(編集注:スマホでの表示に対応すると,PCなどではhamliteがやたら縦長に表示されるようです.解決策模索中…)
末國です。
長野七段がオセロをもっとおもしろくをコンセプトに新しいウェブサイトを立ち上げると聞き、せっかくなので過去の名局を解説付きで振り返る記事「オセロ史を飾る名局から」をお送りしたいと思います。
記念すべき(?)第1回は1996年の全日本選手権無差別級の部ベスト8での村上五段と坂口六段(段位は何れも当時)の一戦を取り上げることとします。
当時の全日本選手権は、我々無差別級の部に所属する選手にとっては、この上なく大事な大会であった。優勝することは大変な名誉であると同時に、世界選手権に参加するにはこの大会で優勝するするほかなかったからである。そう、当時の日本代表3名のうち無差別級の部の割り当ては1名だったのだ。無差別級の部から3名を日本代表として送るよう制度変更されたのは2006年の日本大会(水戸市で開催)になってからである。
さて、話題を本譜に戻すことにする。黒番が村上五段、白番が坂口六段となり、黒番が裏こうもりへ誘導する展開となった。
裏こうもり定石
当時、白8手目の応手は本譜のf4のほか、d7やf7も有力視されていた。1980年代~1990年代の村上五段による序盤研究はオセロ界随一とされており、村上五段が白番を持った際には8手目d7からの受け手順を好んで利用していたからか、白の坂口六段はf4へ着手した。
白の14手目e8や続く黒のc7はやや打ち過ぎに見えるかも知れないが、ここまでで若干黒有利の展開である。実戦の進行に照らして説明すると、白がf8に着手した後d8に一個空きが生じることとなるが、この天王山に先打することが極めて重要となる。白番がd8に着手できれば黒が下辺にウイング形成する展開が想定され、白も充分持ちこたえられる形勢である。
15手目●c7まで
19手目●e3まで
23手目で黒がg6に打てたことで、白のd8打の種石を消しながらf6に黒石を獲得した。これで白は一気にピンチに陥った。
23手目●g6まで
しかし、ここからの坂口六段の粘りが凄まじかった。
一般に、不利に陥ってしまった場合に逆転を目指すには相手に辺を取らせることである。辺を取った場合は、相手にX打ちやC打ちの手稼ぎを許すことが多く、その処理をする過程でミスをする可能性が高い。辺を取らせた側は、相手の辺を攻める一点を考慮すれば大概において最善手を自動的に選択できる点がメリットである。
これらの特徴を踏まえ、自らに不利な局面となった場合には、一手凌ぎの展開で我慢をすればチャンスが訪れることが多い。特に白番で不利な展開を余儀なくされる場合には、偶数理論下での黒番の捌き方の難しさと相俟って効果のある戦法である。逆に言うと、優勢を築いた場合には最善展開を目指すのも良いが、局面を複雑にせずに、石損は承知の上で紛れを生じさせることなく勝ち切ってしまうことも戦略として持ち合わせる必要がある。
坂口六段は26手目で白b5を選び「我慢のオセロ」に自らの運命を委ねた。白は一歩間違えれば即詰みの可能性もあり、一切の間違いが許されないなかこの判断は実に困難であったことが窺える。
26手目白番.実戦は〇b5!
黒の村上五段は着実に優勢を維持し、対する白の坂口六段は36手目のg1でギリギリ即詰みを回避し、この後の黒の間違いに一縷の望みをかけて試合を継続することとなった。
36手目〇g1まで
39手目。ついにその時が来た。黒f1打で白は引き分けに追いついたのだ。全日本選手権では、ひとり20分持ちゆえに、超一流選手でも選択肢が多い場合には逆転を許してしまう。「優勢ではあるものの、寄せが見当たらない」局面を目にして、選手は日々頭を悩ましているのである。プログラムによる解析では黒h7が最善で+10の形勢とのことだが、私はこの局面を見て合理的にh7が最善手であると説明することは不可能である。
39手目,実戦は●f1
しかし、このままあっさりと引き下がる村上五段ではなかった。黒43手目は実に難しい局面だが、見事最善手を放ったのだ。ここで引き分けの局面なのだが、皆さんはどこに打つだろうか?
黒番,次の一手は?
村上五段はなんとb6に着手! 右下にいわゆる「ブラックホール」を作り、下辺または左辺のウイングを白に与えた場合に、h8とg7の連打を許すこととなる。黒が上辺または左辺でよほど上手い筋消しの手順か何かが存在して、下辺も右辺も維持できるのであればb6もあり得るが、見た目からして白はどちらかの辺を取れそうである(実際に最善手順で白はh8とg7を連打することになる)。ブラックホールへの理解がある選手であれば、将来の借金を背負うことになるので直感的にダメと判断する局面だが、ここで村上五段はb6を敢行した!
試合から脱線するが、当時の村上五段の実力があればいつ世界チャンピオンになってもおかしくない(というかなぜ取れていないのだ)というのがオセロ界の常識で、当の村上五段も「次は自分が取る」と毎年思っていたはずである。
冒頭で記したとおり、全日本選手権で敗れれば世界選手権への参加は叶わないというプレッシャーのなかで、しかも中盤は相当優勢だったとの感情から焦りに焦っていた局面のはずである(読者の皆様も、優勢を築いた局面を徐々に優勢を消すことで「まずい、やってしまった」と頭を抱えたことが何回もあるだろう)。
その途方もない重圧を受けながら村上五段は43手目でb6を打った。そしてこの試合は盤面引き分けで終わったのだ!黒は序盤から中盤で優勢を築き、その優勢が霧散してもなお引き分けを割らなかった村上五段の薄氷の勝利である。しかしこの勝利がとてつもなく大きかった。村上五段はこのまま世界チャンピオンの座まで勝ち進むのであった。