私のBikeTour&辺境部Tour
2010年あたりから2019年位までの私の旅行の記録。 2020、21年はコロナで巣ごもりだったので この10年間を振り返り、ブログとしてとりあえずまとまっている21テーマをダイジェスト表示し簡単に参照できるようにしてみた。
旅行で特に記憶に残るのはキリスト教世界のヨーロッパ、異質の荒野と山岳地帯が広がるイスラムのパキスタン北部と中国新疆ウイグル自治区、見るべきところは少ないが何処に行っても人々の温かみのある仏教国ラオス、何処も出来ればもう一度行きたいところだ。
70歳になり急に体調が悪くなって来た。地図を広げては次のルートを検討してみるが体調は悪化するばかりでもう同じ様なことは年齢的にもできないだろう。そういう意味では私の人生にとり60歳代のこの時期は本当に楽しい線香花火の輝くような瞬間的10年だった。
ドイツ・オーストリア自転車旅行 2015年8月18日〜9月8日
ウィーンを起点にしザルツブルグに電車移動しザルツブルグ周辺のドイツ、オーストリア国境周辺を、BIKE LANE社のMozart Bike Trailに従い約550km走った。その後ザルツブルグで休養、観光とコンサートを楽しんだ。 後半はザルツカンマーグートといわれる高原の湖地帯を走った後、ドナウ川に降りて、ドナウ川沿いにバッハウ渓谷をウイーンまで約550km走った。 ウイーンではやはり観光とコンサートを楽しんだ。ウィーンでは隣国スロバキアまで日帰りで走行。合計走行距離 1100kmの記録
能登半島自転車旅行 2014年10月
2014年10月14日から18日まで4泊5日で能登半島を時計回りに一周した。
2005年頃中国広州に赴任していたが当時広州の空はほとんど毎日が曇り空、5月頃ほんの少し青空がのぞける状態だった。青空が見たくなり休暇を利用し雲南の麗江に短期間旅行した。その時にこの街の街並みの美しさに感動。絶対再訪問し、飽きるまで滞在してやろうと思ったが、その再訪問記である。(後でわかったが広州の曇り空はどうも自然のなせる業でなく、スモッグではなかったのかと思う。)
前年の1月にタイのウボンを出発しラオスのパクセからビエンチャンを走ったが、今年もなぜかまたラオスに来てしまった。今回はラオスのルアンパバーンから4号線で山中を南下しタイのLOEIまでを走った。途中の道沿いには小さな集落が点々と続き優しくて、純朴な人々が寄り添っていた。ラオスは食べ物がおいしい訳でもない、山ばかりでヨーロッパのような洗練された街並みがあるわけでもない。幹線道路はかろうじて舗装されているが一歩わき道にそれれば土埃のする褐色の道だ。それでもなぜか惹かれるのは子供大人も含めた純朴な人がそこにいるからだと思う。そんなラオスの全走行距離460kmの記録
青色部分がルート、赤い色はバス移動、黒色は別の活動、緑の線は空路
2019年5,6月イン川とマイン川沿いに自転車旅行をした。フランクフルトからスイスのサンモリッツに電車で移動しここからイン川サイクリングルートをオーストリアのチロル地方の村々を巡りながらドイツPASSAUまで走行、後半戦はドイツバイロイトに電車移動しここからマイン川沿いにフランクフルトまでサイクリング。ドイツでも春を楽しむ大勢の人を見た。全走行距離1030kmの記録
花粉症がひどくなってきたので、避粉地として奄美大島で走ることを計画 美しい海と三味線を楽しむ。
国内のいろんなところを走り、海外は台湾、韓国を経験してきたが私にとって初めてのヨーロッパ自転旅行だ。自転車梱包、輸送法から始まり、出来るだけ軽装で行きたいけど最低限何を持っていけばいいのか、ルートはどうなっているのか、宿泊はなどいろいろ考えることが多くて、準備段階がある意味楽しかった。同年齢くらいの先達の旅行ブログなども大いに参考にさせてもらい、期待に胸が膨らんだ。
チューリッヒからジュネーブに電車移動しジュネーブから時計回りに走行開始。前半はドイツ、オーストリア、リヒテンシュタインなどに入ったりしながらChurまで行き、Churからはイタリア領のTiranoまで電車で景色を楽しんだ。 後半はヨーロッパの河川の源流地帯を自転車と電車を乗り継ぎZermattまで行く。Zermattでハイキングなどを楽しんだ後、今度はグルンデルワルトに移動、ここでもハイキングなどをした後チューリッヒに戻った。 きついところは電車を乗り継いだりしながら山国スイスの春を楽しんだ。 全走行距離1150kmの記録
あまり暑くならないうちに、沖縄の先島諸島の島めぐりをすることにした。 今回は
1.島々で民謡酒場を訪れる。
2.沖縄から船旅を楽しみのんびり本土に帰ってくる。
3.島々を一周する。
この3つが目的だ
比較的手軽に行けて、敷居の低そうな韓国の田舎を自転車で走りたいと思っていた。しかし日韓関係から自分の中で韓国に対する反発があり台湾にしようかなーと思いとどまっていたが、夏も終わりやや涼しくなってきたので、出かけた。 ルートはかねてより狙っていた日本海側を釜山から北朝鮮の国境までたどり、出来るだけ海岸に近い田舎道のコースを走り、田舎の村々、港をゆっくりと見て回ろうというものである。
