公然の秘密 さざ
全年齢。レストランデートをする大青の話です。
公然の秘密 さざ
全年齢。レストランデートをする大青の話です。
慣れない礼装こそ外套で隠しているが、自分の浮ついた様子は一目瞭然だった。
整えた前髪を海風に乱されつつ、彼を待つ。
既に胸ポケットの煙草は、全て吸ってしまっていた。何かもっと時間を潰せるもの──例えば本でも、持ってきた方がよかったのかもしれない。
船から降りてきた男に、若い女性が駆け寄る。逢瀬の喜びを隠せない二人は肩を寄せ合い、こちらを横目に通り過ぎていった。
張り切って早めに着いた船着き場で、大島発の船が遅延していると知ったのはもう、何時間も前のことだ。
それから何度か係員に確認をしているが、到着の目途は未だつかない。
秋の陽光が照らす海には、白波が立っている。
これ以上大きな遅れにはならないとの談だったが、それでもやはり不安は募っていく。
おもむく時は胸を躍らせるばかりなのに、待つ側はこんなにも気を揉むものだと、立場を変え改めて思い知らされる。
待つ人々はきっと、こんなにも逸る期待と不安な時間を、待ち人との思い出を紡ぐことで耐えているのだろう。
こんな心地を、青海さんもまた覚えていたのだと思うと──自分は密かに、胸を焦がした。
船から降りた青海さんを出迎えたのは、既に陽が落ちる頃合いだった。
「大変申し訳ありません。お待たせしてしまい」
「いえ、気になさらないでください。それより、揺れは大丈夫でしたか」
「問題ありません。休んでいましたので」
しっかりとした足取りの青海さんが、波止場の風に外套をはためかせる。
自分たちは人混みに紛れながら、二人で駅へと向かった。
「大崎さん。待たれたのではありませんか。随分と」
「係員から、船が遅れていると伺いました……ですから、さほど待っていません」
青海さんは小さなトランクを片手に、雑踏の中でごく自然に、自分のすぐ胸元へと顔を寄せた。
「……かなり吸われましたね。煙草」
「、……」
自分の胸の高鳴りなどお構い無しに、彼は顔を離すと何事もなかったように進んでいく。
「濃いです。香りが」
「…………はい」
すぐに見抜かれてしまった。
自分は結局、久しぶりの逢瀬に張り切り数時間は彼を待っていたことを、その背を追って白状した。
「いらっしゃいませ」
出迎えた給仕に予約の名を告げ、席へと案内される。
予定では、青海さんの荷を自分の部屋に置いてから向かうはずだったが──船の遅れのため、自分たちはまっすぐに店へと入った。
「大崎さんは。アルコールはどうされますか」
すらりと背筋を伸ばし、メニューを見る青海さんはいつものように、淡々としている。
掌にじっとりと汗をかくこちらとは、大違いだ。自分は他人に椅子をひいてもらうような店は、まだ片手で数えるくらいしか訪れたことがなかった。
「大崎さん?」
「……自分は──青海さんに、合わせます」
「では。いただきましょうか。食前酒だけ」
「はい」
青海さんの注文の後、自分は彼と同じ物を、と給仕に一言だけ告げた。
店内では弦楽器の曲が、静かに流れている。
ほどなく運ばれてきた様々な料理を前に、自分は整然と並ぶカトラリーに少し逡巡しつつ、口許へと料理を運んだ。
食の関心が薄い自分にとっては、こんな高級な料理であっても正直、複雑な味としか感じられない。
やはり自分は、もっと素朴な──例えば青海さんが作るような──料理の方が、ずっと好みだった。
「良いお店ですね。雰囲気も落ち着いた」
「お気に召しましたか」
「はい。お料理も美味しく。香りが良いです。特に」
青海さんの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
「良かったです。今日くらいは、青海さんを相応しいお店に誘いたくて」
「それで。『静馬さんに』尋ねたのですね」
「んっ、……」
軽くむせる。慌てて水を飲み、喉を潤す。
「、なぜ。静馬さんの名前が……」
「まず第一に。このお店はアレルギーに配慮のあるお店のようでしたので。メニューを見る限り」
静馬さんの強引な計らいにより、自分たちは既に三人で何度か会食をしている。そのため、青海さんも彼の体質については知っていた。
「第二に。大崎さんのお好みではなさそうでしたので。料理の味が」
──図星だ。
「……すみません。おっしゃる通りです」
一介の探偵である自分には、記念日に似つかわしいきらびやかな店とは縁がない。
だから、店選びからカトラリーの使い方、果ては食事のマナーまで──静馬さんに何度か同席してもらい、一から彼に教わっていたのが実情だった。
「謝らなくて結構です。むしろ。嬉しく思います。あなたが私のために時間を割いてくださったこと」
凛とした佇まいの青海さんの声色は、ただし柔らかかった。
「ですが」
「──はい」
「相談なさってください。次は私にも。直接」
彼が静かにナプキンで口許を拭う。その隙間から覗く形良い唇が、微かに笑んでいたため──自分は、次の彼の誕生日は二人きりで店を選ぼうと、心に誓ったのだった。
