ref (レコーディング三者協議会)主催トークセッション Vol.1
記念すべき第1回のゲストは、60年代から今もなおレコーディングの第一線で活躍する、鈴木智雄氏と吉田保氏のお二人。
日本を代表するエンジニアとして数多くの名曲に関わった二人のトークセッションが遂に実現!
進行役はこれも日本を代表するシンセサイザープログラマーの松武秀樹氏。
より深くレコーディングの世界を知っていただく機会として開催された企画。
ここだけの話を。。。
主催:レコーディング三者協議会
協賛:東京音楽事業者連盟 / 一般社団法人 日本音楽スタジオ協会 / 一般社団法人 演奏家権利処理合同機構MPN
Guest
鈴木智雄
Suzuki Tomoo
神奈川県生まれ
1968年、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエ ンタテインメント)入社。1980年、ソニー信濃町 スタジオチーフエンジニア。1986年、録音部 次長。1987年、鈴木事務所に所属
【主なレコーディングアーティスト】
BEGIN・さだまさし・寺井尚子・松田聖子・ 宮本笑里・・・・敬称略
Guest
吉田 保
Yoshida Tamotsu
埼玉県生まれ
1968年、東芝EMI録音部入社。1976年、RVC (当時)録音部入社。1979年、CBS・ソニー (現ソニー・ミュージックエンタテインメント)入 社。六本木スタジオチーフ・エンジニア。1989 年、(株)サウンド・マジック・コーポレーション 設立。2007年、(株)ミキサーズラボにマネー ジメントを委託
【主なレコーディングアーティスト】
大滝詠一・竹内まりや・山下達郎・ 吉田美奈子・・・・敬称略
©Yusuke Kashiwazaki/Red Bull Content Pool
MC
松武秀樹
Matsutake Hideki
神奈川県生まれ
1971年、冨田勲氏のアシスタントとして キャリアをスタート。独立後、モーグ・シンセサ イザー・プログラマーの第一人者として数々の レコーディングに参加。1977年~1982年に参 加したYMO作品では「YMO第4のメンバー」と 称される。1981年には自身のユニット「LOGIC SYSTEM」を結成し、現在までに15枚のアルバ ムを発表
【主な参加アーティスト】
BOOWY・松田聖子・YMO・・・・敬称略
2016年11月21日 月曜日 東放学園 にて
(司会の松武秀樹氏が登場)
松武 こんにちは。まず最初に、みなさんrefって知ってらっしゃる方、どのくらいいらっしゃいますか?(会場を見渡して)あ?結構いらっしゃるんですね。(中略)それでは、早速、登場していただきましょう。まずは鈴木智雄さんです!そして吉田保さんです!今日はrefのトークセッション第1回目ということで不慣れなこともあるかと思いますが、最後までお付き合いください。
松武 いきなりですが、お二人が犬猿の仲じゃないかな、という噂もあったんですが。信濃町(旧CBSソニー信濃町スタジオ)対、六本木(旧CBSソニー六本木スタジオ)というか。
吉田 いや、それは、、、あったんじゃない?(笑)
松武 え??あった!?
吉田 うん、信濃町はCBSソニーだけやってて、六本木は外部(他社の仕事)もやっていて、あの当時(山下)達郎とかやっていて(僕らは)給料のうちでやってたんだけど、(周りからは)アルバイトでやってたんじゃないかなっていう。
松武 いきなり核心に入ってしまいましたけど(笑)、智雄さんは信濃町にいらっしゃって、外部の仕事はなかったんですか?
鈴木 うん、当時のレコード会社って閉鎖的で外の人は入れなかったんですよ。ところが大賀(注:当時・大賀典雄ソニー社長)さんが、「外部のエンジニアを入れて社内のエンジニがダメになるようだったら、社内のエンジニアってろくでもない奴だから、どんどん入れて、ダメな奴は自然淘汰しろ」と。それで信濃町スタジオが出来て何年か経ったら内沼(映二)さんとかがやってきました。(さっきの犬猿の仲について)僕は信濃町で、彼(吉田 保)は六本木で頑張ってたんだけど、周りが面白おかしく話を作るから、そういう話になっちゃった。あと、僕の先輩たちには当時の歌謡曲・ポップスの手本になるような人がいなかったわけ。1978年に信濃町スタジオができたんだけど、そこで保さんが入ってくるじゃないですか。そうすると保さんが僕の先生になるわけ。
松武 えっ??
鈴木 うん、ポップス(レコーディング)の先生。僕にとっては。ドラムの音とか保さんが録るリズム隊の音とか、もの凄くショックを受けた。それでなんとか学び取ろうと。だから「保さんが居なかったら今の僕はない」ってよく言ってるんだけどね。周りが面白おかしく話を作っちゃった。
松武 ちょっと待って下さい。その話は次の所で聞かせてください(笑)
まずはお二人の原点ともいえる作品からお話を聞かせてください。
まずは鈴木智雄さんの影響を受けた作品はこれです!
♪「smashwater jack/クインシー・ジョーンズ(1971)」を聞きながら
松武 これはどういうところに影響を受けたんですか?
鈴木 とにかくカッコイイじゃないですか。ジャージー、ポップで。僕がアシスタントエンジニアをやってた頃に聞いて、こういう音楽が(あの頃の)現場ではなかったんですよ。だから凄くショックを受けて、なんとかこれを目指して生きていこうと。
松武 なるほど。特にどういうところですか?リズム隊とか?
鈴木 いやいや、もう全体。一個一個の音を含めて。そしてこの時にフィル・ラモーン(音楽プロデューサー)という人を知るわけですよ。そして私の師匠になるわけ(笑)
松武 なるほど、そうなんですか。では次に吉田保さんの影響を受けた作品はこれです!
♪「Sussudio/フィル・コリンズ(1985)」
吉田 うん、これは「ゲートエコー」(リバーブの成分を途中で切る、当時流行したエフェクト手法)。松武さんに「これどうやって作るの?」って聞いたよね。
松武 ありましたね。キーペックス(Keypex)という機材を使って作るんですよね。
吉田 うん、それで(再現しようと試行錯誤してやってたんだけど)RMX16の8番のパラメーターで簡単に作れるということがわかって「なーんだよ!」って(笑)。で、(この曲のレコーディングエンジニアの)ヒュー・パジャムが来日した時、成田まで迎えに行って僕の車に乗せて「あれは自然に作ったのか?」って聞いたら「そうだ」と。「いやいや、嘘をつけ、RMX16で作ったんじゃないの?」と返したら首を横に振ってたけど、絶対そうだよね(笑)
松武 凄い、本人に聞いちゃったんですね。さて、鈴木さんは1971年にさっきのクインシー・ジョーンズを聞いて影響を受けたということでしたが、吉田さんのこの曲は1985年ですよね?それまではどうだったんですか?
