ref (レコーディング三者協議会)主催トークセッション Vol.2
2016年開催の第1回に続く第2回のゲストは、日本のポップス黄金期を語る時に欠かすことの出来ない巨匠、編曲家・作曲家の萩田光雄氏。「異邦人」「恋におちて」「木綿のハンカチーフ」「プレイバックpart2」など、誰もが知る数多くの名曲をアレンジし、4000曲以上のイントロを作った男としても知られる「音楽の料理人」です。
第1回に引き続き、日本を代表するシンセサイザープログラマーの松武秀樹氏が絶妙に萩田氏の魅力を引き出しました。
より深くレコーディングの世界を知っていただく機会として開催されたこの企画、ポップスの黄金期を彩ったスーパープロフェッショナルが語るレコーディングのレシピをお楽しみください。
主催:レコーディング三者協議会
協賛:東京音楽事業者連盟 / 一般社団法人 日本音楽スタジオ協会 / 一般社団法人 演奏家権利処理合同機構MPN
Guest
萩田光雄
Hagita Mitsuo
1965年慶應義塾大学工学部電気科入学、同大学クラシカルギタークラブに在籍。のちにヤマハ音楽振興会作編曲コースで林雅彦氏に師事、同社録音スタジオ勤務の後、作・編曲家を目指す。1973年高木麻早「ひとりぼっちの部屋」の編曲でデビュー。その後、編曲家として目覚しい活躍をとげ、1975年FNS音楽祭最優秀編曲賞をはじめ、1975年、1976年、2013年に日本レコード大賞・編曲賞を受賞。45年間にわたり、ポピュラー音楽界第一線の編曲家として活躍。ポップス、映画、アニメなど作曲作品も多数、ミキシングエンジニアとしてのクレジットも多い。現在、日本作編曲家協会常任理事、JASRAC編曲審査委員会委員長
【主な作品】
●主な作品 異邦人(久保田早紀)、恋におちて(小林明子)、待つわ(あみん)、木綿のハンカチーフ(太田裕美)、プレイバックpart2(山口百恵)、サンタモニカの風(桜田淳子)、ひとり上手(中島みゆき)、飾りじゃないのよ涙は(中森明菜)、シクラメンのかほり(布施明)、マイレディー(郷ひろみ)、想い出がいっぱい(H2O)、恋の予感(井上陽水)、千の風になって(新井満)ほか4000曲以上
©Yusuke Kashiwazaki/Red Bull Content Pool
MC
松武秀樹
Matsutake Hideki
神奈川県生まれ。1971年、冨田勲氏のアシスタントとしてキャリアをスタート。独立後、モーグ・シンセサイザー・プログラマーの第一人者として数々のレコーディングに参加。1977年~1982年に参加したYMO作品では「YMO第4のメンバー」と称される。1981年には自身のユニット「LOGIC SYSTEM」を結成し、現在までに15枚のアルバムを発表している。
(司会の松武秀樹さん登場)
松武 本日は多くの皆さんにお越しいただきありがとうございます。第2回となるrefトークセッションのゲスト、「4000曲のイントロを作った男」作編曲家 萩田光雄さんの登場です!
萩田 こんばんは、萩田光雄です。
松武 それでは始めましょう、どうぞお座りください。
萩田 被告、萩田光雄・・・。(場内大爆笑)
松武 皆さま、本日は一応、台本がありますが、かなり脱線する恐れがありますのでご容赦ください。それと我々は喋りのプロではありませんので、だいぶ噛むかも知れませんが、その際には笑って過ごしていただく感じでお願いします。それでは早速、萩田さんの写真をご覧いただきながら振り返ってみましょう。1965年慶應義塾大学工学部へご入学というと、僕は中学2年でした。
萩田 昭和でお願いします(笑)
松武 昭和40年、東京オリンピックの次の年です。ビートルズが来た年でしょうか。
萩田 そうですね、、、その頃はあまりロック系には興味がなく、「対岸の火事」という感じでビートルズというかビートルズ騒ぎを見ていました。
松武 「エレキは不良」だとかいうイメージでしたか?
