が作れなくなったように感じる。
直感的にいいと思う文章というのは、その他のものとトレードオフの関係にあるのだろうか。全部できる・書けるようになりたいというのは、欲張りなのだろうか。