タイのウボンから走り始めチョーンメックの国境を越えてラオスに入る。 ラオス南部の中心地パクセからラオス13号線を北上しビエンチャン近郊まで走る。そこからタイ方向に進路を変更しタイのノーンカイまでの走行記録。全走行距離880km ラオスにはヨーロッパを走った時のような古いが洗練された町並みや教会はもちろんなかった、またヨーロッパの自転車道のような運河あり、牧草地帯、川の堤防沿い、昔からの街並み、湿地帯といった飽きさせない景色の変化もなかった。というのもラオスでの走行は13号線というほぼ1本道だったから。しかしこの街道沿いの親切なラオスの人々との交流は楽しかった。片言のタイ語が話せればタイ語とラオ語はたいへん似ているらしいのでそこそこ交流ができる。ヨーロッパの自転車の旅にない良さがあった 。
ヨーロッパ自転車道ユーロヴェロ6のコースのフランス部分を走った。パリからスイスのバーゼルまで電車移動。バーゼルから走行をはじめ大西洋岸のサンブレバンに出た。大西洋岸で数日徘徊しサンナゼールからパリに電車移動。地図では1400kmのルートだが前後の走行も合わせ1700kmの旅行だった
瀬戸内海島めぐりサイクリング2014年5月
友人宅が呉市安芸川尻にある。ここに1週間ほどお邪魔しここを基地にして近隣の島を訪れた。友人宅からは自転車で15分も走ると下蒲刈島に渡る安芸灘大橋がありここから岡村島までいわゆる「とびしま海道」がある。このルートと呉の広から倉橋島、江田島をめぐるルートが主なルートである。
パキスタン北部のカシミール地方(パキスタン支配地域)のスカルドウ方面、フンザ地域、北部辺境州のチトラル周辺をめぐるツアーである。 2012年に新疆ウイグル自治区を旅したがこの時パキスタンの国境付近まで出かけた。この時パミール高原がかなり気に入り、この次は反対側のパキスタンフンザ方面に行きたいと思っていた。 フンザには個人で行きたかったが、フンザだけでなくスカルドウ、チトラルなど、聞くのも初めてのよくわからない地域にもJEEPなんかを使って行くツアーがあるという。現在のパキスタンの情勢では、フンザ以外の個人旅行は結構しんどいと思いツアーに参加した 。
北部のカシミール地方、アフガンに近いエリアだが外国人にはやや危険なエリアとの印象で警察の警備のお世話になりながらの旅行で、この地域の理解しがたい状況を垣間見た。また独特の風景、人々の暮らし向き、風俗なども大変興味深かった。
道南の福島町から道南の海岸沿いに小樽を目指す。
ブリュッセルまで飛びベルギーのワロン地域からフランドル地域、そしてオランダを走った。ワロンは丘陵地帯でトレーニング不足と情報不足で苦戦し早々に退散し、フランドル地域に移動、平坦な部分を主に走った。後半は北海沿いに進みアムステルダム周辺、知人のいるArnhemまで足をのばした。オランダの道は自転車が交通手段として完全に認知されており、大変走りやすかった。全走行距離1150kmの記録
関口知宏の中国鉄道紀行とかいうNHKの番組を見ているうちに俺も行きたくなり上海ーウルムチの間を汽車で旅行したらどうかなー、40数時間らしいが?などと考えた。考えているうちに昔放送されたNHKのシルクロードの番組を思い出し、ウルムチに行くならついでに中国のシルクロードにも行きたくなった。タクラマカン砂漠の周辺を回るルートを検討していくうちに、どうもタクラマカン砂漠も縦断出来そうだということが判明した。具体的にどこに行くかは出たとこ勝負になるわけだけど、頭の中で大体、ルートの骨格が出来た。
移動はバスを基本とし、移動後1,2日滞在すると考えて日程を立てるとVIZAなしで滞在できる2週間を超えてしまう。そこでVIZAを申請することにした。上海ウルムチ間の汽車の切符、到着初日のホテルは中国の旅行社にネットでお願いしたが後は細かい予定は立てても無駄なのですべて出たとこ勝負で現地手配とすることにした。
尖閣問題で日中関係が最悪の日に出かけることになった。もちろん現地では危ないことはなかったが、途中、多少は現在関係が悪くなっているんだなーと言う出来事があり、日本人として残念な感じを持つこともあった。
タイ 北部自転車ツアー 2016年1月
2016年1月タイチェンマイ方面に自転車を持って出かけた。チェンマイ周辺を走る予定であった。郊外を2日ほど走ったが、市内の車の渋滞が激しく、郊外に出るのに時間がかかる。あまり楽しくないので、ホテルに自転車を預け一挙にプーケットに出かける。チェンマイの1月が気候的には日本の10月位で気持ちいいのに対し、やはりプーケットはかなり暑い。おまけに津波からの復興後の町並みやら浜辺がなぜか味気ない。またチェンマイに戻り、メコン川沿いのいわゆるゴールデントライアングル地帯を走ることにした。このブログは、そのあたりのまことにまとまりのない足取りの記録である。
台湾東部自転車旅行 2014年3月
東日本大震災の時多くの寄付をしてくれた台湾にいつかは行きたいと思っていた。冬がいいと思っていたがずるずる伸びてしまった。4月になるともう彼の地も、暑くなってしまう。
あまり暑くならないうちに出かけよう
海埔蚵仔煎+アサリスープ
成功漁港の魯肉飯