古い日本地図

続日本紀等の古い史料を調べていると,項目によってはその時代なりの地図が存在したのではないかと思うことがある.

大化の改新で定められた「改新の詔(みことのり)」(645年)において班田収授法が制定された.

6年ごと人民の戸籍・計帳(税を徴収するための台帳)の作成.土地を国有田を班(わか)って口分田として人民に分け貸与.売買は禁止で本人が死亡すると国に返納させた.なお,分け与えられる田の大きさは6歳以上の男子で2反(約23a)女子はその2/3であった.そのため,田を分ける時に使用する「田図(でんず)」という地図が作成された.

さらに,大化 2 (646) 年,国の境を観て,書あるいは図をもって提出するように指示している.

原文 日本書紀巻25/孝徳天皇 大化二年八月癸酉条(645-654年)

(略)宜觀國々彊堺。或書或圖。持來奉示。國懸之名來時將定。國々可築堤地。可穿溝所。可墾田間。均給使造。當聞解此所宣。

国々の境界を見て文書に記すか、或は図に書いて持って来て見せよ。国や県の名は報告時に定める。国々の堤,池を築くべき所、溝(水路)を掘るべき所、他を開墾すべき所は均等に与えて造らせよ。以上述べたことを聞き理解せよ.

しかし,大化の詔に対応した地図は見つかっていない.文献によると,国々の位置関係を示すた「行基図」というものが存在し,江戸時代の伊能忠敬による本格的な地図が作成されるまでは,行基図の書写が出回っていたと言われている.その流れをくむ地図である南贍部洲大日本国正統図がウエブサイトで公開されている.

南贍部洲大日本国正統図』(東京大学総合図書館所蔵)を利用. 資料の解説;本図に刊年は記されていませんが、印刷法や紙質等から寛永(1624年ー1645年)ごろの出版と推測され、国内で印刷された日本国図としては最も古いものの一つと言われています。

現在の日本地図に合わせた配置

九州を拡大した図(輝度補正)郡名や郡田(総面積)が記載されている

九州を拡大した図(輝度補正,回転図)

2018年6月15日,広島県立歴史博物館(福山市)は,14世紀中頃の(室町時代, 南北朝時代)に描かれたとみられる日本地図(本州から九州のほぼ全域)がみつかったと発表した.

〝国内最古級〟日本地図 北海道を除く全国 室町時代作か

産経フォト(産経ニュース)(2018.6.15 20:35)

広島県立歴史博物館(福山市)は全体が残っているものとしては最古級の日本地図を新たに確認し、15日、報道陣に公開した。同市出身の収集家が発見し寄託。14世紀半ばの室町時代に描かれたとみられ、北海道を除く全ての地域が載っている。

 見つかったのは「日本扶桑国之図」と呼ばれる縦約120センチ、横約60センチの地図。京都を中心に68の旧国が丸みを帯びた形で描かれ、港町の地名が多く書き込まれている室町時代の地図の特徴が表れている。一方で沖縄は鎌倉時代の地図に使われた「龍及国」との表記で書かれ、体が人で頭は鳥の住民が住んでいるとの伝説も併記されていた。

 これより古い日本地図は14世紀初めに描かれたものが2点現存しているが、いずれも一部が欠損していた。2月に寄託を受けた同館は紙質も分析し、地図の作成年代を特定した。7月から開く企画展で一般公開する。

左側が九州,公開資料は九州は上側の状態.

実体図〝国内最古級〟日本地図 北海道を除く全国 室町時代作か ...(産経フォト)

拡大図〝国内最古級〟日本地図 北海道を除く全国 室町時代作か (2018.6.15 20:35)

寛文2 [1662] 年の扶桑国之図は以下に公開されている.

扶桑國之圖 - 国立国会図書館デジタルコレクション

上述したように,西暦7世紀頃の歴史上の出来事を調べていると,地図がないと対応できないような出来事が数多く存在する.

例)天智2年8月(663年10月)には,唐・新羅連合軍に侵略された百済の救援に向かった日本軍は白村江で戦ったが、大敗し百済は滅亡している.朝鮮半島勢力の侵攻対策として,天智3年(664年)には,太宰府政庁の周辺に古代城(水城)が築かれ,大野城市と太宰府市の市境に位置する長さ1.2キロメートル、高さ約7から10メートルにも及ぶ巨大な土塁として残されている.遣新羅使(668-836)の派遣は28回ににも及び,大使派遣の詳細については各種史書に記されている.航路の詳細は,難波津→瀬戸内海→筑紫→壱岐→対馬→朝鮮半島に沿って詠われた和歌が万葉集に残されている.遣唐使については,舒明天皇2年(630),犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)の派遣を最初とし,十数回派遣された.その苦労の様子は大日本史列伝などに記されていて,渡船難破後の漂着地なども具体的に書かれている.

今回発見ざれた地図には,地図の欄外に,国名と郡名,人口や田畑の面積,寺の数,京都から地方への街道,港まで記されている.さらに,当時は「琉球」と呼ばれ,日本と中国などとの中継ぎ貿易の拠点として栄えた沖縄も記されている.

さらに古い日本地図が発見されることを期待したい.

2021.8.24