── ある実務家が見続けた、判断が生まれる現場
第一章 なぜ、本稿を書くことにしたのか
社長失踪。
会社売却。
事業承継。
こうして並べると、
まったく別の出来事に見える。
実際、
私も長い間そう考えていた。
業種も違う。
立場も違う。
関わった人も違う。
だから、
それぞれ別の経験だと思っていた。
しかし、
『なぜ、判断は止まるのか』を書いた後、
改めて振り返ると、
三つの経験には、
どこか共通するものがあるように思えた。
もちろん、
これは今の私の解釈である。
当時はそんなことを考えていない。
その時々で、
必要だと思ったことをやっていただけだった。
それでも、
振り返ると、
私は何か同じものを見ていたように思う。
それが何なのか。
まだ私にはよく分からない。
だから、
本稿では、
その経験を改めて振り返ってみたい。
第二章 社長失踪と社長代行
大学を卒業する少し前、
私はある提案をした。
社内カンパニー制度と、
新しい事業の提案である。
その提案は採用された。
私は大企業へ就職する道もあったが、
その会社へ入社することにした。
入社後、
私は社内カンパニーのプレジデントになった。
しかし、
状況は大きく変わった。
社長がいなくなったのである。
失踪だった。
そして私は、
社長代行になった。
社長代行になってから、
私は初めて会社の現実を知った。
残高を確認した。
支払予定を確認した。
給与を計算した。
何が支払えるのか。
何を優先するのか。
どこまで時間があるのか。
私は数字を確認し、
それを一つひとつ整理していった。
そして、
社員に給料を支払うことを優先した。
今振り返ると、
私は経営をしていたというより、
目の前の現実に対応していたのだと思う。
ただ、
一つだけ強く覚えていることがある。
社長がいなくなった時、
私の中に残ったのは、
驚きではなかった。
「やはりな」
だった。
もちろん、
社長がいなくなると予想していたわけではない。
しかし、
全く意外でもなかった。
それだけは事実である。
第三章 私は何を見ていたのだろうか
私は長い間、
あの時の
「やはりな」
を説明できなかった。
今でも、
うまく説明できるとは思っていない。
ただ、
最近になって考えるようになった。
私は何を見ていたのだろうか。
当時の私は、
時間があれば本を読んでいた。
歴史。
経営者。
組織。
指導者。
将来、
経営者になりたいと思っていた。
だから、
そうした本を読み続けていた。
そして、
会社に入ってからは、
社長という存在を近くで見ることになった。
会議での発言。
普段の行動。
社員への接し方。
取引先との関係。
私は、
そうした一つひとつを見ていた。
社長は何を考えているのか。
なぜそう判断するのか。
そのことに興味があった。
しかし、
当時の私は若かった。
見えていたものが正しかったのかどうかも分からない。
ただ、
社長がいなくなった時、
私の中には
「やはりな」
だけが残った。
その理由は、
当時の私には分からなかった。
その後も私は、
様々な経営者に出会うことになる。
そして、
私は別の会社で社長になることになった。
第四章 会社売却という判断
私は別の会社で社長になった。
その会社は、
ある業界で関東一と言われていた。
しかし、
状況は変わり始めていた。
関西から強力な競合が進出してきた。
名古屋からも競合が進出してきた。
競争は激しくなった。
利益も以前ほど出なくなっていた。
一方で、
オーナー会長は以前から、
身内に後継者はいないと考えていた。
私は社長として、
その状況を見ることになった。
そして、
オーナー会長に会社売却を提案した。
会社には社員がいた。
取引先もいた。
長い歴史もあった。
それでも、
私は提案した。
その後、
売却に向けて道筋を作った。
会社は売却された。
私は役割を終え、
会社を離れた。
今振り返ると、
あの時も私は、
何かを選んでいたのかもしれない。
ただ、
当時はそんなことを考えていない。
社長として、
会社の将来を考えていただけである。
第五章 承継を機能させるという判断
その後、
私は事業承継に関わることになる。
あるオーナーから、
期間限定で社長を引き受けてほしいと依頼された。
後継者が社長になるまでの期間である。
私はその会社の社長になった。
後継者は決まっていた。
私もそのことを理解した上で引き受けた。
私の役割は、
会社を経営することだけではなかった。
次の社長が機能する体制を作ることでもあった。
だから私は、
社長に就任してすぐに、
会社の体制を見ることにした。
誰が会社を動かしているのか。
誰が次の社長を支えることができるのか。
そして、
誰がそうではないのか。
私は役員一人ひとりを見た。
経歴も見た。
能力も見た。
人間関係も見た。