吉田 それまでは暗中模索というか「よくわかんないなぁ」みたいな。影響を受けたというのはなかったんじゃないかな?(気になる作品はあったけど)入り口に使うだけで、まぁ4.5秒位のロングリバーブつけて、、、、
松武 すみません、吉田さんのリバーブの話は後でゆっくりと伺いますので、今、しゃべんないでください(笑)
吉田 はい。
松武 では次に、お二人がこの業界に入るきっかけを伺いたいのですが、お二人のきっかけになるような人はいらっしゃったんですか?まず鈴木さん。
鈴木 僕は中学生の頃に録音に興味を持ってレコーディングエンジニアになりたいと思って、工業高校の電気系に行ったんですけど、クラスの下から3番目くらいで、あまりにも成績が悪くて、就職相談で先生に録音の仕事をやりたい」と言ったら、「何言ってる。お前の成績じゃ採ってくれる会社なんてないよ」と言われ一度、諦めたんですね。だけどやっぱり諦めきれず、中学の先生で秋山さんという吉田さんと共通の恩師に辿り着くわけです。実は僕達、同じ大宮で高校時代から顔見知りなんです。
松武 じゃ、仲良しなんだ?(笑)
鈴木 仲良しだったかはわからないけど(笑)
吉田 家に遊びに来たりしてたじゃん。俺は行ったことなかったけど(笑)
松武 じゃ、犬猿の仲ではなかったんですね?
鈴木 だからさっきから周りが面白おかしく作ったって言ってるじゃん。人の不幸を喜ばない(笑)それで、話を戻すとその秋山先生に録音の仕事をしたいって言ったら、「CBSソニーが会社が出来たばかりで人を集めてるから来る?」って言われてそれがきっかけです。(注:CBSソニーは1968年設立で鈴木氏は同年に入社)
松武 で、CBSひとすじ?
鈴木 そう、CBS一筋。社員番号79番。それでバイトで入って2ヶ月くらい、当時の専務の大賀さんの顔が真っ赤になるくらい怒らせたりしたんだけど、ある日、大賀さんに呼ばれていったら「君、いい子だから入れてあげるよ」と言われて社員になったんです。でも当時の社員募集は「国籍、性別、年齢を問わず」だったんだけど、その時、正規に応募してたらレコーディングエンジニアの倍率は2、3000倍だったんです。絶対入れなかった。
松武 凄いですね。まだCBS信濃町スタジオができる前、六本木のスタジオの時ですね。つづいて吉田さんのきっかけはどうだったんですか?
吉田 僕は大学に行こうと思って浪人してたんです。僕も同じ工業高校の電気科だったんだけど、その当時、今のような音響学科っていうのはなかったんですよ。芸工大(九州芸工大)のような学科もその2年くらい後に出来たけど、当時はなかったんですよ。だから音には興味があっても学校は日大の芸術学部くらいしかなくて、受けたけど落ちました。その後どうしようかなとおもって音大を受けたんだけどまた落っこちちゃって。で「ブラブラしてるんだったら来ない?」って日音に2年いつつ、日音が原盤を作ってたのでレコーディングスタジオに出入りしてディレクターまがいの事をやってたら、当時、東芝EMIのレコーディングエンジニアで行方さんという方に「お前、電気知ってるんだったらうちの試験受けてみろよ」って言われて試験を受けたんです。
松武 行方さん,巨匠ですね!
吉田 で、試験はすごく簡単で、「Ωの法則」とか電気の基礎ですよ。それと耳のチェック。「1キロヘルツの正弦波を出して2つのフェーダーでセンターを取れ」とか。「なんだ~こりゃ、センターなんか取れねーよ」て適当にやって、そしたら4月から来てくれって言われて。
松武 テキトーで合格したんですか?
吉田 ですよね(笑)あの当時は本当にバブリーな時代で、うちの工業高校からは電電公社とか、東京電力とか、東京ガスとか、すぐに入れたという感じだったんです。
鈴木 それは保さんが行った学校が優秀だったからですよ(笑)
松武 そうすると、吉田さんの場合は行方さんが師匠ということに?
吉田 そうですね。ナメさん(行方さん)が居なかったら入ってなかったかもしれない。
松武 あの当時はラジオ局とか、レコード会社は社員になることが前提だったでしょうけど。
吉田 そもそもレコーディングスタジオの事なんか知らなかったわけですよ。そういう情報もなかったし。専門学校もなかったし。放送学科というのは日大の芸術学部にあったけど、「放送はやりたくねーなー、一度っきりで残らないからなぁー」って思ってましたから(笑)
松武 なるほどね。今日聞いている学生さんたち、非常にためになる話なので、ぜひ書き留めておいてくださいね。じゃぁ、次に進みましょう。お二人がこの世界に入られた頃からマルチトラックが始まったと思うんですけど、4トラック、8トラック、16トラックとあっという間にダーっと行ったと思うんですが、印象に残ってるレコーダーとかはありますか?
吉田 4トラックの頃はマルチトラックといっても中途半端で、最初にリズムトラックとブラスセクションを混ぜたものに、弦(ストリング)だけをオーバーダブするとか、そういう感じでしたね。つまり2ステレオ+2ステレオですね。
松武 弦も同時ってのはなかったんですか?
鈴木 同時だとドラムとかの音が弦楽器にかぶっちゃうんですよ。音量が違うから。当時の歌謡曲ってサビの部分に必ず弦楽器の「駆け上がり」ってジャカジャカジャカジャカって盛り上がる部分があるわけですよ。で、その部分をしっかりと拾うためにも別に録るほうが良かったんです。
松武 今日は弦楽器のミュージシャンもたくさんいらっしゃっていますね。
鈴木 弦楽器の方は昔から優遇されていましたね(笑)
吉田 弦楽器の方も大変だったと思うけど、やはり一発録りは大変でしたね。
松武 そうですね。1発録りの技量ってのは、レコーディングエンジニアの方はなんというかギリギリまでマイクの位置とかを調整されていて、(コントロールルームで)フェーダーを上げるとほとんど出来上がっているというか、あれは慣れなんですか?
