野球を通して何を得てほしいか?
子どもたちは楽しく学びながらも『自律』と『自立』の力を手に入れます。指導者に『教え込まれる』環境ではなく、自分から積極的に知識と経験を積めるよう安心して通える環境を提供しています。この野球塾のユニークな特徴は、子供たちが元気に活動し、スキルを向上させるだけでなく、心身ともに成長できるようなプログラムを提供していることです。
子どもは本来自分で考え、行動できます。大好きな野球ならなおさら。この野球で考えることができなければ、いつ・どこで子どもたちは考えるでしょう。学校や塾の授業・テストでしょうか。これらは一見、考えているようにみえますが、ほとんど答えは存在しています。考えて導き出した答えは、解のなかのプロセスを踏んだにすぎないこともあるのです。
1+1を覚える必要がないように、難易度が上がった問題も多くは答えが存在します。
答えがないその先に
いまの子たちは考えて行動できないと言われます。果たして本当にそうなのでしょうか。原因は子どもたち”だけ”で済まして良いのでしょうか。
AIが出現して、益々子どもたちが考えなくてよい時代になっています。【ググれば】なんでも答えが出てきていたものに、さらに拍車がかかり、AIがスピード感を持って、子どもたちに答えを運んでくれます。
野球も同じで、投球速度、回転軸、回転効率など、データで示され、見えないものが見えている錯覚に陥っています。数字で目にするものがまるで全てかのようにデータの沼に陥っている子も見たことがあります。イチロー選手は【選手が数字に飲み込まれてしまうこと】に危機感を覚えるとおっしゃっています。
考える力を養ってほしい
スポーツの語源はラテン語の「デポルターレ」で、【義務的な活動を離れた『気晴らし・休養・遊び』】などを意味します。最近はどのスポーツも【気晴らし…】以上のものになり、『勝敗』『結果』だけを追い求め、さらには【全日本代表】【全国大会出場】の称号をもとに、推薦状を手にし、学を得ることもできます。本来の【デポルターレ】とはほぼ遠いものになっています。
プロ選手ならまだしも、若い世代にどんどん結果主義が落とし込まれ、いつの間にか早期教育をしたものが勝ち、そのレールから外れた子どもは、スピード感を持って追いつくこと。
そのために時短策として、AIやデータ、そして我々指導者を頼っていることが多く見られます。
子ども時代は『楽しむこと』を楽しんでほしい
みなさんは一度でもBBQをしたことがあると思います。【BBQで完璧な焼き加減】と調べて肉を焼き始める人はいるでしょうか。『完璧な焼き野菜の作り方』といった本を読んでから焼き始める人はいるでしょうか。旨くたべる方法をデータや数字から判断し、『5分焼いたから、美味さ100点満点だ』とはならないでしょう。
純粋にその場にある食材をあーでもない、こーでもないとか言いながら、『おい、焼き過ぎだぞ』『焦げてるぞ!』『これは上手く焼けて美味しい』なんてしながら楽しむ方が多いでしょう。
本来の野球もそうであったはず。打てることもあれば、打てないこともある。その原因を探りながら、自分のスキルを高めていくことは心から楽しいものです。そして自分で考えた方法(バッティングフォームの確立、練習方法の工夫)で出したヒットやホームランなどの結果は何にも変え難い大きな喜びとなります!
時短を手にした先
BBQは非日常で焼き加減ひとつでどんな味になるかわからない楽しさがあるからこそ、ヒトは予想外のワクワクを楽しんでいます。焦げた肉もあれば、完璧な肉もあるし、話に熱中してたら、ピーマンが真っ黒けになることだってあるでしょう。そんな完璧でない、トラブルがあるからこそ、人はBBQにハマり、楽しむのです(だと思っています)。
野球もそれに似たものがあります。バッティングは失敗が7割です。成功の3割にかけて、あーでもない、こーでもないと考えるながら、練習するから楽しいのです。でも、いまは打球角度が〇〇度で、打球速度が〇〇Km /h出てたら、こんな打球が打てるから、そこを目指そう(ピッチングも)となっています。
データ(数値)が先に来て、それを追いかけている状況
データはどこまでもデータに過ぎず、数字はリアルに起きていることを数値化(見える化)しただけで、人間の感性は含まれません。
データ野球には、自分の感性をないがしろにし、数字を追いかける状況を作ります。数字さえ良ければ、相手に勝ると思ってしまいますが、本当の勝負とは相手の雰囲気を飲み込み、相手の息遣い察知し、自分の心理状況、思考・判断を総動員し、相手よりも勝るために、創意工夫を行ってきます。ヒトは本来五感に長けている生き物ですが、データを見過ぎるとその感性が奪われます。
感性が抜け落ちたヒトは相手の立場を理解できず、相手の心理を読み解くことができないのです。
時間をかけてじっくりと育てる
コツコツ煮込んだカレーや豚骨ラーメンは食べた瞬間に料理人の背景が思い浮かびます。工場でマシーンが作ったご飯には味覚的な美味しさはあっても、真に満たされた感覚を得ることはできません。
じっくり手の込んだ手作り料理だと腹8分目で満たされるのに、カップラーメンは何杯食べても満足せず次々と身体が欲します(過去の自分がそうでした)。
野菜でも同じですが、手間暇かけた野菜は味が濃くて、工場で栽培されたものは淡白な味です。
育成も同じで、手間暇かけて育てた選手というのはメンタル・スキルの面で壁にブチ当たっても、自分の軸をしっかりと持っているので、元の自分に戻ってきます。自分で時間をかけて手に入れたスキルだからこそ、早々に崩れることはないのです。
【技術習得】というのはAIやデータには育てられない自分独自の感性を要するもので、自分との対話を積み重ねたものにしか手に入れられません。
目の前の結果に踊らされない真の軸を持った人間育成
『データで〇〇と出ているからこうしよう』『AIが答えをおしえてくれたから』と生まれて10年も経たない子たちが【カンタン】【手軽】【時短】なツールを使って、考えもせずに行動することが大いに予想できます。
結果が出なければまたAIに質問をし、取り組む。AIは常に答えをくれますが、そこに自分の答えは見つからないのです。AIはデータアルゴリズムを使いこれまであった情報を処理、学習、予測して答えをくれるかもしれませんが、それを超える何かは提示はしてくれません。
また動画処理でバッティングやピッチングフォームのアドバイスをくれるかもしれませんが、手間暇かけたものではないので、それが果たして自分が合っているかどうかも判断せずに、他の学習者の情報をもとにデータ処理をしてくれるでしょう。
工場で生産されたカップラーメンと同じように、薄っぺらい”自分”を作り上げるでしょう。
私が子どもたちと作り上げたいのは真の”自分”を確立すること。子どもが自分の心・體(カラダ)・技能と対話を繰り広げ、自分はどうすべきかということを自分で考え、芯を持った強い人間へと成長していくことです。
結局野球とはなんなのか?
野球はひとつのスポーツにすぎません。『気晴らし・休養・遊び』なのです。たまたま出会ったひとつのスポーツであり、生きる上で大切な気分転換の”道具”です。衣食住がなければヒトは生きていけません。野球は生きる上で”必須”ではありません。
『子どもが野球を通して得るべきことはなんでしょうか?』
【デポルターレ】【考える力】【見えない部分】
これらにヒントがあるように思えます
子ども自ら考え、マウンドやバッターボックスでチャレンジする氣持ちを育て(心)
Try & Error の経験から自分を育て(技)
相手より勝るために忍耐と努力で強い自分を作る(體)