メイン料理を食べ終える頃には自分の緊張もいくぶん和らぎ、食事と会話を楽しめる程度には落ち着いていた。
青海さんの品の良さは、当然ながらこういった店に似つかわしかった。
特段何をするわけでもないのに、思わず見惚れるような優美さが、所作や立ち居振る舞いから滲んでいる。
たとえばグラスの持ち方。ナプキンを取る手つき。給仕への頷き方。
それらは自分のような付け焼き刃の努力では、到底敵いそうにない。それでも、少しでも彼の隣に相応しくありたいと思ってしまう。
こればかりは、時間を重ねていくしかないのだろう。
「──結構結構。お若いのに励まれていますな」
突然、テーブル横から声をかけられる。
隣には、酒で顔が赤らんだ見知らぬ中年男性が立っていた。
こういった店で、かつ食事中に話しかけるのは当然ながら、マナー違反だ。自分は男に構わず、食後の珈琲を口に含んだ。
「おやおや。年上の者に話しかけられたら、答えるのが最低限の礼儀だろうに」
品の無い物言いと身なりから察するに、こういった手合はきっと、自身より場慣れしていなさそうな相手を選んで絡むのだろう。
要するに、この手の店に不慣れな──自分のような相手に。
「そこの君だよ。ふん。覚束ないのだろう? せいぜい、向かいの叔父君に泣きつけばいい」
──叔父。
男に何を揶揄されても、自分は気にならない。だが。
──自分と青海さんが、この男には……叔父と甥の関係に見えているのか。
そんな不躾な邪推を、表立って訂正出来ない関係にあると、突きつけられた気がした。
別に、親しい仲をひけらかしたいわけではない。自分と青海さんの間に年齢差があるのも事実だ。
けれどせめて、他者の目に映る関係くらいは、もっと自然な並びでありたい──そんな場違いな願いが、一瞬脳裏をよぎる。
ともあれ、男の不躾さは変わらない。自分はともかく、これ以上青海さんとの食事の腰を折られるわけにはいかない。
仕方なく店員を呼ぼうとした、その時。
「失礼」
青海さんが、そっと囁く。その澄んだ声に、男が思わず彼へと視線を向ける。
「感心しません。食事中みだりに話しかけるのは」
たしなめる声は落ち着き払っていた。その冷たさにあてられたのか、男は何か言いかけたものの口を閉ざす。
「それと」
青海さんの表情はいつも通りに涼やかで、グラスに添えられた指先はしなやかに白かった。
「ご自由になさってください。どうご覧になるかは」
彼の目元がそっと伏せられ、切れ長な瞳が意味ありげに細められる。しかしその視線は、一切男に注がれない。気圧されたように、男が息をのむ。
「しかし。憶測で他人の関係を断じるのは。それこそ礼儀に反するのでは」
男が掲げた『礼儀』でその直截な無作法を示す、冷ややかな、けれど鮮やかな反論だった。
立場の違いを痛感させられたのか、途端に顔を真赤にした男が頬を引きつらせ、何か言い返そうと無言のまま口をぱくぱくさせ──足早にその場を去っていく。
少し遅れて、店員が様子を窺うようにその後を追っていった。
いや、あの男のことはもうどうでもいい。
それよりも。
「ああいった手合は、関わらずともやり過ごせます。どうして……わざわざ、相手をなさったんですか」
青海さんはいつだって冷静だ。だから彼がこうした場で、売り言葉に反論をするのは珍しい。自分は思わず尋ねていた。
「……悔しかったんです」
「勝手に決めつけられたのが。あなたと私の関係を」
彼が静かにグラスを傾ける。
「不思議です。普段は隠しているくせに」
「他人に。まるで取るに足らない間柄のように扱われると──……」
彼が一段声を潜める。閨で聞くような、低く掠れた、たまらない囁きだった。
「──私たちは。もっと深い関係にあるのだと。そう知らしめたくなってしまうのですから」
そうだ。本当の自分たちは、叔父でも、甥でもない。単なる知人でも、友人でもない。
自分たちは──……。
「ですが」
青海さんが続ける。
「だからといって。実際に知らせたいわけではありません。誰彼構わずに」
涼しかった彼の眼差しに、柔らかな熱が帯びる。
「……大切に隠しておきたいのです。私と──緋色さんのことは」
とびきりの秘密を打ち明けたような彼の微笑みと声色は、自分の奥深くにすっかりと、刻み込まれてしまった。
「青海さん」
「はい」
「そろそろ……店を、出ませんか」
自分の声は彼に負けないくらい、低く焦れていた。
「はい。構いません」
自分たちはそれ以上言葉を交わさなかった。
互いにいつも通りの距離を守り、給仕に礼を告げ、会計を済ませる。
服を整え、クロークへと向かおうとする。その一瞬だった。
テーブルの下、誰にも見えないところで──自分の指先に、彼の指先がほんの微かに触れる。
小指に滑らかな灯火が走り、消える。
それだけで十分だった。
誰に悟られずとも確かに、自分たちの関係を知るには。
自分と青海さんの間では、こんなにも明白なのだから。
彼の誕生日を祝う夜は、まだ始まったばかりだ。
さざ(X:@sazansazanzan) (スペース:花‐う8)
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