情報教育に関連して,プログラムを作成させる必要があるのかと質問されたことが何度かあった.昭和60年代に,薬品製造工学の実習において,教官,学生のパソコンを借用してBASICプログラミング教育を開始して以来,プログラミング教育の必要性に関する見解はまったく変化していない.当研究室の歴代の教員,大学院生も皆同じ考えであると確信している.
3年前,分子機能薬学専攻(独立専攻)が誕生した際,UNIX (Linix)を大学院IT実習で教えることになった.そこには,学部のパソコン教育では実現し得ない創造的なアルゴリズム (【algorithm】. コンピュータを使ってある特定の目的を達成するための処理手順)の世界が拡がる予定であった.その実習では,水素結合距離に関連して,三次元空間に存在する二つの原子間距離を計算させようとしたことがあった.学部段階でBASIC言語はマスターしているので,FORTRAN言語で簡単に書けると思ったが,座標から距離を求める方法やプログラミング手順が思いつかないと言うのには仰天した.このことに関しては関連の研究室の教員と議論したことがあった.一言で言えば,要求する方が無理であり,ひと昔前と異なりいろいろなアプリケーションがあるのでそれを使いこなせればよいという考えであった.「熊大生に要求するのは無理」という意味であったのか否か確かめていない.x1-x2, y1-y2, z1-z2のそれぞれの二乗の和の平方根である.作らなくても,プログラムがあるのでそれを使えばよいということかもしれないが,このような簡単なことを解決?するのにプログラムを探し回る様では効率的ではない.
この例のような問題だけではなく,計算結果の処理や計算機の処理手続を行う際,短い「使い捨てプログラム」と呼ばれるスクリプトを使うことが多い.そのような場合,プログラミングの知識が大いに役に立つ.日頃その恩恵を身にしみているので,他の人にも理解して貰いたいという一念で情報教育を続けていると言っても過言ではない.
プログラミングを経験させることで副次的な効果も多い.どんな簡単なプログラムでもデータを読み込み,それを処理し,その結果を出力する必要がある.その際,繰り返し,条件によっては処理内容を変更する手続きを組み込む等の手続きが必要である.最初の部分を作る段階から最終段階の処理を考えておかなければならないので,「自分が論理的な思考に向いているか否か」,「体系的であるか否か」,「注意力が無い」等を指摘してくれる.指導者が口に出して言うと問題になるようなことをコンピュータがそれとなく教えてくれるわけである.
20年近く情報処理教育をやっていると,いろいろなことに遭遇する.中には,K=K+1(Kに1を加算したものをKと置き換える,すなわちK←K+1)の処理が数学的に成り立たないと主張する学生もいた.LET K=K+1の説明を聞いていなかったというより,そのように書くことが気にくわないということで引き取ってもらった覚えがある.少数ではあるが,並べ替えの際,仮の変数を使うことなど計算機的思考を受け入れることのできない学生もいた.ミルク専用容器にジュースを,ジュース専用容器にミルクを入れてしまった.これを入れ替えるには別のコップを用意することを紙に書いて理解してもらったこともあった.薬の在庫データを有効期限順に並べ替える時,有効期限は並んでいるのに薬品名は並び替わっていないことを理解させるのに数時間を必要としたこともあった.また,「田舎で薬剤師をやるのにプログラミングなんて要らないのではないか」と真剣な顔で尋ねられたこともあった.
昔はプログラミングは,1行(80英数字)を1枚のカードに穿孔(パンチ)する必要があったので,必ずコーディングシート(ソースコードを記述するための用紙のこと.コーディングがしやすいように、言語ごとに専用の用紙がある)に書いておかないと実習に参加できなかった.現在は,ディスプレイ上に自由に打ち込み,修正も容易であるため予習する学生はまったくいない.フローチャートは人まねで作った後にレポート用に書くということが定着してしまった.家を建てる時に,設計図を書かずにいきなり鋸をひくようなものである.今年も実習前の説明講義(昼食後)の時,睡眠をむさぼっている学生が10人以上いた.彼(彼女)等は実習室に移動した後,何をやるのか分からないから,周囲の学生のまねをしているだけである.社会の情報化,国際化が叫ばれている折,大学は情報化への対応のため大型計算機のレンタル費用の殆どを実習パソコンのレンタル費用に転用した.コストに見合っているか検証が必要である.情報処理対応能力は自動車の運転能力と同じである.若い時期に習得しておけば対応できるが,年とってからでは無理である.「情報を調合すること」が理解できる時は,年齢的に対応できなくなっているはずである.
最近,熊大の情報教育について3年生と話す機会があった.その中で,印象に残るものがあった.当研究室が担当する専門教育では,反応速度等のデータ処理の際,方眼紙を使わず,プリンタに出力させる.ところが,他の実習では手書きでないと受け付けてくれず,情報教育が生かされていないらしい.底辺の底上げは確実に成功していると確信していたが,ちょっとがっかりした.このことに関しては,教員の言い分(レポートのコピー防止)もある様だが,指導者がプログラムを習得していない理由が先行していると指摘する人もいる.
熊薬の情報教育で計算機処理に興味を持ち,情報処理会社に就職した者,病院で情報管理を任されているいるものも居るが,平均すると1年に1人の割合である.
熊大薬学部における情報教育の担当を終わるにあたり,薬学部における情報処理教育の位置付けの難しさを痛感している.