🔳八千代市の大和田・萱田町地区の散策(2023-09-29)
編/ さくら道26
編/ さくら道26
今回は、大和田駅から歩いて大和田宿の界隈に残る史跡や自然を訪ねました。八千代市の大和田・萱田町を東西に貫く国道296号は、戦国時代末期まで遡る古道(通称;下総道)に始まると云われ、江戸時代初期に徳川家康の命を受けて佐倉藩主・土井利勝が街道を整備した。最初は佐倉道と呼ばれ、江戸時代中頃以降、成田山参詣が盛んになると成田道と呼ばれるようになった。大和田宿の形成過程は明らかになっていないが、大和田村には大和田字古屋敷の住人、萱田町には萱田村などの住人が移り住んで宿場町(継立場)を形成したと云われる。最盛期には宮坂(大和田坂)の下から市役所入口交差点付近まで1㎞ほどの街並みで、旅籠や問屋場が設けられ大和田宿と通称され参詣客などで賑わったという。
①京成大和田駅
今回の散策の出発地。大正15年(1926)に東京・成田間に京成電鉄が開通し、八千代市内に初めての大和田駅も作られた。それに伴い成田山参詣客の多くが鉄道を利用するようになり大和田宿は衰退していくことになる。
②小板橋時平神社
昭和15年(1940)頃、大和田時平神社から分祀された。八千代市内の4番目の時平神社となる。本殿の三面胴羽目には見事な唐獅子の彫り物が施されている。
③第六天宮
小さな社殿が、街道を挟んで萱田町時平神社と向き合うように建てられている。
神社創立の由緒は不明だが、千葉県には第六天神社が広範囲に分布している。大六天は仏道を妨げる第六天の魔王で他人の楽しみを自分のものにする法力があるという説がある。
④宮坂(大和田坂)
江戸時代初期に佐倉道を整備するために掘削された坂道。以前の旧街道は少し南側にあったと云われる。街道の北側は萱田町時平神社の鎮守の森で、坂を下った所が宿場の東端にあたる。
⑤萱田町時平神社
元和元年(1615)創立で佐倉道が整備された時期と重なる。祭神は藤原時平命。佐倉道から参道の階段を登りきると周りは鎮守の森、正面に鳥居・社殿と連なる境内が広がります。境内は台地の東端に位置するため勝田台や村上の街並みが一望できる。
⑥医王山薬師寺
真言宗豊山派の寺院。「千葉郡誌」によれば文亀二年(1502)の開基とされる。佐倉道が整備される前の旧街道は、本寺の角を南に曲がって古屋敷(小字名)へ通ずる道であった。そのため寺のお堂も東向きに建てられていると地元では伝わる。以前は境内入口付近に在った「成田山」道標は、別の場所(隣の土地へ)に移されて確認できなかった。
⑦飯綱権現道の道標
道の名は「萱田道」または「権現道」と云われ飯綱神社への参拝道標である。天保四年(1833)造立、碑には闊達な字で「可やた山いつ奈大権現道」と刻まれている。
⑧中宿三叉路
大和田宿の中心部の三叉路付近。ここには高札場や荷附小屋(問屋場)などがあった。付近には今でも当時の有力な名主等と同じ苗字が残っている。
⑨明治天皇行在所
現在記念碑がある場所には大沢小十郎邸があった。明治天皇が行幸時に宿泊所として度々使われた。その度に湯殿や厠を新築するなど、大沢家は多大な経済的負担を強いられたという。明治6年に大和田村で近衛兵による演習が行われた際、篠原少将の見事な指揮ぶりに感銘し「篠原に習え」と下知されたことから「大和田原」は「習志野原」に改名されたという(諸説あり)。
⑩大和田時平神社
慶長15年(1610)創建、祭神は藤原時平命。八千代市には時平神社が4社あり、大和田が最も古い。時平神社に関しては、何故藤原時平を祭神にしたのか?何故この地域に多いのか?など謎は多い。大和田時平神社の由緒も不詳だが、「下総三山の七年祭り」では屋台(山車)を出すなど、萱田町時平神社と同様に二宮神社との関係が深い。
⑩大和田時平神社の社殿彫刻
社殿の胴羽目には「神功皇后」「源為朝」「源頼光」に纏わる伝説を題材とした見事な彫刻が施されている。
⑪地蔵山円光院
真言宗豊山派で千葉・大聖寺の末寺。「千葉郡誌」に慶長15年(1610)創立、「円光院の記念誌」に古邸(ふるやしき)に在った羅漢寺が現在地に移転とある。古邸(字古屋敷のことか)は、大和田宿に移住した人々が以前住んでいた場所であることから頷ける。佐倉道が整備される以前に移転したためか、街道から少し入った所に風流な山門があり、ずっと奥の方に立派な本堂や墓地が広がる。明治6年(1873)、八千代市内で最初の出戸小学校(現大和田小学校)が開校した際、本寺を校舎として使用した。
⑫天受山長妙寺
日蓮宗、身延山久遠寺の末寺。寛永三年(1626)河野又衛門尉栄通が尽力し一宇を創建(河野一族の末裔はまだこの地に居住とのこと)。街道を挟んで日蓮宗と真言宗の寺が建立されている。当時この地域は両宗派が布教活動で鬩ぎ合った場所であり、大和田村と萱田町の住人の出身地が異なることと関係しているかも知れない。
⑫長妙寺の八百屋お七の墓
本堂の西側の墓地に「八百屋お七の墓」(天和二年三月二九日「妙栄信女」の銘)がある。お七の実母が遺骨を探し出し当地に葬ったという。
⑬無縁法界塔
文久元年(1861)に女人講が行倒れの人を供養する目的で建立した。現在、そば屋(さわ田茶屋)の入口付近に建っている。この辺りが大和田宿の西端にあたる。
⑭さわ田茶屋
そば屋の建物は東久邇宮元首相の市川別邸(昭和初期築)を移築したものである。
残暑の中、散策お疲れ様! ご褒美は名店の蕎麦と麦酒!! 「天蕎麦」御馳走様でした!!!
【後記】
猛暑も収まり三か月ぶりの散策です。今回は大和田宿で、当地には全国的にも珍しい「時平神社」が四社あります。なぜ悪役イメージの藤原時平(菅原道真を左遷した)を祀っているのか不思議です。大和田時平神社本堂の彫り物は見ごたえがありました。
(S.N.)