咄嗟の倫理 原
全年齢。例の学パロ/謎時空。 音楽室でわちゃわちゃする二人の話
咄嗟の倫理 原
全年齢。例の学パロ/謎時空。 音楽室でわちゃわちゃする二人の話
「大崎せんせーさよーならー」
「はい、さようなら」
「大崎先生、明日短距離走のテストってほんと?」
「本当です。今日学校を休んでいる佐藤さんに伝えておいてください。」
「はぁい」
目的を見出しぱたぱたと走って行ったり、数人で固まり和気あいあいと楽し気に会話をしながら帰宅する女子生徒。部活を終えたばかりというのに遊びに走り出したりする男子生徒。いつも通りの部活終わりの放課後。話し声や笑い声がまだ響く中、自分も簡単に周囲を清掃し道具を片付け、額に滲んだ汗を拭ってから廊下を進む。
夏が近づいてきているからか、部活が終わっても外はまだ明るい。
生徒が下校したことを確認して更衣室へと滑り込む。着替えを済ませて教員室へ戻ると人は少なく、雑用なども降り掛かってこなかった。自分も明日の授業準備は済んでいたので、もう帰宅できてしまう。
そんな時ふと、何か用があった気がして音楽室へ向かってみる。近づくと音楽室の扉は開いていて、何かを運び込む青海さんの姿が見えた。思わず駆け寄って行ってしまう。
「青海さ…、先生、これはなにを?」
「…楽器を準備室に運び込んでいます。明日の授業で使う予定です。」
公私混同は禁止だと固く言われているのでそれは守らねばならない。一瞬だけ鋭い視線が飛んできたが周りに誰もいないという点で許されたのだろう。
「なかなか大きいですね。自分も手伝います」
「助かります。少々手間取っていたので。」
音楽室を覗けば既にいくつか運んだ形跡があり、まだ作業を始めたばかりであることが伺える。
中身について聞くと箏を運んでいるとの事だった。学校でそんなものを触る機会があるとは知らなかったので素直に驚いてしまう。
「自分は触ったことがないです。」
「時代もそうですし、学校にもよるようです。大崎先生の通っていた学校では扱っていなかったのでしょう。」
「青海先生は触った事が?」
「はい。ありますし、弾けます。」
「聞いてみたいと言ったら怒りますか?」
「…終わる時間次第です。」
そこからの搬入作業は怒涛のものだった。もちろん、扱ったことは無くとも楽器が繊細なものであることは重々承知している。力仕事には自信があるので、丁重に扱いつつ指示通りに動けばあっという間に終わってしまった。
すると約束通り、運び込んだうちの一つの箏を取りだすと、また別に何かを取り出して、何やら弦を調整し始める。それが終わったかと思えばまた名の知らない何かを指に取りつけ「では」と姿勢を正し、青海さんは譜面もないままにひとつ弾き出す。凛とした姿勢と真剣な眼差し、迷うこと無く弦を弾く指。美しく奏でられる音とその姿に見惚れているといつの間にか演奏は終わり、こちらに向かって小さく礼をされる。思わずこちらも礼を返して小さく拍手を送る。
「青海先生は本当になんでもできてしまいますね。」
「何でも、はできません。これも基礎です。」
「基礎だとしてもです。その、これは何ですか?」
「これは── 」
青海さんと過ごして育まれた感情だが、こんな風に知識のないものに触れる瞬間は存外楽しい。自分の知り得ない分野について感じたままに聞いてみれば、分からない単語も噛み砕き、まるで生徒に説明するように教えてくれる。自分からしたら羨ましい限りだ。誰に言うつもりもないが、どことなく生徒達への嫉妬を覚えてしまうくらいには。
説明する流れで自分も演奏してみることになり、先程の青海さんのように箏の前に座り、簡易的に書いてくれた楽譜と箏を交互に見ながら教えられた通りに弦を弾く。非常にたどたどしいものではあったが、先程青海さんが弾いていたものと同じものをどうにか弾き終わり、礼をすると拍手が飛んでくる。
「よくできました。」
「ありがとうございます…」
実にふわふわとした空間だ。微笑む青海さんを目の前に、暑さとは別に頬が熱くなるのが分かる。どこか気恥ずかしさを覚えたところで、何故か突然ここに来た本当の理由を思い出す。
「青海先生、来週の飲み会は参加されますか。」
「…」