吉田 まぁ、慣れですね。(僕の場合)はじめはベースの音とかで自分なりの音量設定をして、当時のテープはすぐ歪んじゃうやつとか多かったから、レベル管理がとても大変でした。
松武 歪んじゃうと録り直しになっちゃいますよね?
吉田 そんな暇はないんですよね。
松武 じゃ、歪んだまんま?
吉田 歪ませないようにやらないと。
松武 歪ませないように録るというのは、小さく録るということですか?
鈴木 いやいや、当時、2チャン同録(1発録り)のスタジオって楽器やマイクの位置とか、アッテネータの位置とか決まってたんですよ。その通りにするとそこそこのバランスで録れるようになってたわけです。で、そういう時代は極端な話、レコーディングエンジニアは誰でも良かったわけ。誰がやっても同じだから。(笑)。アナログレコードで歪んでいるものはいっぱいあるんですよ。レコードの時代に(カッティング時や再生時の)針で歪んでるのかと思ってたら、CDで聴いても同じ所で歪んでるわけ。だけどマルチトラックになってレコーディングエンジニアによってマルチテープからトラックダウンすると音楽(の仕上がり)が違うっていって、ミキサーっていう存在が認知されるようになったんです。保さんは素晴らしい職人さんで凄いことを一杯やってました。
松武 なるほど。で、その後はマルチトラックレコーディングが主流になってきて、デジタルのレコーダーが登場してくるんですが、アナログからデジタルに変わる時代に、自分たちの技術というのはどの様に変化したんですか?
吉田 アナログ(テープ)は時間の経過で変化することがあるわけです。磁性体では高周波から落ちてゆくので(録音してから)5分後の音、10分後の音、1時間後の音、2日後の音、段々とハイ落ち(高音域が減少)してくるんですよね。でもデジタル(テープ)になったら音が出るか出ないかということであって、44.1kHzの場合だと2万ヘルツくらいまで録れるけど劣化がないんですよ。だから僕としてはデジタルになってS/N比も良いし、「バンザーイ」という感じでしたね。
松武 じゃ、歪は気にしなかったんですね。
吉田 (テープレコーダーの)赤(ランプ)が灯かないようにね。ただ、ドラムとかピークはあるから、VU計でマイナス10dB(デシベル)とかで録っておくとか、レベル管理は(アナログテープに比べて)余計、しっかりやるようになりましたね。
松武 鈴木さん、デジタルのテープレコーダー(SONY PCM3324)ってCBSソニー信濃町が最初に導入したんですか?
鈴木 そうです。
松武 PCM3324が入った時、鈴木さんが印象に残っていることはありますか?
鈴木 そうですね、また保さんの話になるけど、彼はスタジオにミュージシャンが入る前にEQ(イコライザー)をセットするんですよ。まだ誰も居ないのに。それで(ミュージシャンが入って)演奏するとちゃんとバランスが取れているわけ。なおかつ驚きはアナログってインプットとアウトプットの聞こえ方が違って、再生すると必ずハイ落ちするんだけど、彼はそれを見越してオーバーEQで録音するわけ。
松武 なるほど
吉田 まぁ、要するにハイ上げだな。
鈴木 だからインプットで聴くとハイ上げなんだけど、再生するとちょうど良くなっているわけ。
松武 劣化する部分を頭のなかで計算しているんですね
鈴木 頭だか耳だかわからないけど。僕はそういうことが出来なくて、インプット側の音でしか調整できなかったから、3324になった時にインプットとアウトプットで 同じ音がするのは「バンザイ!」だったんですよ。
吉田 まぁ、コンソールのアウトプットと、テープレコーダのインプット(テープモニター)の音の違いはあって、最初の3324のテープモニターの音は良くなかったけどね。でもS/N比も良いし、電気特性も良いし、周波数特性は若干おちるかもしれないけど。
松武 PCM3324って前面のカヴァーが空くじゃないですか。中にデジタルエラーを表示するランプがチカチカしてましたけど。
吉田 あれは補正(のランプ)ね。(デジタルの)エラー補正
鈴木 そんな話しなくたって若いやつは判んないからいいよ(笑)
松武 いやいや、そういう技術をソニーは持っていたという、、、
吉田 うん、でも補正した音が本当の音かと言われると疑問符は出るんだけど、(デジタル信号に)補正は必要だからね。
鈴木 ヘッド上でテープ(磁性体)を擦っているわけだから物理的に何かは起きるわけ。
松武 そういった意味では(デジタルテープレコーダーってのは)半分、アナログだったんですかね。
鈴木吉田 (二人揃って)アナログとは言えないだろうけど(笑)
松武 その後にPCM3348が登場してきますけど。
鈴木 PCM3348は1988年とか1989年くらいですね。
松武 個人的には48トラックも必要だったのかな?って思ってたんですけど。
吉田 マルチトラックレコーダー全盛時代だったからトラック数が多いほうが良かったんじゃないかな。
鈴木 なんでPCM3324からPCM3348になったかというと、PCM3324の発売当時、三菱が32トラック(X-800,X-850 1インチ幅のテープ)を発売したんですよ。24トラックと32トラックの戦い。だからソニーとしてはトラック数を増やして勝負に勝つしかなかった。
それでPCM3324と同じ1/2インチのテープに48トラックをレコーディングできるよう開発したんですよ。でも当時アメリカのAESショーで三菱のブースには「24トラックと同じテープに48トラックができたら、豚が空を飛ぶぞ」ってバカにして、三菱のトラックに豚の絵が書かれた風船が立ててあったんですよ(笑)。ところが翌年にソニーがPCM3348を開発したんです。その年ソニーは豚が落ちた様子を展示していました(笑)
松武 本当ですか?
鈴木 本当(笑)
吉田 PCM3348はPCM3324の1chと2chの間に25chがあるという、つまりトラックの隙間を使っていたんですよね。当時、スチューダーも同じフォーマットのマルチトラックレコーダを出していたんだけど、ソニー製のヘッドを使っていました。
松武 すごい技術ですね。アナログマルチの時代は隣り合うトラックのクロスオーバー(音漏れ)とかがありましたが、デジタルになってからはどうだったんですか?
