チョコ チップス
チョコ チップス
テーブルと椅子だけが置かれた窓のない部屋に押し込められた。外の音を聞いてはダメだと固く禁じられて、クラポティに録音した幸福の音を聞きながらタワーと喋る。長くても一晩過ごせば許されるだろう。それなら自室にいるのと大差がない。ベッドがない程度の不便さは苦には感じないし、長期間軟禁されるようならここに残響をおいて自分の部屋に帰えればいい。
グランサイファーの中は安全で、艇の駆動音と人の気配で常に賑やかだから完全に油断していた。
ノックもなくドアが開いた。部屋の中に入ってきた人物を見て、思わず目を見開く。手に持っていたクラポティをテーブルの上に落としてしまい、再生していた悲鳴がほんの少しだけ部屋の中に漏れて睨まれてしまった。すぐに指を鳴らしてその場から消したのと同時に来訪者が口を開いた。
「やぁやぁ、ちゃんと反省してる? お前が騒ぎを起こすなんて珍しいね。明日あたりテラちゃんに羽根が生えて空を飛び出すかもよ」
シエテ、と名前を口にしてその先の言葉が出てこない。数日ぶりに会えて嬉しいと言うか、いつものように愛していると伝えようか、この状況について理由を説明したらいいのか迷う。音を聞いて情報を集めている身として、日常生活の中で想定外のことは滅多に起こらないというのに、今こうしてここにいるはずのないシエテが目の前に立っている。
にこにこと笑みを浮かべていて機嫌が良いようにも見えるが、内心では何を考えているのか分からない冷ややかな目をしている。
「何か言いたそうだねぇ〜」
ほんの一瞬だけピリッとした殺気を向けられた。立った状態のシエテに見下ろされるのは少しばかり興奮してしまう。ここは言葉を慎重に選ばないといけない。
遠く離れた空域にいてまだ帰ってこないとメサージュで本人から聞いたばかりだった。実際に距離が離れた場所にいることも把握している。艇の中でもシエテの話題は聞き取っていない。むしろ帰還が遅れそうだと団長と十天衆のマドモアゼルが話をしていたのを今朝も盗み聞きしたくらいだ。
予定よりも帰りが早かったようだなと言うのは簡単なことだが、何故こんなに早く帰ってきたか情報がないまま尋ねても、どうしてだと思うと逆に問い返されるはずだ。
「オレの身元引受人としてキミが来るとは、ね」
この場から解放される時は十賢者のリーダーとしてハーゼリーラが嫌々迎えに来ると思っていた。十天衆の頭目が来る因果関係がない。シエテはオレと親しい仲だとは公言しておらず、ここに来る前に何かしらの理由を言わなければオレがここにいることすら知り得ない。それが仲の良い飲み友達だとしても、ただの団員同士以上の関係だとシエテから誰かに言ったのだと思うと笑いが込み上げてくる。
「知ってたんじゃないの? いつもより口元が緩んで、男前が台無しだよ」
口頭で外の音を聞くなと禁じられても強制的な抑止にはならない。やろうと思えば外の音を聞けたが、きちんと約束を守っていたから本当にシエテが艇内にいることは知らなかった。誰かの魔術か特殊能力を使って移動したのだろう。自らの力以外は、例えオレが協力すると言っても、よほどの緊急の場合でもなければ使用しないのに珍しい。そうなると余計にこんなに早く戻ってきて、オレの元に来た理由が分からない。
両手を広げて肩を竦めると、シエテは大きく溜息を吐いた。鼻で笑った後に目を細めて楽しそうな顔をしている。こんな些細なことでは怒ってはいないようだ。表情を作って殺気を飛ばしてまで揶揄われたらしい。
「それで、どうしてお前には必要ないチョコチップをあんなに集めたのかな?」
チョコチップとは、この時期だけに突然現れる謎の物体だ。歯応えがあって良い音がするチョコレートではあるが、味は美味しくなく食用には向かない。
恋愛運を賭けて奪い合える特性があるらしく、マドモアゼルたちが目の色を変えて争い始めた。ギャンブルが加熱していくと当然のことながらイカサマや恐喝に手を出す人間が出てくる。恋愛運なんて目に見えないものを賭けて争う低俗な者にしてみれば、それで効果がなくなるかどうかなんて気にもせず、勝負に勝てばいいと思うのだ。そんな悪い子を見つけて、話し合いで持っているチップを譲ってもらっただけの話だった。