ふわふわとした空気からは一変、青海さんは眼鏡を押し上げあからさまにこちらから目を逸らす。
「…その、無理強いをするつもりではありません。出欠に印をしていないのがあと青海先生と自分だけだったので。」
「そうでしたか…」
「なにか、参加したくない理由があるんですか?」
「はい………その…」
珍しく口ごもる青海さんが飲み会への参加に積極的ではない理由。非常に簡潔にまとめると初回の飲み会で失態を犯したとのこと。
まだ自分がこの学校に来る前の話だった。珍しく飲み会に参加した青海さんに対して汐留先生や市場前先生が大変お喜びだったようで、のせられるがままに飲んでいたらビールから始まり日本酒、ワイン、焼酎…いわゆるちゃんぽんをしていたらしく、記憶を飛ばすほど飲んでしまったらしい。目が覚めたら竹芝先生の部屋だったと聞いて自分も驚いてしまった。住所も言えない程泥酔していたのか、既に夢の中だったのかは、竹芝先生にも未だに聞いていないということなので本人すら定かではない。
「そういう、ことでしたか…」
「はい。ですので迷っています。知りませんから。自分の限度を」
「…限度もそうですが複合した事も原因では…」
「…」
憂いてるように見えるメガネの奥の瞳は左下を向いていた。思い返せば彼が自分と二人で過ごしている時も深酒をしたことも無いように思う。そもそも酒をあまり嗜まない自分たちにとっては当然だったが、それでも酔い潰れた彼を見た人間がいるという一点の物羨みで胸の内にモヤがかかる。
「それなら自分と── 」
「青海せんせ〜?」
「「!」」
二人揃って廊下の方へと振りかぶる。発言を遮るように遠くから聞こえてきた訛りを含む呼び声、竹芝先生だ。噂をすればなんとやら、と言うが実にタイミングがいい。このままモヤついているのも癪なので、三人だけの空間なら聞いても問題無いのではないだろうか。
「あの声は竹芝先生ですね。ちょうどいいですし、何があったか聞いてみ」
「大崎先生。こちらへ」
「ま はい。え?」
扉の方には目もくれず、言われるがままについていけばすぐ横の準備室へと通される。青海さんは音を立てないよう静かに扉を閉め、近くで外へ耳をそばだてる。
「あの、青海先生?」
「静かに」
「…」
『青海先生~大崎先生~、邪魔するで~ って、あれ、おりまへんなあ。ちょっと台場先生、嘘つきました?』
『嘘なんてついてないですよ。授業準備があるから~って青海先生は音楽室に、大崎先生も色々済んでたみたいで音楽室に向かってたところは確かに見たんだけど』
『ふぅん…ってかこれナニ?』
『箏だね。一つだけ出てるってことは…確かにいたと思うんだけどなあ』
『ほー、てか出欠も一応は明日までですし…別に無理に聞かんでもええんとちゃいます?』
『ええ?だって僕も大崎先生と青海先生と飲みたいし。それに…ね、竹芝先生が言ってた話も聞きたいからさぁ』
『あ、あーっ、ちょっと、だ、駄目ですって…ボクから聞いたとかその、ほんまに…』
おおよそ竹芝先生の声量に引っ張られているせいだろうが、わざとこちらに聞こえるような大きな声でなされている会話を聞くに、外にいる二人は確実に青海さんの出欠を取りに来ている。ちらりと横を見れば、耳をそばだてずとも聞こえる声を聞きながら無言で眼鏡のブリッジを押し上げ、小声でポツリ。
「…知らずのうちに晒していたのでしょうか…痴態を…」
「……まだ分からないじゃないですか」
「…」
『そういえばここ準備室あるじゃん。あっちも覗いてみます?』
『準備室ぅ?おったら隠れられ…避けられてるって事になるんですけど…』
『やらしいことしてたりして』
『やっ、…えェ!?あ、あの二人が…!?』
何を言い出すんだあの男は。
時々変に鋭い台場先生の急な発言に焦りを感じるが、そんなことを気にしている暇もなく、嬉々とした声を抑えきれていない竹芝先生の自分たちを呼ぶ声と二人分の足音が近づいてくる。二人が来た時そこにいれば何もなかっただろうし、会話が始まる前すぐに出ていけば言い訳の一つや二つでもできたが、今となってはもうすべてが手遅れだ。少し熱のこもった部屋のせいではない違う汗が背中を伝う。
近づく足音、名前を呼ぶ声、言い訳のできない空間。当然こちらの状況を知らない向こう側が待ってくれるわけもなくドアノブが回され──