吉田 数字上はありますけど、ゼロに等しいです。
松武 でも トラック数が多くなるとレコーディングの時間というか、スタジオに居る時間が多くなって。
吉田 それは必要に応じてトラックが増えてきちゃったからね。今やプロツールスで録ると200トラックとかあるしね。
松武 無限ですね(笑)
吉田 ミックスダウンする時に120トラックくらいは当たり前にあるよね。
松武 聴くだけでも大変ですね。
吉田 大変、大変。だから一個一個なんてチェックできないよね(笑)
松武 それでは次のコーナーに入りますが、ちょっと質問です。
「録音時に心がけていること」はありますか?まずは鈴木さんどうぞ。
鈴木 「自分の姿を録音物から消すこと」ですね。
松武 「無の境地」ですか?
鈴木 「無」じゃないですけど、音楽はミュージシャンがいてこそ成り立つわけだから、 自分は「音楽を作っているところに介在すべきではない」と思ってるんです。
松武 う〜ん
鈴木 だから「音はミュージシャンのものであって、レコーディングエンジニアのものではない」と思ってるんです。だから(例えばミュージシャンが)4人で演奏すれば、ちゃんと個性が出るようにする、と思ってやってるんです。ということは自分の姿を消すということなんです。
松武 だって鈴木智雄さん居なかったら出来ないじゃないですか。
鈴木 誰だってできますよ(笑)と自分は思ってるんです。
松武 吉田さんはどうですか?
吉田 僕は「音色作りで自分の個性を出す」というか、音色作りはこっちがやらなきゃいけないなって思ってます。演奏はミュージシャンに任せるけど。音楽に介在するってことではないけど、それもレコーディングエンジニアの存在かな。
松武 ミュージシャンってうるさいですよね?「そんなにリミッターかけるなよ」とか(笑)
吉田 クレーム出たら直しますよ、やっぱり(笑)でもミックスダウンの時はレコーディングエンジニアがやるので、もっと過激にするとかね(笑)
松武 ミックスダウンの時はミュージシャン居ませんものね。思うツボっていうか(笑)
吉田 思うツボとは思わないけど、音楽をどういう風に表現するかというのは、ちょっと厚かましいけど「エンジニアも仲間に入れさせてよ」って感じですよね。
松武 なるほど。では次の質問ですが「お気に入りの機材」というのはありますか?
例えばコンソールとか。お二人ともNEVEでしたよね?
鈴木 NEVEは若い時の話ですけどね(笑)
吉田 NEVE1073(プリアンプ+EQ)とかですかね。簡単なんだけど、使い慣れているせいか、特に弦楽器なんか凄く艶やかな音を録れるというか良いですね。
松武 このまえ乃木坂(ソニー・ミュージックスタジオ)に行ったら、六本木のスタジオにあったNEVEのリミッターがあったような。
鈴木 六本木のコンソールに使われていたやつですよ。当時の機材は今と違って基盤の配線も太いんですよ。トランジスタの 音響機器は電流増幅なのでプリント基板の電流が通る幅が広いほうが有利なわけです。
松武 なるほど。煙が出たことありますけどね(笑)
鈴木 真空管もトランジスタも電流が多く流れる方が良いんです。昔の基盤の方が(今のコンパクトな製品と違って)電流が流れやすいんですよ。そこが昔の製品は音が良いって言われる所以なんです。あるメーカーの技術者に言われたんですが「鈴木さんこれからマイクの音は良くなりません。なぜならば部品がどんどん小さくなるので」と。
松武 ふーん。
鈴木 放送用のマイクとかはだんだん小さくなってくるけど、音響用のやつはそれだと困るんですけどね。そもそも消費電力が違うし、増幅量も違うし。
松武 そうなんですね。さて、次のコーナーはお二人が手掛けた作品を幾つか伺ってみたいんですが、まずは鈴木智雄さんから行きましょう。この曲です。
♪「sweet memories/松田聖子」(1983)
松武 有名な曲ですね。私もレコーディングに参加しましたが。いかがでしたか?
鈴木 う〜ん、簡単。というか恥ずかしい話なんだけど、松田聖子さんの時代のドラムの音と、今の自分の音を比べて、そんなに変わっていないんですよ。聴く度に凄く恥ずかしいわけです(笑)。あの時代で自分のスタイルが出来てしまったのかな?なんて。もちろんその後も変化はしているんだけど、リズム隊の作り方なんて、この時代で出来てしまったのかなって(思っています)
松武 なるほど。ちなみにこのドラムの音って、僕が持ってきた「オレンジ」というサンプラーですね。
鈴木 そうですね。当時はそれをEQしてましたね。歌とドラムの鳴り方の関わりって、当時と今でも全然変わっていない気がします。
松武 この曲、たしか最初のシングルの時にはB面(カップリング)でしたね。その後、CM(サントリー)のあとに両A面になったような。
鈴木 よく知ってますね。
松武 これは亡くなった大村雅朗くんのアレンジでしたけど、ワガママだったなぁ。
鈴木 その話すると長くなるので止めましょう(笑)ちなみにこの曲のイントロ部分は松武さんが作った音をテープに録ってそれを逆再生したものにダビングを重ねる事になったんですが。僕は算数が出来なくて、(アナログテープのヘッドが上下逆になるのだが)17トラック目に録音したものをひっくり返したら何トラックで再生されるんだろうとか苦労しましたよ。
松武 失礼しました。ちなみにこの音はプロフェット5(Prophet-5)というシンセで作ったんですが、なかなか思うようにできなくて凄く時間がかかったような(記憶があります)。
鈴木 あの大村さんの「高い所にいこう」という気持ちとか。あの粘りは辛かったけど、楽しかったですよね。
松武 そうでうすね。今聴いても古くないし、新鮮というか斬新ですね。でも、歌、でかいで
すね!僕が一生懸命やったのが耳を澄まさないと聴こえないというか(笑)
鈴木 悪かったな(笑)この頃は歌をデカくしなきゃいけなかったんだよ!歌の情感を出そうとして、当時の若松さん(若松宗雄:CBSソニーの松田聖子担当ディレクター)は歌を大きくするわけ。そのアプローチは凄く正しいと思っているんだけど、他のスタッフは「ボーカルは楽器の一部」みたいに考える人も多かったから、「歌がデカイ」と言われましたね。
松武 歌がデカイほうがやっぱりアピールがね・・・・・
鈴木 今、「歌がデカイ」って言ったじゃないか(笑)
松武 次の曲に行きましょう。
♪「クリスマス・イブ/山下達郎」(1983)
松武 これは、毎年、これですね。
吉田 毎年ねぇ、この時期からそろそろ、トップ100に入りますね。
松武 この曲の思い出はどうですか。
吉田 この曲、本当は竹内まりやさんに書いたみたいなんだけど、自分が歌うことになって、間奏も最初はサックスのメロディだったのを、パッヘルベルのカノンにして、まぁね、著作隣接権(の報酬)がレコーディングエンジニアにも還元されれば、、、、、(笑)芸団協のメンバーなんですけど、なんで隣接権が、、、日本ミキサー協会、、、、
松武 その話はちょっと(笑)
吉田 よろしくお願いしたいと思うのですが。
松武 (強引に切り替えて)この曲、知らない人はいないですね。コーラスのハーモニーとか凄く心が洗われますね。この間奏の部分ですね。
吉田 これはスレーブの24トラックにコーラスを録って、それを2トラックにまとめて、ミックスするという。
松武 山下達郎さんは当時、リズム・セクションは2インチテープのアナログ16トラックで録るという話を聞いたことがあるんですけど。
吉田 当初はね。後は2インチテープの24トラックですよ。この曲もアナログの24トラックですね。当時、16トラックから24トラックになってトラックの幅が狭くなったので、ちょっと特性的には悪くなったかな。そこが彼は気に入らなかったかもしれないですね。彼は「BIG WAVE」(1984年のアルバム)からデジタルになったかな?
