IMSLP(PDの楽譜): http://imslp.org/wiki/Der_Schwanendreher_(Hindemith,_Paul)
筆者作成のオケバックのパート譜あり
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hr-Sinfonieorchester (Frankfurt Radio Symphony Orchestra) - Antoine Tamestit, Viola - Paavo Järvi, Dirigent
Alte Oper Frankfurt, 14. Dezember 2012
(2017/9/22)
パウル・ヒンデミット:白鳥を焼く男(古い民謡に基づく独奏ヴィオラと小管弦楽のための協奏曲)
Paul Hindemith: Der Schwanendreher - Konzert nach alten Volksliedern für Viola und kleines Orchester
ヒンデミット(1895-1963)がこの何とも物騒なタイトルのヴィオラ協奏曲を書いたのは1934年から1935年、「ヒンデミット事件」その時期である。
1934年、ナチス党に弾圧されたヒンデミットを擁護するフルトヴェングラーによる寄稿「ヒンデミット事件について」に端を発する反抗運動は、フルトヴェングラーの名声によるナチス・ドイツの楽壇に与えた損失の大きさから翌年1935年に一応の収まりを得た。だが、この事件の影響もあってか、1945年のナチス瓦解を待たず、1938年にスイスへ亡命している。実に第二次世界大戦の開戦前夜である。
「白鳥を焼く男」はこうしたナチスの圧政が強まり、ヒンデミット自身にも大きな圧力がかかってきた大戦直前期の作品である。大きな人間の意思がうねる時代の中で、彼が新即物主義へ傾倒していったのは時代背景にもよるのだろう。
ヒンデミットはフランクフルトのホッホ音楽院(現在のフランクフルト音楽・舞台芸術大学)でヴァイオリン・作曲を専攻し、その後ヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動しつつ、ベルリン音楽大学で作曲を教えていた。初期の作品は後期ロマン派や表現主義的な作風であったが、1930年代からだんだんと新古典主義、そして新即物主義へと移り変わっていく。
新古典主義とは、基本的にドイツ・ロマン派からの脱却であり、フランスやロシアで興った、戦間期の文化である。第一次大戦からの嫌悪感から、ドイツ音楽以外へと目が向けられ、古典派・バロック音楽の要素や理論と、自民族の持つ民謡や文化を融合させる試みが活発であった。そこには情感の過多を削減、あるいは除去された、感情から超越した一種の形式主義的な音楽づくりがある。
ドイツでもこの動きが起こり、F.ブゾーニの提唱、M.レーガーによる発展を経て、ヒンデミットにおいて、J.ブラームスやR.シュトラウスによって大成されたドイツ音楽は、派生の末に新古典主義に至った。そしてヒンデミットはこの考え方を新即物主義、実用音楽へと大きく飛躍させることとなる。
(新即物主義:社会の中の一般性としての人間に対し冷徹な視線を注ぎ、即物的に表現するもの)
(実用音楽:音楽は何かしらの実的目的のためにあるとするもの)
この曲においては、新即物主義までは行かないが、かといって表現主義ではない。ヒンデミットが新古典主義を練り上げ、時代の渦の中で新即物主義への道を模索している曲であるように感じる。
(表現主義:印象主義へのアンチテーゼ、感情を反映させる主観的なもの)
新古典主義というだけあって、題材は1877年に民謡学・音楽学者のF.ベーメが出版した「古いドイツの民謡集」から採られた4つの民謡であり、また対位法の名手であったヒンデミットらしく、第2楽章の中間部にはフガート(曲中で差し込まれたフーガ的な部分)が使われてる。
曲中も、さまざまな主題を出したり、ロマンチックに旋律を歌い上げたりするわけではなく、形式の中で民謡とその派生の主題、それに「吟遊詩人の主題」ともいうべき主題を加えたものしか登場しない、非常に質素で、ドイツ・ロマン派に慣れ親しんだ人からすれば、無味乾燥で、あるいは理解に苦しむ音楽かもしれない。
だが、そのバロック的な技法や、緊密なオーケストレーション、そして大胆な不協和音さえ気にさせない爽快な構造は、ハマった人間を魅了してやまない。
まず何よりも、ヒンデミット自身が残したプログラムノートを参照しよう。
(筆者訳)
とある吟遊詩人は楽しげな集まりにやって来て、遠くの土地から持ち込んだ歌をご披露します。今回ご披露するのは、深い歌、陽気な歌、そして最後にはダンス音楽。
彼は、そのインスピレーションとスキルによって、同業者と同様に、挑戦的に、あるいは即興的にメロディーを広げ、装飾して歌い奏でてまいります。―――パウル・ヒンデミット
彼はヴィオラ独奏に、中世ヨーロッパにおける文化の伝道者であり、リュート片手に旅する歌い手「吟遊詩人」の役を託している。さながら、ドイツの熟成する以前の文化を、自身が現代に持ち込んで、ヴィオラ片手に世界中に広めようとするかのようだ。
第1楽章 Langsam. “Zwischen Berg und tiefem Tal” 「山と深い峡谷の間で」 - Mäßig bewegt, mit Kraft.
第2楽章 Sehr ruhig. “Nun laube, Lindlein, laube!” 「いざその葉を落とせ、小さな菩提樹」
-中間部 Fugato. “Der Gutzgauch auf dem Zaune saß” 「垣の上にカッコウが止まり」
第3楽章 Mäßig schell. Variaionen. “Seid ihr nicht der Schwanendreher” 「あなたは白鳥を焼く男ではありませんね?」
第1楽章は、落ち着き払い、演技掛かったかのような喋り口の「吟遊詩人の主題」が、ヴィオラのモノローグで奏でられて幕を開ける。印象的なC-durのコードから始まり、短七度の和音を多用して歪みを感じさせつつもハ調の雰囲気は壊されてない、ヒンデミットの「拡張された調性」らしい使い方だろう。
独白が終わると、オーケストラの付点のリズムによる強烈でひそやかな伴奏の中、ホルンとトロンボーンが「山と深い峡谷の間で」を歌い始める。その光景は荒涼とした大きな大地を思わせる。歌の一節々々毎に、その説明をするようなヴィオラが先導する付点リズム群が現れる。歌い終わりにはヴィオラの繋ぎのフレーズを挟み、曲の世界を大きく広げて主部に入る。
主部 Mäßig bewegt, mit Kraft の拍子は3/2、序奏の4/4より大きく拍の広さや濃さが違ってくる。また速度表現には mit Kraft 「力強く」とある。それに相応しく、この第1主題は深く、真剣で、しっかりとした旋律である。ソロからオケの中で次々と歌い継がれ、ソロに戻ったところで第2主題として「吟遊詩人の主題」がクラリネットやトランペットで演奏される。
やや小規模の展開部は、第2主題に由来する三連符の細かい動機が折り重なるように現れ、ヴィオラの技巧的な重音の後、木管の導きの末に民謡「山と深い渓谷の間で」が回帰する。オーボエを中心とした木管から、トロンボーンソロ、チェロ・コントラバスにファゴット、そして層になり広がるホルン重奏。スケール感も厳しさも回を重ねるごとに増していき、3本のホルンが歌い上げれば、全楽器による熱い第1主題で頂点に至る。
ヴィオラソロにより唐突に再現部に戻るが、提示部のように終始真剣な様相ではなく、ホルンソロのように穏やかで技巧的に第1主題が繋がっていく。
全奏で同音の下降音形を挟み、ヴィオラの独白もより技巧的に再現される。