その上で、
役員体制を見直した。
私は判断した。
誰を残すのか。
誰に退いてもらうのか。
誰を引き上げるのか。
会社を支える人材と、
次の社長を支える人材は、
必ずしも同じではなかった。
特に、
後継者を子供の頃から知っている役員は難しい。
悪意があるわけではない。
能力が低いわけでもない。
しかし、
次の社長を一人の経営者として見ることができない場合がある。
だから私は、
営業をまとめる人。
管理をまとめる人。
その両方を探した。
社内に候補がいれば引き上げた。
いなければ外部から迎えた。
その後、
後継者は社長になった。
私は役割を終え、
会社を離れた。
今振り返ると、
あの時も私は、
何かを選んでいたのかもしれない。
ただ、
当時はそんなことを考えていない。
次の社長が機能する体制を作ろうとしていただけである。
第六章 倒産・会社売却・事業承継の共通点
社長失踪。
会社売却。
事業承継。
こうして並べると、
まったく別の出来事に見える。
実際、
長い間、
私もそう考えていた。
社長失踪の時、
私は残高を確認していた。
給与を計算していた。
支払予定を確認していた。
会社売却の時、
私は競争環境の変化を見ていた。
利益の変化を見ていた。
後継者不在という現実を見ていた。
事業承継の時、
私は役員を見ていた。
後継者を見ていた。
誰が支えられるのかを見ていた。
こうして並べると、
やっていることは全く違う。
しかし、
今振り返ると、
私は何かを選んでいたように思う。
社長失踪の時は、
社員の給料を優先した。
会社売却の時は、
会社を残す道を選んだ。
事業承継の時は、
次の社長が機能する体制を選んだ。
何をするかは違っていた。
しかし、
何を優先するのかを選んでいたという点では、
共通していたのかもしれない。
それが、
私が見ていたものだったのかどうか。
その答えは、
まだ私には分からない。
第七章 なぜ、私は判断の近くにいたのか
本稿を書きながら、
私は何度も考えることになった。
なぜ、
私はこうした経験をしてきたのだろうか。
なぜ、
社長失踪。
会社売却。
事業承継。
そのような場面に立ち会うことになったのだろうか。
正直に言うと、
今でもよく分からない。
ただ、
一つだけ言えることがある。
私はその場にいた。
そして、
その時々で判断しなければならなかった。
あるいは、
判断する人の近くにいた。
それは事実である。
社長失踪の時、
私は残高を確認していた。
会社売却の時、
私は会社の将来を考えていた。
事業承継の時、
私は次の社長が機能する体制を考えていた。
内容は違う。
状況も違う。
しかし、
どれも判断と無関係ではなかった。
四十年以上経った今、
振り返ると見えてくるものもある。
私が見てきたのは、
有事そのものではなく、
その前だったのかもしれない。
問題が表面化する前。
数字に現れる前。
組織が動かなくなる前。
後になって振り返ると、
その時の判断が、
大きな分岐点になっていたこともあった。
私は、
そうした場面を見てきたのかもしれない。
だから、
判断に興味を持つようになったのだと思う。
終章 問いの近くにいたい
私は今も、
その問いの途中にいる。
だから、
本稿にも結論はない。
少なくとも、
万能な答えはない。
社長失踪も。
会社売却も。
事業承継も。
それぞれ状況は違っていた。
立場も違っていた。
関わる人も違っていた。
だから、
同じ答えなどなかった。
その時々で、
考えた。
判断した。
そして、
前に進んだ。
後になって、
別のやり方もあったのではないかと思うことはある。
もっと良い判断があったのではないかと思うこともある。
しかし、
その時の私は、
その時見えているものの中で判断していた。
今でも、
それが正しかったのかどうかは分からない。
ただ、
一つだけ思うことがある。
有事そのものが会社を止めるのではない。
平時の判断が、
後になって大きな違いになることがある。
私はそれを何度も見てきた。
だから、
本稿は何かを証明するものではない。
理論を示すものでもない。
一人の実務家が、
四十年以上の経験を振り返りながら、
何を見てきたのかを観察した記録である。
もし一つだけ残るものがあるとすれば、
それは答えではない。
自分は何を残そうとしているのだろうか。
本当に守ろうとしているものは何だろうか。
そして、
その判断は、
いつ始まっているのだろうか。
そんな問いなのかもしれない。
私自身、
今もその途中にいる。
著者
水野敦之
早稲田大学商学部卒
本論文については、早稲田大学商学学術院へ照会を行った結果、早稲田大学産業経営研究所が刊行する査読付き学術誌「産業経営」を投稿先としてご推薦いただきました。
現在、投稿規定および学術誌が求める形式に沿って推敲を進めています。