🔳和田地区を散策(2023-12-08)
編/さくら道26
編/さくら道26
「和田地区」は佐倉市の最東端に位置し、市全体の面積の14%を占める広大な地区である。明治22年(1889)に14村が合併し広大な「和田村」が誕生する。昭和になり佐倉市となったが、その後もこの地区は「和田」と呼ばれている。
この地区の歴史は古く、大字長熊で白鳳時代(8世紀)の様式を伝える広大な廃寺の遺跡が発見されたことから、この地域が仏教普及や製鉄・須恵器などの最新技術の中心地であったとされている。
また、大字八木の山ノ田遺跡から、道幅最大4.3m、両側の側溝を含めると幅約6mの道路状遺跡が発見されている。これは市原古道遺跡と規模・時期が類似することから、奈良・平安時代の主要道路(古東海道)、またはその支道の可能性があるとされている。また、国道51号線が開通するまでは、この古道の南側に隣接する道(現市道)が千葉から成田へ抜ける幹線道路(千葉成田道)とされ、盛期には成田山や滑河観音の参詣者で賑わったと伝わる。
鎌倉・室町・戦国時代には、関東や下総で数々の戦乱が起きているが、その都度この地域も大きな影響を受けてきた。和田地区に代々引き継がれる数々の伝承の中に、その歴史の端々を垣間見ることができる。
さあ、古道と伝承の和田へタイムスリップしましょう!
①和田ふるさと館
ここには和田地区の紹介パネルや歴史民俗資料が展示してあり一見の価値あり。
今回はいい時間のバスがないため車で移動し、ここから出発する周回コースを策定した。途中、休憩所がないので要注意。
②皓月山静覚院宝金剛寺
(こうげつさんじょうかくいんほうこんごうじ)真言宗豊山派、大和長谷寺末。由緒によると建仁3年(1203〉鎌倉幕府将軍・源頼家が北条時政に命じて堂宇を建立させ、寺領300石を寄進した。覚済(かくぜい)僧正の開山と云われる。
後に北条氏勝が岩富城主に封ぜられると大旦那となり寺領100石を寄進した。寄進した物の中に二組の七条袈裟・横被(県指定)と三鱗紋蒔絵四重碗(市指定)があり文化財 として保存されている。
③北条氏勝の墓所跡
寺の裏に北条氏勝の墓跡と伝えられる場所があり、現在供養塔が建てられている。
当寺は、氏勝の法号から「静覚院」を寺の院号に、「丸に三つ鱗」(玉縄城北条家の家紋)を寺紋に戴いている。
④寒田山円輪寺
真言宗豊山派(宝金剛寺末)。由緒不詳、境内に不動堂と大師堂(文政11 年(1828)創立)がある。
⑤香取神社
社殿は石室で、祭神は経津主命という。今回、社殿の所在は確認できなかったが、一面を覆う銀杏の葉が神社らしい雰囲気を漂わせていた。
⑥明王山不動院
由緒不詳、真言宗豊山派(宝金剛寺末)。境内に不動明王を本尊とする不動堂(江戸中期建立?)、大師堂(文政年間建立)および六地蔵(明治時代造立)がある。
当院の獅子舞は400 年の歴史がる。
⑦道祖神社
由緒不詳。祭神は賽神三柱。境内に浅間神社と天神社の二社がある。
⑧庚申塔
銘文は無いが、主尊の青面金剛の足下に三猿が彫られた本格的な塔である。
⑨八木山ノ田遺跡の道路状遺跡
写真中央の住宅付近で発掘調査の結果、ほぼ東西に延びる道幅最大4.3m、両側の側溝幅最大1.4m の道路状遺構が発見された。奈良・平安時代の遺構と推察されている。調査報告書では、これは市原古道遺跡と規模や時期が類似すること、また本遺跡南側の市道は八木の台地を北東方向に天辺から長熊へ抜ける道であることから、典型的な官道に比べ道幅は少し狭いものの周辺の台地の形状を考えれば、常陸国に抜ける古代の主要道路またはその支道である可能性があるとしている。
⑩竹林の中の旧千葉成田道
この道は、国道51号の開通までの間、千葉から成田へ最短で抜ける幹線道路として使用された道(千葉成田道)とされる。地元の人が「水戸黄門も通った道」と誇らしげに教えてくれた(「甲寅紀行」によると1674年徳川光圀は鎌倉へ向かう途中、酒々井から千葉へ通ったとされる)。
⑪伝説『矢弦橋』の場所
写真は伝説『矢弦橋』に登場する地名の場所で、中央は高崎川支流・矢弦橋跡、左側の台地は「八木塁」と古道のある台地(字勝負込)、右側の台地が字房田で「房田の家(円城寺家)」があり裏山に「馬場」があったとされる。
伝説は、室町時代に千葉一族の宗家争いが繰り広げられた歴史的背景とも重なり、この場所で川を挟んで対峙し矢を射合う情景が目に浮かぶようである。
⑫房田本家
八木字房田という場所に伝説『矢弦橋』にも登場する「房田の家」がある。今回、幸運にもその屋敷の御主人に話を聞くことができた。「房田の家(房田本家)」とは円城寺氏のことで、戦乱を乗り越えこの地で名跡を引き継いできた。伝説に登場する「馬場」は現屋敷の北側にあり館跡ではないかとのこと。また「妙見様」も昔は屋敷内に祀られていたとのこと。
⑬瑠璃山東福院
真言宗豊山派、宝金剛寺末。由緒不詳、字堂山にあったものを嘉永4 年(1851)当院に移転したという。境内に薬師堂が一宇ある。
本尊は木造薬師如来坐像(墨書銘文に文明8 年(1476))で、現在は宝金剛寺に客物として移されている。
⑭森のレストラン「クオーコ」
散策の最後は、森のレストランで美しく照り輝く紅葉を眺めながらランチ。シェフこだわりの地元野菜が美味しいお店です。
【後記】
令和5年12月8日、当日は午前9時30分より午後12時30分頃まで約3時間弱のゆっくりした散策で、湿気も低く風や雲ひとつない日本晴れでした。
散歩道は道巾も広く廻りはほとんど野山と田んぼのみで、今迄になかったようなコースでした。
道中、堀内さんの声かけのお陰で、「房田本家」の当主にもお会い出来、いろいろ貴重なお話を聞くことが出来ました。
すっかり忘れていましたが、昼食時の「森のレストラン」は5~6年前に一度訪れた憶えがあります。食事もおいしく紅葉もきれいで良い時期でした。
皆様のお世話で楽しい一日を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。(T.T.)