鈴木 この曲って誰が聴いても「吉田 保さんの音」だと思うんですが、当時、アルバムが発売される時に宣伝のパンフレットに「エンジニア=吉田保」って書いてあったんですよ。これは凄いことだと思うわけです。若い人たちは僕みたいな生き方をするのか、吉田さんの様な生き方をするのかは、選ぶべき分岐点だと思いますね。
松武 おっと、なんか、核心に来ましたね。
吉田 まぁ、でも、誰が聴いても俺の音だと分かっちゃうと、「あの人に頼むと、こういう音になっちゃうから」(笑)、、、やばいっすよ。
鈴木 そういう音だから保さんは今まで生きてこられたわけで。
吉田 いやいや、半分、引退しているようなもんだけど(笑)、今は同録を出来る人が少ないので、最近のレコーディングは演歌が多いですね。演歌、楽しいです。一発録音だから緊張感があって。
松武 後にも先にも一回のみ。
吉田 そうそう、昔を思い出したりして。
松武 それでは次の曲です。
♪「Birthday/さだまさし」
松武 さあ、この曲ですけど、鈴木さんギターの録音が大変ではないですか?
鈴木 マイクはノイマンのKM56(NEUMANN KM56)です。
松武 高いんですか?
吉田 KM56は狙いやすいよね。
鈴木 うん、でもマイブームみたいなものはあって、KM56が良いときもあれば、4011(DPA4011)が良いときもあるし。だいたいどっちかですね。でも、なんの楽器でも大変ですよ、一番大変なのはバイオリンかな?
松武 音が小さいからですか?
鈴木 いやいや、生の音と録音したものの音の差があり過ぎて、いつも落ち込みます。「なんで生の音はこんなに良いのに、録音されたものはこんなに酷いんだって」自分の存在を消したいから、生で聴いた音がスピーカーから出てくるのが理想なのに、バイオリンはそうは行かない。
松武 そうなんですね。「さだまさし」さんの様な音楽は、僕の様なテクノとは違って難しそうですね。
鈴木 難しいと言ったらなんでも難しいし、逆に簡単といえば、なんでも簡単ですよ(笑)
松武 ちなみにこの曲のトラックダウンにはどのくらいの時間がかかったんですか?
鈴木 この曲は3〜4時間でしょう、きっと。
松武 3、4時間??(そんなに短い)
鈴木 だって、昔はアルバム12曲を3日でミックスしたんですよ。24トラックの頃。
1日に3曲とか4曲とか仕上げて。だから1曲にかけられる時間も3〜4時間だったんです。そういう所で仕事をしてきたから、1曲に1日かけられるような体力もないし。
松武 なるほど、録音するときからトラックダウンのことを考えつつ、作業をされるんですか。
鈴木 そうですね。よく「足し算方式」って言うんだけど、どんどん積み上げていってイメージはそのまま最後まで持っていくという。ご破算にして改めて最初から作るような、途中でぶっ壊す人もいますけどね。
松武 そうなんですね。話は変わりますが、自宅のオーディオ装置に大変こだわっておられるようなんですが。そもそもご自分の音を確認するための目的なんですか?
鈴木 基本は中学2年の時に真空管のアンプを自作したところから始まっていて、アンプによってレコードの音が違うと気づいたところからのスタートなんです。基本的にはオーディオが好きですね。何よりもオーディオ装置の前に座っているのが好きですね。
松武 ということは電源ケーブルが1メートル、ウン万円とかいう、、、
鈴木 そうそう。1本、100万、200万は普通にありますね。でも大体ろくでもないけど(笑)
松武 吉田さんのご自宅のオーディオは?
吉田 総額?総額は200万くらいかな?
松武 総額は聞いていないですけど。一番かかっているのはなんですか?
吉田 スピーカーですね。JBL4320という昔のスピーカのウーファーだけTADに
替えて使ってます。自宅の中のプロツールスが入っている仕事部屋からリスニングルームまでに10mくらい同軸ケーブルを引っ張って、デジタルで聴いてチェックします。
松武 最近、「ハイレゾ」という言葉が普及してきましたが。聴かれますか?
吉田 しょっちゅう、聴いています。
松武 昔のものと決定的に違うことってありますか。
吉田 僕はアナログ盤よりハイレゾの方が良いですね。昔のシステムで聴いてもハイレゾの方が良いと思うかな。
松武 鈴木さんはどうですか?
鈴木 アナログは針とかアンプとかで実に変化するんですよ。作り上げたときとは違うけど、艷やかだったり、本当に良いんですよね。今、再びアナログが流行ってきたことは理解できます。ただ、自分がそれを持ち込んで自宅で聴くことをするかと言われれば、それは職業的にやりたくない。あくまでもコンソールから出力した音を自宅で再現したいですね。
松武 それでは次の曲に行きましょう。
♪「雨のウェンズデイ/大滝詠一」
松武 大滝詠一さんですね。それではここで「10秒リバーブ」の話を伺おうと思いますが。
吉田 これはEMT140 1台だけですよ。
松武 えっ?そうなんですか?ソニーのDRE2000とかは?