萩田 いえ、そういうイメージはではありませんでしたが、中学でブラスバンドを初めて大学に入るまでは兄とか姉の影響でクラッシックとかしか聞いていなかったので、クラッシック、器楽、インストゥルメンタルしか興味がなかったんです。ところが大学でギタークラブに入ると、段々と歌とギターが結びついてきました。昼休みに部室に行くとみんながフォークソングとかを歌いたがって僕が伴奏したり。そうしていつのまにか歌と楽器が結びついていました。当時は後に、これほど歌だけをやることになる人生が来るとは思いませんでしたが。(笑)
松武 始まりはガットギターですか?
萩田 はい、ガットギターですね。ナイロン弦の。当時はキャンパスにギターを持った人がたくさんいて、カッコよかった時代です。僕もギターは持ち歩いていました。クラシカルギタークラブは、本来演奏がメインの部活でしたが、脇にそれて歌を歌ったり伴奏するうちにコードを覚えたりしましたね。
松武 その頃からコードを覚えたのですね。
萩田 そうですね。別に地元の友達とちいさなバンドを組んで「アマポーラ」とかやりましたね。そのときはヤマハのフルアコースティックのジャズギターとかを弾いていました。インストゥルメンタルってジャンルは今はほぼ死語ですが、当時は「軽音楽」とかとも言っていましたし、その後は「ワールドミュージック」という言い方もありましたよ。
松武 あの頃はインストゥルメンタルのバンドがたくさんありました。
萩田 そうです。最近ではヒットチャートの1位にインストゥルメンタルの曲が入ることはありませんが、昔は「ウエストサイドストーリー」「ワシントン広場の夜は更けて」「太陽がいっぱい」とかたくさんありました。
松武 映画のテーマなどは何週間も1位とかありましたね。
萩田 スクリーンミュージックですね。もともと僕はそちらの世界に憧れていましたが、ギターとの出会いが歌との接点になった気がします。
松武 その後はどうでしたか?
萩田 今はもうありませんが、当時出来たばかりのヤマハ音楽振興会のライトミュージックスクールで勉強して、当時人気のChicagoとかBSTとかのブラスロックを耳コピしていました。
松武 耳コピする時はギターですか?
萩田 そうです。その頃はピアノもなかったし、まあ「ド」がわかれば「レ」もわかるし、という感じでやっていましたね。
松武 素晴らしいです。
萩田 そういう生活をしているうちに、ヤマハで仕事をするようになってきたんです。
松武 そうなんですね(スタジオワークの写真を見ながら)ここに写っているのは6mmオープンリールですね。ティアック(TEAC)とかアカイ(AKAI)とか高かったような気がします。
萩田 この頃は、まだみんなも持っていませんでしたね。
松武 キューイング(早送りとか巻き戻しとか)とか大変でしたね
萩田 そうです、大変でした。
松武 そして次のスタジオの写真は3M社製の16チャンネルのマルチトラックレコーダーです。凄いミュージシャンが周りにいますね。
萩田 LAでやった高木麻早さんか太田裕美さんのレコーディングだったと思います。
松武 今から見ると貴重な写真です。
●マイ・メモリアル
松武 続いては今日のメインコーナー「マイメモリアル」です。萩田さんがご自分で選んだ思い出深い曲をお聞かせください。
萩田 はい、敢えて有名どころの曲は外して選びました。
松武 では私のパソコンより、音質を追求した96k32bitのハイレゾサウンドでお聞きいただきながら(笑)、楽曲についてお話を伺います。
1曲目 ♪小坂恭子「私の好きな組み合わせ」(1973年)
松武 この曲はブラスが特徴的ですね。ずっと鳴りっぱなしですよ。
萩田 この頃ヤマハ音楽振興会で仕事をしていました。当時はヤマハがポプコン(ポピュラーソングコンテスト)とか作曲コンクールとかコンテストイベントを始めた頃で、僕は審査用とか、まだレコードなど商品になる前の音源作りをしていました。最初は恵比寿にあったヤマハの小っちゃいスタジオで録ってたんですけど、この楽曲は多分、一次審査が通った後に予算をつけて録音することになったのだったと思います。当時、田町にあったアルファスタジオでレコーディングしました。すると、この作品を聴いたヤマハの制作ディレクターから「あいつ、出来るんじゃないかと」いうことになり、それから声がかかるようになったというきっかけの作品です。
