🔳縄張図を手に小篠塚城址を探索(2023-03-31)
編/さくら道26
編/さくら道26
小篠塚城の詳細は不明ですが、室町時代には「享徳の乱」で古河城を追われた初代古河公方・足利成氏が一時期、千葉孝胤を頼ってこの城に居を構えていたと伝えられています。
千葉氏討伐のため、二代目古河公方となった足利政氏が嫡子の高基とともに小篠塚城に動座したとも伝えられています。
現在、城址内の一角には後世の正慧寺が建立されていますが「小篠塚城址園」として整備されており、遊歩道も設けられ、土塁や空堀などの遺跡を確認することができ、各ポイントに石標が設置されています。
小篠塚城址入口
南東側に城址園の入口がある。嘗ての搦手の方角にあたる。晴天下、満開の桜が迎えてくれた。
搦手堀底道
搦手の土塁に挟まれた堀底坂道を登っていくと虎口に至る。
搦手虎口
登り切った所の左手に搦手虎口がある。南側の土塁しか残っていないが、喰い違い虎口と横手掛かりが特徴とされる。
搦手虎口から主曲輪1方面
搦手虎口から見て、左手が手前から曲輪3、曲輪2の土塁、右手が曲輪4で、正面の突き当たりが主曲輪1の虎口である。
曲輪2と曲輪3の境通路
曲輪2と曲輪3の土塁に挟まれた通路があった。現在遊歩道として舗装されている。
曲輪3、東南端に見台
曲輪3の東南端、石標に「見台」とある。ここから搦手を駆け上がる敵に対して攻撃もできる。
曲輪3から見た曲輪2
曲輪2の西側は土塁が低く、コの字型の土塁形状をしている。
曲輪3の土塁南端突出部
曲輪3の土塁外縁を巡って西へ侵入する敵を遮断する土塁。
曲輪2から見た主曲輪1土塁
堀の向こうに見えるのが一段高い主曲輪1の突出部土塁。
曲輪2と主曲輪1間の堀底
左の曲輪2の土塁は低く主曲輪1の外堀に下りやすい。
主曲輪1虎口
主曲輪1の虎口。突出した土塁・横矢・喰い違いの特徴が見られる。
虎口から大手に通ずる堀底道
主曲輪1虎口から主曲輪1の土塁沿いに堀底道を通って大手虎口に通じる。右手は曲輪4。
大手虎口から曲輪4へ登坂
大手虎口から曲輪4へ通じる登り坂。高低差は3m程ある。
大手出桝形虎口
大手より北側は土地開発が進み、虎口の東側土塁は壊され原型を留めていないが、辛うじて喰い違いの形跡が認められる。
主曲輪1北側の土塁・空堀
浅く原型は掴めないが、まだ土塁と土塁の間に空堀が残されている。北東端では箱薬研らしき堀断面が確認されており発掘調査が望まれる。
主曲輪1から見た曲輪4
曲輪4は北東に位置し、一角は現在正慧寺境内となっている。北側には厳重に二層の土塁や空堀が在ったが土地開発により立ち入りも難しい。
虎口から見た主曲輪1
主曲輪1は南と西を断崖、北と東を土塁と空堀で防御された平坦地で、他の3つの曲輪とほぼ同じ高さにある。
主曲輪1西側の切岸
主曲輪1の西側斜面は、防御のため人工的に切り落とした切岸になっている。
切岸に作られた急な遊歩道
主曲輪1から西側切岸に整備された急な傾斜の遊歩道を慎重に下りていくと、小篠塚湧水群方面に通じる。
湧水群へ足を延ばす
時間が余ったので、ちょっと湧水群の方へも足を延ばす。
小篠塚湧水群
遠く小篠塚湧水群を望む。きれいな湧水に水草、アメンボ、おたまじゃくし、白サギなど豊かな里の自然。
【後記】
桜花の下、戦国時代の城跡を示す石標を探して歩き、城下の谷津での散策では湧水の流れと蓮田の水面を滑る“あめんぼ”を見つけ、子供の頃を思い出した。小篠塚城の歴史と共に自然に触れ会えた散策、良かった!(Mr. M.I.)