オレの手元に集まったチップを狙って大きな勝負が始まり、色々とお喋りをしながら相手のチップを根こそぎ巻き上げたせいで目立ち過ぎた。逆恨みされて団長に苦情が寄せられ、すぐに事情聴取が始まり、集めたチップは全て団長のものになった──全て、オレの計画通りに。
「団長にも恋人が出来たら、良い音を奏でてくれると思ったのさ」
こっそり団を抜け出して魔物から集めた分のチップも含めると相当な数になった。団長が持っていたチップと合わせて大勝負を仕掛ければ、どんな相手の心でも動かせると思わせるほどの量だ。
団長に恋人が出来て今より幸せになれば、もっと良い音がするようになる。幸せになればなるほどそれが壊れた時、オレに幸福を齎してくれる。
恋人が出来ると幸せになれることはオレ自身がよく知っている。恋慕の念を知ると、時に人は愚かしい行動を選んでしまう。
「団長ちゃんにはまだ早かったようだね。チップを抱えて錬金術の工房に走って行ったよ」
恋愛運には見向きもせず、すぐに錬金術の素材にしてしまったのか。真っ直ぐに力を求めるのは団長らしい。少し残念だが、その力で破壊に勤しむのなら集めた甲斐があった。
それよりも目の前の問題を解決しないといけない。シエテが帰ってくる前に終わらせておく予定だったのに見つかってしまった。こんな何もない部屋からは早々に退出してシエテの部屋に帰りたい。
「卯神に許可は取ったんだぜ? それなのにオレだけが閉じ込められるなんて酷いと思わないかい?」
賭けたチップを不正に奪う者を見つけたら捕まえて引き渡すことは事前に根回ししておいた。チップを譲ってもらってから引き渡していたが、マコラは不正した者を説得して導いていたようで、オレにまで感謝する人間もいたくらいだ。やはり、どう考えても何も悪いことはしていない。
「イカサマしている人間を捕まえるまでは許可しただろうね。でも脅してチップを巻き上げることは話してなかったんだろう。本当によく考えたよ。……真っ当に手助けすればいいものを、ややこしくしちゃって」
そう言って数歩近付いてきて隣に立ち、賢い子供を褒める親のように頭を撫でてくれる。
最終的に団長の手元にチップが集まればよかった。恩人が張り切って集めているのを見て一緒に集めに行きたかったが、オレは戦闘のサポート役にも選ばれなかった。恋人も不在で、何かしたいという欲求が抑えきれずに行動に移した。
髪型を崩さないように優しく流れに沿って撫でられるのは気持ちがいい。顔の筋肉が蕩けてくる。頭をシエテに擦り付けようと寄せたが一歩下がられてしまった。
「言っておくけど、褒めてはないからね。勘違いするなよ」
少し甘えていただけなのに、釘を刺された。
「まぁ、俺がもっと早く帰ってくればこんな馬鹿みたいな騒ぎを起こさなかっただろうし、そこまで悪いことはしていないからね。お咎めなしだって」
ちょっとした遊戯のお仕置きにしては団長がやけに厳しいことを言ってくるとは思っていたが、怒ってはおらず悪戯をやり返されたようだ。
「団長ちゃんからの伝言だよ。二人でゆっくりしなって。隠していたつもりだけど、バレバレだったみたいだねぇー」
それなりに長く付き合っていれば、二人きりで会っているところを誰にも見せないよう細心の注意を払っていたとしても、周囲に深い関係であることは伝わってしまっていたのか。知らず知らずのうちに普段ならしないような言動を取ってしまっていたのかもしれない。オレは完璧に振る舞っていたから心当たりがない。シエテだって廊下ですれ違っても顔色一つ変えずにいたというのに何がいけなかったのか。お互いに目も合わせないようにしていたのに。
そんなことよりも改めて考えると今現在の状況は、ちょっとした騒ぎを起こした罰の最中ではなく、チップを大量に集めたご褒美が目の前に現れたということだ。団長からのサプライズプレゼントに細胞の一つ一つが歓喜に震え音を立て始める。今のこの瞬間を切り取って団長にも聞かせてやりたい。特にこの一番大きな音のする心臓を直接耳に当てられたら、心臓はもう見せたことがあるから脳の中でも海馬がいいだろうか、そう思うと自然と発する声もでかくなる。
