🔳南行徳地区の散策 (2023-04-24)
編/ さくら道26
編/ さくら道26
江戸時代、幕府は防衛上の理由から中川や江戸川に橋を架けることを許しませんでしたので、交通は渡しによって支えられていました。しかし、幕府が公認したのは「小岩・市川の渡し」だけでした(今井の渡しをはじめ他の渡しは、生活上の必要から農作業時のみなど限定条件付きで認められていたものでした)。
寛永9年(1632)日本橋と本行徳村を結ぶ行徳船が就航すると幕府は「今井の渡し」の利用を大名に限り認めました。庶民の通行が制限的にも認められるようになったのは元禄16年(1703)に市川団十郎が「成田山分身不動」を演じた事が契機となり成田参詣が盛んになってから後のことと云われています。
今井の渡し跡の他にも、江戸川の川辺には素敵な公園や歴史的な名所があります。
①旧江戸川と対岸・南行徳
一の江駅から歩いて今井橋の手前から旧江戸川と対岸・南行徳方面を望む。
②今井橋を渡って行徳へ
今井橋を渡り切ったら、いよいよ南行徳地区へ。
③今井の渡しの旧跡
最初は寛永9年(1632)大名に限り利用を許可された。大正元年に橋が架かって役目を終えている。ここが行徳街道の起点(終点)であった。
④旧江戸川沿いの遊歩道
満開のツツジの生垣を楽しみながら旧江戸川沿いのジョギング道(遊歩道)を歩く。
⑤相之川日枝神社
相之川の鎮守として万治元年(1659)に創建、祭神は大山昨神。御宮司から「行徳は徳の町」とし儒教の教えを戴いた。
⑥内匠堀プロムナード
鎌ヶ谷から灌漑・排水を備えた全長12㎞の水路を開き農業の発展に寄与した。尽力した田中内匠と狩野浄天に因んで「内匠(たくみ)堀」又は「浄天堀」と呼ばれる。
⑦源心寺
開山は芝増上寺の観智国師。慶長16年(1611) に狩野新右衛門(浄天)が堂宇を建立。2016年竣工した参道と両側の庭は「二河百道(にがびゃくどう)」といい極楽往生に辿り着く道を表わすという。
⑧香取神社
香取(かんどり)神社という。下総一の宮から勧請して天文年間(1522~55)創建された、欠真間・香取(かんどり)・湊・湊新田村の鎮守である。
⑨湊水神宮
社の裏に行徳河岸(祭礼河岸)があった。由緒は不詳であるが、漁師を初め地域に大層崇められていて、6月の祭礼当日には数千人の参拝者があると云う。
⑩行徳河岸(祭礼河岸)旧跡
貨物専用の河岸がこの付近にあり、昭和の初め頃まで使用されていたという。場所は特定できないが現在のポンプ場付近と推測する。
⑪押切稲荷神社と大銀杏
慶長3年(1598)創建、ご尊体は約850年前作の十一面観世音菩薩と云われる。御神木の大銀杏は現在の3倍の高さがあり、江戸湾の漁師が方角を定める目標にしたという。
⑫押切神社の彫刻
本殿の三面胴羽目の彫刻は「大江山鬼退治」「養老の滝」「玉巵弾琴」とよく見かけるモチーフだが、見事な彫りである。
【後記】
江戸川沿道は遊歩道、静かで風光明媚。満開のツツジに癒され爽やかなスタートです。しかし昔は水害が多かったのでしょう。鎮守の神社が多く、また街中は人々の苦労も垣間見えました。でも江戸川・今井の渡しで、ここ行徳から成田道(さくら道)が繫栄する起点に繋がったんですね。(M.H.)