吉田 これは使っていないですね。DRE2000はEMTをシュミレーションしたデジタルのリバーヴだったんですが、それが14ビットだったので。
松武 14ビットとはずいぶん中途半端な。
吉田 うん、16ビットだったら良かったんだけど14ビットで。I/Oは付いていたんですが、使いみちもなくてアナログアウトを使ってやっていました。
松武 なぜ、吉田さんはリバーブに凝るんでしょうか。
吉田 当時、エフェクターで大々的に音に影響を出すためには、EMT、リバーブが一番イフェクタブル(効果的)であったと。
松武 リバーブは鉄板(EMT)とスプリング(AKG BX10/20)がありましたよね。
吉田 AKGは「ビンビン」というスプリング(バネ)の音がするからあまり、、、自然さがなかったというか。EMTの方が自然でしたね。
松武 EMTの最高は何秒だったんですか?
吉田 5秒です。
松武 では大滝さんの「じゃ〜ん」というのは?
吉田 あれは5秒ですね。
松武 僕らの間では10秒という話だったんですけど(笑)
吉田 10秒は物理的にEMTでは表現できない。DRE2000でも9.9秒が最高です。
松武 はあ。よく保さんのトラックダウンをやっているスタジオでスネアを叩いたら「じゃーーーーーーーーーーーー」(一説には数分間リバーブが続くという噂があった)
吉田 それは10秒は作れないでしょ・・・。結局、そういう長さを感じさせる音色にリバーブをセッティングするんですよ。そうすると「リバーブがよくついてるな」となると。ひとつの僕の音創りの主張だったわけです。
松武 ・・・・誰ですか、そんな話を作ったのは(笑)でもオーバーリバーブだと何を演奏しているか分からないような事になりがちでしたけど、吉田さんの場合はクリアで音が前に来ていましたね。
吉田 それはエコーやリバーブが付いたイメージを持ちながら音録りをするということですね。要するにドラムとかギターとか派手に録っておくということですね。
松武 鈴木さんは今の話、どうですか?
鈴木 僕は正反対で、リバーブは調味料みたいなもんだと思っていたんですよ。昔はEMTしかなかったけど、それでも長いのと短いのや音色を変えたりとかで2台使ったりしていました。
松武 リバーブ、ディレイの使い分けというのはどうでしたか?
吉田 リバーブのディレイタイムをテンポに合わせて16分音符あとに設定してましたね。そうすると実音がはっきり聞こえた後にリバーブが出てくるので効果的なんですよ。
その時代はそれでよかったもしれないけど、今はちょっと古い感じになるのかもしれない。今はリバーブにディレイは入れていないですね。
松武 アーリーリフレクション(初期反射)はどうでしたか?
吉田 アーリーリフレクションは63msec以下だったら音圧を上げられるので、ちょっと専門的になるけど、63msec以下のアーリーリフレクションをどんどん重ねていくと、音圧が上がったように聞こえるんです。
松武 皆さん、今のご説明はご理解いただけたでしょうか(笑)63ミリでございますけど。
吉田 (63ミリ)以下はね。それ以上はディレイになっちゃうから。ギターとかには有効的に使えるという。
松武 はぁぁぁぁ。でもリバーブって気持ちいいですね。
鈴木 EMTは万能薬ですね。もう作ってはいないけど。
松武 メンテして使い続けるしかないんですね。昔EMTにも鉄人28号みたいなモデルがありましたよね?
鈴木吉田 あれはデジタルですね。
松武 あれはソニーには入っていなかったんですか?東芝のスタジオとか他ではよく見かけた気がするんですけど。
鈴木 あれはろくでもないもんだったね。
吉田 量子化ノイズが「シャー」っていって。
鈴木 余韻が最後の頃になると目が荒くなって。
吉田 「ジリジリジリ」ってね。ソニーにはなかったね。
鈴木 ソニーではリバーブを買うときの決裁は吉田さんだったんですよ。
吉田 うそぉ。
鈴木 というくらい保さんはリバーブを上手く使っていたんですよ(笑)
松武 じゃ、RMXが導入されたのは保さんの力なんですね。
鈴木 あるかもしれないですね。年中、レンタル会社から借りるんですが、そのころ僕は管理職やっていて「なんだこりゃ」という話になって、備品を購入する時にCBS本社の役員から「何年でもとが取れるんだ?」と聞かれるんだけど「3年以内でリクープできないのは買わない」って言われるんですよ。でもレンタルで社外にお金を払うことと、購入して使用料をもらうこととを比較してなんとか買ってもらいましたけど、苦労したんですよその時は(笑)。
吉田 買ってもらったらちゃんと使わないといけない(笑)
松武 リバーブでもうひとつ、クオンテック(QUANTEC)のタージマハールというのがあって、それも100秒エコーみないたモデルでしたが。
吉田 ああ、あれは暖かいけど、暗いエコーですね。それは買わなかったかな。
鈴木 そんな古い話をしてもしょうがないじゃん。若い人にはQUANTECのプラグインないし(笑)
松武 今、プラグインで良いのは何ですか?
吉田 オックスフォードとか、ウェーブスもあるし。今のプラグインのリバーブは特性が良すぎてリターンにローファイとかを入れたほうが良いかもしれないですね。そうすると効果的な昔の温かいエコーが作れるかもしれません。
松武 鈴木さんはどうですか?
鈴木 プラグインのリバーブよりも、自分にとっては外付けの古いリバーブが良い仕事をするんですよ。だから相変わらずソニーのMUR201とかSRV330とか使っています。それと同じことをプラグインでやろうとすると、なんか薄っぺらいんですよ。
松武 デジタルはだめだってことですか?
吉田 アナログっぽく、特性を落としてあげればいいんですよ。僕は全部プロツールスの中で完結していて、その中で外部の機器をつなぐと接触不良とかがあって、いっぱいケーブルを使わなくてはいけないし、電気は食うし、プラグインはどれだけ使っても接触不良はないからね。今はCPUの性能も良いし。
松武 そうなんですね。さて、ここで質疑応答をしてみたいのですが、お一人ずつお答えいただけますか?