「くはっ! トレビアン! 団長はオレを喜ばせるのが上手い……なっ……?」
頭ではなく頬を撫でられ、目と目が合う。シエテの顔は、つい数秒前まではただの団員同士として会話する時の平然とした顔をしていたのに、恋人同士の時間を過ごす時の甘ったるい緩んだ表情に切り替わっている。
「それで、どれだけ待たせるんだよ。部屋に帰る? それとも団長ちゃんの為にもっとチョコチップ集めに行く?」
不服そうに唇を尖らせて言われたら選べる選択肢は一つしかない。
ずっと座ったままで待たせてしまっていた。すぐさま立ち上がって抱き上げる。シエテが鎧を身につけていても持ち上げるくらいは簡単に出来る。
「ノン、ノンノン、ゆっくりしよう。朝まで。二人きりで」
魔術を展開して一瞬で部屋を移動して床にゆっくりと下ろす。離したくないが、離れないと身につけているものが邪魔だ。
待っていられずに装備を外すのを手伝っていると、シエテが口を開いた。
「実はさぁ、向こうでチップを使った賭けをしたんだよね。アレって食べても美味しくないから持っていても意味がないし、錬金術の素材になるって知らなかったから別に負けてもいいかなって」
シエテはオレにもチョコチップは必要ないと言っていたくらいだ。恋愛運の奪い合いには一切興味がないのだろう。シエテの恋愛運がなくなっても、オレが尽くせば何の問題もない。
「くはっ、それで負けたのかい?」
下着一枚だけになった姿をじっくりと見つめる。どう見ても一枚もチップを持ち合わせていない。チップを賭けたトラブルに巻き込まれて早々に艇に帰ってくることになったのなら納得出来る。
「まさか、俺を誰だと思ってるの。勝ったから今こうしてここにいるんだろう。持っていたチップは全部団長ちゃんに譲ったよ」
オレが大きく目を見開くと、シエテは大声で笑った。口を広げて笑うと白い歯が見えて余計に愛おしく感じる。何故か急に胸が締め付けられるように苦しくなって、思いついたことをそのまま話す。
「キミは……、恋愛運が増すと、オレの元に早く帰ってくると言うのかい?」
むっと口元を歪めたシエテが僅かに背伸びをして、鼻に噛みつかれた。珍しい行動に驚いていると首の後ろに両腕を回される。顔が近い。背中と腰に手を当てて、鼻先が触れ合う距離で会話は続く。
「俺ってそんなに愛情表現が下手かなぁ~」
瞳の表面が潤み、水面のような青い目に吸い込まれそうになる。こんなに近くで見つめることを許されるのはオレだけの特権だ。掌の先にある心臓の音を感じながら唇を掠める。
「キミは好意を口に出さないだろう。オレのことを優先したことだって一度もない」
事実だけを述べているのに動揺が伝わってくる。息を呑むのも分かる距離だ。
唇の端に、一瞬だけ唇が触れる。控えめなキスはくすぐったい。すぐに唇を重ねて返す。
「い、いや、でも、恋人同士ではあるじゃない。こんなことするのもお前にだけだよ」
「こんなこと?」
わざとらしく首を傾げると、不意に足を払われてベッドに倒れ込む。こちらが手を離さないと分かっていたのかシエテも一緒になって倒れ、のしかかられた。
「くはっ! 強引だな。たまにはこういうのも……」
唇を塞がれて言葉を奪われた。舌を捩じ込まれる。シエテはぎゅっと目を瞑って、オレの手首を掴んで胸に当ててきた。心臓の音が騒々しい。何か喋ろうとしても唇が邪魔してくる。
そのうち満足したのか息切れしたのか唇が離れた。ちろりと出た舌先の赤色がヴォリュプテを誘う。
オレの耳に顔を寄せて、本当に小さな声で囁いた言葉を聞いたら我慢の限界を迎えた。無理やり体勢をひっくり返してベッドに押し付ける。
情事をチョコレートのように甘ったるく濃厚にするにはコツがある。きっかけはもうシエテが作ってくれているから言葉を選ぶのは簡単だ。思ったままに応えればいい。
「オレも好きだぜ。ジュテーム、シエテ。オレの可愛いお星様」
もう関係がバレないように程々にする必要はない。恩人である団長と、目には見えない恋愛運とやらに感謝をしつつ、両手で顔を隠してしまったシエテの全身にキスを落としていく。軽く歯を立てても注意されることはなく、秘めていた独占欲を白い肌の上に思う存分ぶち撒けた。