🔳西船・海神地区の散策(2023-05-26)
編/ さくら道26
編/ さくら道26
船橋市の「西船」地区は、後の犬山城主成瀬正成が家康から初めて四千石の領地を与えられた土地です。爾来、宝成寺を菩提寺とする成瀬家にゆかりの深い土地です。
「海神」地区は、船橋地域の中でも古代の伝説が残る神秘的な土地です。特に有名な伝説の粗筋は次のとおりです。
1.大和政権の日本武尊は東征途上この地にやってきた。
2.旱に苦しみ雨乞いの儀式を行ったところ、海上に現れた一隻の船上に神鏡を見つけ、浜に持ち帰り新しい宮を建てて祀った。このことから宮付近の場所は「海神」と呼ばれるようになった。
3.東征を無事終えた日本武尊が神鏡を祀った宮へ行こうとしたが洪水で川を渡れず、思案の末、船を並べて橋にして無事渡ることができた。そこから「船橋」の名が起こったという。
ここで最初に神鏡を祀ったとされる宮が入日神社で意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)の元宮と云われます。
なお、葛飾新宿経由の水戸佐倉道と行徳経由の佐倉道は、ここ「海神」で合流し間もなく船橋宿に入ります。
さあ、神社やお寺など史跡を巡り楽しみましょう!
①宝成寺
曹洞宗。成瀬正成が天正年間に移設・創建し、成瀬から「成」の一字をとって法成寺と改名した。広大な境内、山門の屋根に輝く三つ葉葵と立派なお寺である。
②成瀬家の墓所
法成寺は成瀬家の菩提寺。墓所で一際大きいのは犬山城主成瀬正寿の墓石で県内で最大級と云われる。
③成瀬地蔵
貞享4年(1687)地元の念講中により寄進された。夭折した成瀬之虎の供養説があるも由緒不詳。
④正延寺
真言宗豊山派。創建年代は不詳だが本尊・胎蔵五智如来像は、平安時代の作と推定され県文化財に指定されている。境内の新四国八十八カ所 巡りを皆で楽しんだ。
⑤龍神社
創建は不詳だが西海神村の鎮守で大綿津見命を祀る。仏名を娑羯羅龍王ということから「龍神社」と称するという。
⑥本殿の彫刻
龍神社本殿は明治44年頃の建立で、壁面全面の見事な彫刻は船橋の仏師の作である。モチーフは日本武尊伝説か。
⑦龍神池
池の奥の石碑は所謂「弘法大師の石芋伝説」を詠んだ大覚院實嚴和尚の七言律詩である。
⑧大覚院
真言宗豊山派。何故か地蔵堂の六地蔵が金メダルをしていた。四国の形をした「大師の庭」で2回目の八十八カ所巡りを楽しむ。
⑨入日神社
日本武尊が雨乞い時、現れた船上の神鏡を最初に祀った場所とされ、意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)の元宮と伝わる。
⑩佐倉道の追分跡
三叉路の右側が葛飾新宿経由の水戸佐倉道、左側が行徳経由の佐倉道であった。この場所に元禄7年(1694)造立の道標が建っていたが、念仏堂に移設された。
⑪念仏堂に建つ道標
佐倉道の追分から移設された道標で、「右いち川みち、左行とくみち」と刻まれている。何れの道も佐倉道のことである。
⑫地蔵院蓮華寺
創建年代は江戸時代の初め以前とされる。現在の本堂はまだ新しく現代的な作りである。御住職によると「左側の地蔵様は願い事がよく叶う」とか。
⑬海神稲荷神社
由緒不詳。海上の守護神で、漁村だった旧海神村の象徴だった。現在地蔵院持である。
⑭日枝神社
山王様と呼ばれる地元の産土神。明治の神仏分離令で日枝神社に改名された。
⑮西向地蔵
江戸前・中期の石仏・石塔が置かれ、最古は万治元年(1658)の地蔵像念仏塔である。慶長十九年(1614)の東金街道開削はこの西向地蔵が起点という。此処の「鉤の手」は古宿場の境でよく見られる一形態である。
【後記】
散策後、遅めの昼食を思い切って若い人向けのお洒落なレストランでとることに。ところが「注文はスマホ使ってオンラインで」だとか。スマホと悪戦苦闘の末、最後は奥の手「お姉さん、助けて!」。そして…漸く乾杯!(S.U.)