まず最初の質問です。80年代のスタジオにソニーや3Mのデジタルマルチトラックレコーダが導入されましたが、その音の感触はいかがでしたか?また初めてのデジタル録音の作品は何ですか?
鈴木 覚えてるわけ無いじゃん(笑)第一印象はインプットとアウトプットの音が近いこととレベル管理のし易さですね。小さい音で録っていてもトラックダウンの時にノイズが目立たなくていいとか。最初のレコーディングは思い出せないですね。
松武 ある時を境にアナログをやめてデジタルになったんですか?
鈴木 そうですね、早かったですね。
松武 でも(CBSソニーのスタジオに)スチューダーのマルチは置いてありましたよね?
鈴木 はい。24トラックでは足りなかったので使っていました。2台を同期するのに時間がかかって大変でしたが。
松武 吉田さんはどうですか・
吉田 初めてのデジタル録音は(PCM3324を使って)CBSソニー六本木スタジオでやった山下達郎の「BIG WAVE」じゃないかな。あれは手前味噌だけどいい音してたかな。とにかくレベル管理だけ上手くやってれば、S/Nも悪くなくて多少レベルが小さくても大丈夫だったので良かったですね。歪もないし、音の劣化もないし、始めから創った音を入れておけば、そのまま行けるというか。
鈴木 歪んだ様には聴こえないよね。
松武 「赤いランプが点くくらいに録るといい」と聞きましたが。
吉田 フルビットだからね。
鈴木 点きっぱなしはだめよ。
吉田 -10dBから-15dBくらいで録っておいたほうが、ミックスしたときフェーダーが丁度ゼロポイントの所でバランスが取れるというか。ちょうどいいアウトプットの状態になる。
鈴木 ここで主義主張が違うんだけど、僕の場合はフルビットで録りたいんですよね。フルビットで録ってフェーダーで下げるという。
吉田 僕は最終的にトリムとかで微調整がやりやすいように。基準レベルから+1とかー1とかの設定にしてやっておくと、ミックスの時にやりやすいとか。「後のことを考えて録る」っていうのが一番のポイントですね。
松武 僕は師匠の冨田勲先生から「歪まない最高値で音を送れ」と言われたんですけど。
鈴木 正しいですよ。
吉田 正しいですね。
松武 じゃぁ、シンセの方は今日からそうしていただいて。次は、「ぶっちゃけレコーディングエンジニアという職業は稼げますか?」という質問です。
吉田 昔はね?そういう時代もあったね。時間で計算したし。ただ、僕の場合は機材とかでなく、車に消えたかな。俺の場合はジジイ車ばっかりだけど(笑)今はゴルフして、余った時間でミックスして、猫と遊んで、御飯作って。
松武 鈴木さんは儲かってる?
鈴木 (ちょっと詰まって)いい時代はありましたよ。弁護士さんやお医者さんくらいの時間単価を貰っていることもありましたが、彼らほど勉強はしていないわけです。ここにいるみなさんもそうですよね?(笑)ちゃんと勉強してたらこんな所にいないって(笑)だけど好きなことやって食って行ければいいじゃんという。でも会社員からフリーになるのには会社員の時の年収の3倍稼がなくては意味がないんです。フリーになると保険料とか経費とか色々あるじゃないですか。だからその自信が無いんだったらフリーになるのはやめたほうが良いかなって思います。それとこれからフリーをめざすエンジニアの人に言いたいことは、ミキサーという職業はレコーディングもあるし、コンサートやイベント、企業ものの仕事とか、エンジニアにも色々あるけど、レコーディングだけでやっていくのはまずいと思います。なぜならばアーティストも10年続く人はそうそういない。時代が変わっていくと世代も変わっていくから、PAなどのエンジニアもやっていれば安全パイ(仕事の幅)が広がるんです。
松武 PAとレコーディングでは聴く人の数が大きく違いますよね。
鈴木 そう、違いますけど、音楽をミックスするということに置いてはまったく一緒だと僕は思っています。
吉田 要するに出音を決めるわけだからね。結果的には同じですね。
鈴木 ミュージカルなんかも一緒ですね。
松武 次の質問ですが、ソニーの社員時代(会社に内緒で)アルバイトはやりましたか?
鈴木 内沼(映二)さんに聞いたほうが良いんじゃないですか?(爆笑)
吉田 ソニーの会社員になる前はやってました。食えなかったから。ソニーに入ってからは給料が良くなったので。
松武 東芝EMIとソニーとではどちらが給料高かったんですか?
吉田 圧倒的にソニーです。
鈴木 ソニーは良かったよ。
吉田 CBSソニーに入って初めて家族5人を養えるという。
鈴木 ボーナスが年6ヶ月出るんだから。夏と冬と2月に特別賞与。
吉田 ベスト100にいくつ入っているかということで特別賞与が決まる。何百万と出たときもあったね。
鈴木 当時、保さんと「若い奴らに夢を持たせるために、車だけは良いのを買おう」と話していました。保さんはトヨタのクラウンで、僕は日産のスカイラインとか。僕のレコーディングエンジニアが儲かりますか?という質問への答えは「やり方次第では安定的に儲かりますよ」ということですかね。ただ、ごく一部の人だけど。上から20%くらい。
松武 そこへ行くのにはどうしたらいいですか?
鈴木 それはビリケンさんでしょ(笑)
吉田 僕は好きなことをずっとやってきちゃったから、「多少、食えなくてもいいか」ということもあるよね。あとスタジオ協会の理事とか、ミキサー協会の理事長をやったりしているから、その分、皆んなと会えて、色んな話が出来て。「毎月赤字だけどまぁいいか 」って。あとゴルフが出来て、猫のご飯をあげて (笑)
松武 僕はミュージシャンとして、レコーディング・エンジニアがいて音楽が成り立っていると思うので、(レコーディングエンジニア以外の人が作業を)やってやれないこともないけど、そこは知識とか場数を踏んだ人の存在は、(プロツールスが普及した現在でも重要と思うんですが)
鈴木 プロフェッショナルのエンジニアとそうでない人の違いをいうと、例えばアレンジャーが自分の作品を自分でミックスするのには適しているかもしれないけど、プロフェッショナルのエンジニアというのは色んな人の、色んな種類の音楽に対応できるわけです。僕はそこだと思います。保さんはどうですか?
