初めて見たホウキ星がウェスト彗星というとかなりの年齢である事がバレます。
生まれ育った和歌山は日本の流星研究のパイオニアだった故小槙孝二郎氏の存在、天文ガイドの編集部員を経て和歌山に戻り日本広域のアマチュア天文家グループである「星の広場」を立ち上げた加茂昭氏などの存在があり日本のアマチュア天文界では際立った地域だった。
中学生の頃、和歌山天文同好会に入った事がその後の天文人生の始まりだった。私が入会した頃、今では日本の天体写真の第一人者であり彗星観測でも有名なT氏は大学生だった。月一の和歌山天文同好会の例会で自作のポータブル赤道儀やらPentaxの300mmによる作品などを紹介してくれた。こうした諸先輩に倣いながら知識と経験を積んでいった。
私が大学生になる頃、日本のアマチュア天文家の間では共同観測所ブームだった。和歌山天文同好会の有志の間でも自分たちの観測所を持つ機運が高まり、和歌山の南にある生石山の山麓に観測所が建設された。和歌山県在住で火星観測と鏡面研磨の大家の田阪一郎氏から31.5cmのニュートン鏡を観測所開設のお祝いにいただき、これを主力として私も天体写真にのめり込んでいった。
社会人になっても生石天体観測所の利用を続けられるように地元の会社に就職したが、30歳になって米国駐在、しかもニューヨークのど真ん中という天体観測には絶望的な場所に越して以来、天文活動は途絶した。
天文の世界に復活したのは次の任地の英国だった。今も使っているミードのLX-200 10" F6.3を購入した。時代はすでにデジタルに移行しており、冷却CCDが天体写真の主流になったいたのでSBIGのST-9を買った。しかし、どうもコイツは使いこなせず、英国の天候のせいもあって昔のような写真はさっぱり撮れなかった。
その後、イタリアのミラノ、ドイツのハンブルクと転々とし、今はオランダのアムステルダム。ベランダ天文台を開設してようやく人並みに前線に並んだような気がする。
ここアムステルダムも天気の悪さはひどいものの、月に1晩程度は観測可能な天気に恵まれています。天体写真も短時間露光を沢山撮ってスタックするというメソッドが確立しているので光害下のアムステルダムでもそこそこの写真が撮れるのがわかりました。
という事でそんな過去と曇ってばかりのアムステルダムの光害下における私の天体写真への試みがこのウェブのコンテンツです。