松武 きっかけになった作品なんですね、では次の曲です。
2曲目 ♪あみん「冬」(1983年)
萩田 この曲は1コーラス目からガットギターだけが出てくるサウンドで、ボサノバっぽいアレンジにしました。大学に入ってガットギターを始めた頃から、当時流行してきたボサノバに夢中になったんです、新しくて格好いいというか。ボサノバでコードもいっぱい覚えました。そんな思いを詰めた曲です。
松武 ボサノバにはいろんなバンドがありましたね。コード進行も良かったですね。
萩田 とても複雑でね、でも憧れましたよ。
松武 ところでこの曲ではストリングスの高いところ「キー」っと鳴る音域が印象的なんですが。
萩田 クラウス・オーガマン(ドイツ人で60年代からアメリカで活躍した編曲家)でしたっけ?当時は彼のことをあまりよく知らなかったんですが、多分、彼の作品をどこかで聞いて、ああいう美しい音(旋律)を乗せたかったんだろうと思います。
松武 弦のアレンジについては、この後も改めて伺いましょう。では次の曲です
3曲目 ♪渡辺典子「少年ケニヤ」(1984年)
松武 この作品はアニメの主題歌ですね。
萩田 はい、作詞が阿木燿子さん、作曲が宇崎竜童さんで、漫画の原作を大林宣彦監督が劇場版映画として角川と東映とで共同製作されたときの作品です。
松武 いろいろ笛の音が鳴っていますね。これは生音ですか?
萩田 たぶん生音だったと思いたいますが、忘れてしまいました(笑)
松武 大林監督からのリクエストにはどのようなものがありましたか?
萩田 いえ直接、大林監督からのリクエストはありませんでしたが、音楽担当の東映のプロデューサーが意見をまとめて伝えてくれました。
4曲目 ♪ロードス島戦記サントラ「風の羽」インスト(作曲 萩田光雄 1995年)
萩田 この曲、僕はもともとこういう音楽をやりたかったんです。このパン・フルートという楽器を吹いてくれた藤山明(ふじやまあきら)さんというミュージシャンが素晴らしい演奏をしてくれて。
松武 情景が浮かぶようですね
萩田 僕の全部の作品の中でもいちばん大切な作品なんですが、藤山さんのことを思い出すと泣けちゃいます・・・。僕にとって良い作品になるかどうかは、結局のところ、良い演奏をしてくれたかどうかなんです。それが全てです。だからミュージシャンをコーディネートしてくれる人とか、レコーディングエンジニアとかが、良い作品になるかどうかのキャスティングボードを持っていると思います。
松武 そうなんですね。
萩田 「良いアレンジでしたよ!」と言われたら、「そういう人たちのお蔭ですよ」といちいち言いたいですね。
5曲目 ♪杉田二郎「ラブ・レター」 (1991年)
松武 杉田二郎さん!
萩田 これは杉田二郎さんが作曲家、吉田正先生の作品を歌うという企画アルバムです。オリジナルはフランク永井さんの曲ですが、このアレンジを吉田先生が気に入ってくれて、その後、いいお付き合いをさせていただくきっかけになりました。私にとって誇りの一部です。
松武 この時代の曲はジャジーですね。
萩田 そうなんですよ。服部良一さんとかも半分ジャズですね。戦後の歌謡曲はジャズから始まっているというか、そう思いませんか?
松武 本当に良いです。会場の皆さんこれからジャズに戻しませんか?私は打ち込みでジャズやりますけど(笑)。
6曲目 ♪萩田光雄「かいとの歌」 (作詞、作曲、編曲、歌 萩田光雄 2012年)
松武 萩田さん、この曲、良いですよ!素晴らしい!(拍手)永く暮らした愛犬に感謝の気持ちを込めて曲を作るなんて本当に素晴らしい。
萩田 人前で聞かせるのは初めてです(笑)
松武 「かいと」君、シベリアンハスキーですか?
萩田 ミックス犬です。2012年の3月28日に15歳で亡くなりましたが、その年のはじめ頃にこの曲を作って、死ぬまで毎日そばで歌ってました。本当はその頃、別の仕事があったんですが、ちょっと横において、この曲を先に作っちゃったんです(笑)
松武 「かいと」君、萩田家に来てよかったですね!でも音楽生まれる背景ってそういう奥深いものがありますね。ありがとうございます。ではこの曲で「マイメモリアル」のコーナーは終了です。
●キーワード
松武 続いてのコーナーは「キーワード」です。聞いてみたいキーワードは沢山ありますが、、その中から選んで伺ってまいりましょう。まず最初に「普通はスゴイ!」とはどういうことですか?
