尾市一号古墳(7世紀後半)
従来より芦田川中流域平野緑辺部には、「終末期古墳」と呼ばれる古墳がいくつか分布している事が全国的に注目されていました。中でもこの古墳は、石室の平面が十字形を呈するという全国に類例が無い非常に特異な存在として知られていました。
発掘調査(1984年)の結果、墳丘は明瞭でないものの八角形に近い形状である事もわかりました。石室(厳密に言えば「石槨(せっかく)」)は花崗岩(かこうがん)を切って組み合せ、研磨した表面全面に漆喰(しっくい)が塗布されていたらしく、このように丁寧に築かれた墓に被葬者は、畿内(王城の周辺の地)政権と結びついた特定の個人と考えられます。