「!?」
突然隣人に腕を引っ張られたかと思いきやどこかへされるがままに押し込まれ、体勢を崩しそうになるが持ち前の体幹で持ちこたえる。引っ張られた先は大きな布のかけられたいくつかの鉄琴楽器の裏側。丁度向こう側からは死角になる場所だった。自分は押し込められたままに座り込み、目の前には自分をさらに隠すように覆い密着する青海さん。目が合うとキュッと細められ喋らないように、とジェスチャーされたので頷きながら息を殺す。とんでもない状況に心臓はやけに早く動くが、おそらくこれはこの場面による緊張由来の物だ。
「お、おふたりさ~ん……って、やっぱりおらんねぇ。」
「いない?なんだ、面白いところ見れたかもしれないのに」
「はあ…とりあえず職員室帰って二人戻ってくるの待ちましょ?」
見て回って満足したのか、やけに賑やかに聞こえる二つの声は準備室を出ていき、足音とともに音楽室から遠ざかっていく。完全に辺りが静寂に包まれたころで力が抜けてしまう。手袋をしている掌がやけにジットリとしていて熱い。
密着しつつしゃがんでいた青海さんも横に座りなおす。
「…行ったみたいです」
「そのようですね…」
そう言いつつブリッジを押し上げ、寄せられていた眉の強張りを解くと一つため息をつく。表情からして推測するまでもなく焦っていた事が分かる。
「…先ほどの話の続きなのですが、何かあったら自分が介抱するので飲み会行きませんか?それに青海先生が参加したほうが周りの先生も喜んでくれると思います。」
「大崎先生が」
立ち上がろうとしたところを引き留め考えを伝えれば、口元に手を当て、何やら思案しているようだ。
「そもそも、私は外でも家でも飲みません。お酒の類を」
「失礼ですが家では何を…?」
「課題作成や授業の資料作成、身に着けておいた方がいいであろう事柄の勉学です。あとは普通に生活をしています。」
「…」
真っすぐとした目で伝えられる。教員というものはこうであろうという想像通りの、想像以上の教師本来の姿であり過ごし方だった。娯楽を知らないというより根が勤勉家なのだろう。
「…でも、そうですね。大崎さんがいてくださるなら行ってみようと思います。」
「! 本当ですか。」
「ええ、これ以上失態を他者に見せたくはないですから。」
「失態になる前に自分が止めます。それと竹芝先生にも以前何があったか聞いておきます。」
「それは……そう、ですね…」
理由を伝えてきた時と同様に口ごもる様子を見ると本当に何も覚えていないのだろう。竹芝先生には申し訳ないが覚えている範囲ですべてを教えてもらわなければ気が済まないので二人きりになれる時間を作ろうと思う。
自分があれこれ考えている間も隣で当時のことを思い出そうと思考を巡らせている彼にふと思ったことを伝えてみる。
「そもそも隠れる必要なかったですね?」
視線を下げて少しすると、困ったような面白いことがあったかのような、そんな表情でこちらを見やる。
「ふふ、確かにそうですね。あなたと竹芝先生、台場先生には申し訳ないことをしました。」
自分の行った突飛な行動を思い出しているのか珍しく笑顔を見せてくれる。
素直に可愛いと思ってしまった。まだ隣に座ったままで体が近い。今なら少しくらい、許してもらえないだろうか。
すぐ横の柔和な表情をした顔に近づく。が、甘えを求めた唇はすんでの所で指によって制止されてしまう。
「就労中です。」
「…先ほど大崎さん、と自分を呼んでくれたのは青海さんですよ」
唇にそえられた人差し指を軽く噛むとバッと引っ込められてしまう。よく見なくても肌が白いせいで耳の赤さが目立つ。
「…咄嗟の事でしたので」
「咄嗟にここへ押し込んだのは青海さんです」
「………」
今なら言い逃れさせない要素をいくらでも並べられる。無言の青海さんをひたすらに見つめていると彼は小さく息を吐き出し、顔が近づいてきて──
「…業務が終了したらここも許可しましょう」
立ち上がれない自分をよそに立ち上がると口元に指をあて、それだけ言って一応外の様子を確認してから準備室から出て行ってしまう。二人分、出席に丸をつけてきます。と、軽やかな足取りで。
追いかける自分の頬は異様に熱を帯びていた。