吉田 あのこんなことを言っちゃ失礼なんですけど、(例えば)ストラヴィンスキーが自作自演した「春の祭典」と、カラヤンが指揮した「春の祭典」があったとして、どちらが聴き応えがあるかというと、カラヤンのやった方が色彩感とか全然違って。それと次元が同じとは言わないけど、エンジニアが(音楽に)介入して、自分のイメージした音を作って、その音楽の値段に見合った音を作る。ということがプロフェッショナルのレコーディングエンジニアの役目ではないかなと思うんです。
松武 鈴木さんは?
鈴木 僕はミュージシャンの音をそのままって思ってるから、わかるでしょ?「誰が聴いても吉田保!」っていうサウンドとはそこが違うんです(笑)
松武 (笑)そうですね。さていよいよ最後のコーナーですが、お二人の最近の作品を聞きながら締めのトークをしたいと思います。
♪「リベルタンゴ/寺田尚子」(2015)
松武 今日はお二人の考え方(アプローチの違い)というのを伺えたんですが、やはり「人を感動させたい」という気持ちというか、技術というか、一言でいうと何ですか?
吉田 「感性」じゃないかな。技術的なことは習得できるけど、プラス感性をいかに
上手く作品に入れるというかな。大きなおせっかいかもしれないけど、そこに「自分がいる」ということを主張したいですかね。
鈴木 保さんみたいな人は稀有で、だからこそ「吉田保」という名前が残るのであって、オイラはそうじゃないから(笑)僕はミュージシャンがスタジオに入って、演奏しやすい環境を作ってあげていい音楽が奏でられるようにヘッドフォンに返したり、みんなが気持ちよく音楽出来て、それをまとめると。そうすると自然に音楽は出来上がると。僕はそう思っています。
吉田 ヘッドフォンのモニターバランスもちゃんと作ってあげないといけないよね。それも音作りに入っていると思いますね。そこでいい音でモニターバランスを取ってあげたら演奏ももっと良くなるって。
鈴木 さらに言えば、入ってきた時に「おはようございます!」って言えるか、そこから始まるわけよ。
松武 挨拶できないとだめですよね。
鈴木 時々、いじったりして楽しい雰囲気を作ってあげるわけよ。
松武 スタジオの中でゴルフの練習しだす人もいましたね。
鈴木 今日、(この会場に)いらしてる。萩田さんどこにいますか(笑)
松武 どっか隠れちゃった。
鈴木 萩田さんという人がいてね、スタジオからいなくなっちゃうんですよ。で、探しに行くわけ。そんなことやってましたね(笑)
吉田 萩田さんはフェーダーをいじるのが好きでね、「だめだよー」って僕が怒ると帰っちゃったことも(笑)同録の頃から付き合ってるんだけど、萩田さんの曲を録るのは難しいんだよね。
松武 弦とか。
吉田 そうそう、失礼ではない意味で管弦楽的ではないんですよ。だから非常に面白いけど、本当に(音量を)上げないと、その(萩田さんの聞かせたい)楽器が意味を成さないという、そういうアレンジなので難しいんです。
松武 ということはレコーディングエンジニアはアレンジャーがどういう事を考えているかを見越して録音しなきゃいけないという・・・。
吉田 そう、東芝EMIの時代に初めてお会いしたんだけど、萩田さんのアレンジを同録で録るのはエラい大変でした。あと筒美京平先生の曲とかも。一発録音だからフェーダーの上げ下げをやらないと成立しない。
鈴木 俺は萩田さんに「どうぞどうぞ」って言ってましたよ。「手を貸してください」とか「どういう風にしたいか見せてください」とか。それを聞いて「もう少しこうしたらどうですか」とかあくまでも謙虚にね(笑)
松武 作曲家や編曲家のイメージをいち早く知るということが技術者として大切なことなんですね。
吉田 楽なアレンジャーとしては小野崎孝輔さんとかみたいなアカデミックな。萩田さんがアカデミックじゃないというわけじゃないんだけど(笑)小野崎さんとかはフェーダーを動かさずに録れました。
鈴木 時代だよね。
吉田 そう、でも萩田さんはマルチトラックになる前から新しいことをやってました。
鈴木 大村雅朗さんのアレンジも「針の穴に糸を通すような」繊細でしたね。フェーダーを1ミリ動かしたら「嫌い!」とか言われちゃって(笑)今のプロツールスみたいに再現性がなかった時代にやらなきゃいけなくて。
松武 スタジオから出ていっちゃったりしてね。昔は皆でいい作品を作ろうとして、戦いもあっていい作品が生まれたような気もしています。今のレコーディングもコミュニケーションは大切で、その中核にいるのがレコーディングエンジニアだと思っているんですけど。
吉田 著作隣接権(の○○)をぜひともお願いしたい。ミキサー協会も一生懸命頑張っていますんで(笑)
♪「星の海/吉田美奈子」(2016)
鈴木 レコーディングエンジニアってコンソールの前に座ったら、その場の責任が全部あると思ってるんです。例えばミュージシャンが病気になって救急車を呼ぶのはミキサーの役目だと思ってるんです。要するにその場を全部預かるくらいの気概がないと成り立たない。という気持ちで僕はやっています。結局は「熱意」でしょうね。ミュージシャンにやる気になってもらうのは、良いプレイバックをするというか。
松武 プレイバックが気持ちいいと「OK」ですね。ミキサー冥利に尽きますね。
吉田 録る時はあまり入り込まず録って、最後は入り込まないといけないというか。
松武 では最後に今後のお二人のご予定を教えていただけますか。
鈴木 墓場への道(冗談)。何十年やってきましたが今だに発見することが多くて、やっぱり面白いです。わからないこともいっぱいあるし。もっともっと高みに行けるとおもっています。音楽家の人のストレスにならないような仕事をしたいですね。
吉田 最近はミックスばっかりですが、ソニー・ミュージックダイレクトで「吉田保レーベル」みたいのもあるし、それをもっと(広めて行きたい)ね。今かかっているのは、去年録った、妹の吉田美奈子のCDなんですが、そういったことをもっと充実させてゆきたいですね。死後何年か「ああいう人がいたな」と思ってもらえるようなものをもうちょっと作ってみたいと思います(笑)
松武 そうですか、ありがとうございます。話は尽きませんがお時間も来ましたので、今日はこれで終了させていただきます。鈴木智雄さん、吉田保さん、今日はどうもありがとうございました。これからもいい音楽を作ってゆきましょう。
以上