萩田 これは主にミュージシャンのことですね。僕が仕事を始めたくらいの頃、レコーディングに行った時に来てくれたミュージシャンがぶっ飛ぶくらいの演奏をしてくれて、自分で良いアレンジだと思ったことがあったんです。後で聞いたらスタジオに来てくれたミュージシャンは凄い人たちというか、超一流のメンバーだったんですが、そこから僕にとっては最高級の人たちでレコーディングすることが当たり前になり、それが普通だと思ってしまったのです。ただ改めて考えてみると、「このくらいやって当たり前」とか、「譜面通りに演奏して普通」と思っていたことは、「実は凄いこと」なんですよね。
松武 萩田さんが書かれた譜面をミュージシャンが瞬時に理解して演奏するということですね。
萩田 はい。スタジオに入って「テイクワン(1回め)でOK」という演奏。今、見たばっかりの譜面なのに「1回、音出してください」と簡単に流して、次に「じゃぁ(本番)録ります」となったらバーン!と完成された演奏が聞こえてくる。さっきも言いましたが、それはミュージシャンのコーディネーターとか、レコーディングエンジニアとかみんなの力があってこそ成り立つのです。本当は「たまたま凄いこと」なのに、自分の中ではそれが「普通」になってしまっている。これって凄いと思いませんか。
松武 まぁ、それがプロの仕事といいますか・・・(笑)
萩田 楽譜渡してパーンと出来ない人には、明日から仕事がないかもしれないですよ(笑)
松武 たしかに、初見で譜面を理解して演奏するんですもんね。
萩田 凄い世界にいさせてもらっているのだと思います。本当に感謝しています。
松武 そうですね。では次のキーワード「趣味」です。今のご趣味はなんですか?
萩田 今の趣味は音楽です。
松武 音楽が趣味とは、どういうことですか?
萩田 僕たちはもともとこの仕事を好きで初めて、好きで音楽をやっていたら仕事になったというのが現実です。もちろん仕事の上では好き嫌いは言っていられませんでしたが、最近はまた純粋に音楽を楽しめるようになってきました。
松武 「音」を「楽しむ」ですからね。
萩田 そうなれて良かったと思います。どんなに好きでも、あまりに過酷だと嫌いになることもありますから。
松武 家にも高価なオーディオとかあるんですか?
萩田 それが、、、実は申し訳ないですけど、高校時代にはよく通った秋葉原でオーディオ機材をいろいろ買ったり、専門誌を見たりしたんですが、ある時、音質ばかり気になって、音楽そのものを聞いてないのでは?と思ってしまい、それ以来、音質にそんなに拘りがないというか・・・。はっきり言って凄いものは持っていません(笑)
松武 そうなんですか?
萩田 なので、なるべく音には拘らないようにしています(笑)
松武 私、今日は32k96bitのハイレゾ音源で持ってきたんですけど(笑)こんな聴こえないところまでところまで鳴っちゃっていいのか、なんて思いながら聴いていますが、それはそれで・・・・。
萩田 でも、僕も久しぶりに良い音で聞いたような気がしますよ(笑)
松武 これは「今日は絶対、ハイレゾでやってやろう」という、私の「こだわり」です!
萩田 そうですね(笑)
松武 気を取り直して行きましょう。続いてのキーワードは「塩加減」と「パチンコ店」です。
萩田 私たちアレンジャー(編曲家)の世界では、最近、編曲という作業を料理に例えるのが流行っていまして。料理で一番大事なのは塩加減だと思いますが、アレンジにも塩加減というのがあって、一番大事な味付けは「アイディア」だと思っています。もちろんテクニックとか知識も大事なんですが、それが僕らの「塩加減」です。
松武 なるほど!アイディアが塩加減なんですね。それで「パチンコ店」とは何ですか?
