子守明神(女神)と勝手明神(男神)をあわせてお祀りした神社です。南北朝時代の武将で、新居村の開拓の祖でもあった尾張国山田郡新居の城主、水野又太郎良春が、自身のゆかりの神様として屋敷の一隅に屋敷神として祀った神社だったといわれています。
この良春ゆかりの二つの神社は、奈良県吉野の水分神社と勝手明神の夫婦神のことです。 水分神社は「 みくまりじんじゃ」と読み、 「みくまり」がなまって「みこもり」になり、やがて「子守明神」あるいは「木守明神」ともよばれるようになったといわれています。
子守勝手明神(こもりかってみょうじん)は、子授けや戦の勝負神として新居の「無二流棒の手」にも深く関係がございます。新居の子守勝手明神は神社本庁には届け出のない無格社ですが、大きな手術前のお参りや子授け祈願、勝負事の祈願などで大変ご利益があるとのことで、全国から多くの方がお参りをする尾張旭の大切な神社です。
平成30年12月に地域から多くの奉賛を募り、皇太子殿下御大禮乃儀(ごたいれいのぎ)の奉祝行事として、旧鎮座地から現在の多度神社境内に遷座されました。
現在では、9月の中旬に年に1度の例祭が奉仕されています。