萩田 ある時期から「ヒット曲の請負人」みたいに言われ始め、毎回、どうやって編曲しようかなと思っていました。そんな時、「パチンコ店」をイメージして、いろんな音がガチャガチャ鳴っている店の中で、かかっている音楽にお客さんが「あれ?この曲なんだろうな?」と、当時手動だったハンドルの手をふと止める、そんな光景を思い浮かべたんです。パチンコをしている人が思わず手を止めるような編曲をしようと。
松武 なるほど、そういうことだったのですね!最初は釘師の例えかと思いました(笑)
萩田 釘師ですか!?違います(笑)
松武 どんどん次に行きましょう。昔懐かしいところで「鶴の恩返し」です。
萩田 この昔話はご存知ですよね。1つ目は「織物をしている時は絶対覗かないでください」っていうところです。私にも「どうしようかな、こうしようかな」とウンウン言いながら、とても人様にはお見せできない七転八倒がありまして。楽譜を書いている姿は覗かないでくださいと(笑)。2つ目は「織る=編む」というところです。鶴が自らの羽で織物を織ったように、私たち編曲家も自分たちの魂を込めてアレンジをしています。ということを言いたいのです(笑)
松武 素晴らしいです(拍手)。「織る=編む」はまさしくその通りですね。そういうところから萩田さんの4000曲もの作品が生まれたということでしょうか。
萩田 命削ってやっています。
松武 そうですね。ところでイントロは作曲だと思いますが、そのアイディアはどうやって思いつくんでしょうか。
萩田 ヘビームーン。
松武 ・・・・なんですか??
萩田 重い月
松武 やっと出ましたね(笑)。萩田さんのお言葉、待ってました!
萩田 (笑)極端にいえば思いつき以外ありませんが、引き出しはあった方が良いかなと思います。
松武 いろんなものを聴いて吸収するとかですか?
萩田 はい、高校時代からいっぱい音楽を聴いて来たので蓄積はあったと思います。
松武 ということは、、、、改めて萩田さんの作品を聴き返したら「なるほど」と思いつくかも知れませんね(笑)
萩田 意地悪な聴き方をしてもいいですよ。「何からヒントを得たな」とか見つけてくれてもいいですよ。ありますから正直言って(笑)
松武 あははは。
萩田 次は会場の皆さんに選んでいただいたキーワード「格言」です。これは何でしょう。
萩田 自宅のトイレに日めくりカレンダーがありまして、その中に「千里の道も一足ずつ運ぶなり 宮本武蔵」は、大変な仕事でもちょっとずつやっていればいつかは終わるんだ。とか、「良い仕事は無言の説得力を持っている 松下幸之助」とかは、クドクド言うよりいい仕事をしろ、とかいうことを自分に言い聞かせているのです。
松武 トイレにあるんですね。
萩田 はい、トイレにあるんです(笑)「一以貫之(一を以って之を貫く)孔子」とか。音楽の仕事で貫けるのは幸せなことだと思っています。あと孔子の言葉で有名なのは「良薬は口に苦くして病に理あり、忠言は耳に逆いて行いに理あり」とかですね(笑)
松武 後ろの部分は知りませんでした。
萩田 意外に知らないですよね、下の句。
松武 そうですね。でもなぜトイレにあるんでしょうか。
萩田 なぜでしょう。妻に聞いてください。
松武 ウンがつくようにですね(笑) さて、最後は「デジタルとアナログ」というキーワードです。今は作品の録音にもコンピューターを使ったサウンドと、生演奏の両方がありますが、萩田さんにとって「デジタルとアナログ」とはいかがでしょう。
萩田 便利ですし間違いも少ないので、道具はデジタルで良いと思います。でも感覚の部分で言えば、僕らアナログを知っている世代としてはもう少しアナログ感を残さなればいけないと思っています。感覚までデジタルになってしまうと線上で一致している音しか出なくなってしまいますから。「感覚はアナログ、道具はデジタル」でしょうか。
松武 萩田さんの弦のアレンジは絶妙です。しつこいようですがそのコツは何ですか?
萩田 時間がないので僕の本を読んでください(笑)。料理人が美味しいと思ってもらえる料理を作りたいのと同じで、僕も美味しいと思ってもらえる音楽を書きたいだけで、ストリングスもその一部です。
松武 わかりました(笑)まだまだ語り尽くせない部分もありますが、お時間もありますので、本日のトークセッションはこれにて終わります。萩田さん本当にありがとうございました。
以上