3月 クラッカーのリボン
3月 クラッカーのリボン
ほんの少しだけ肌寒さを感じる風に乗って、肉の焼ける香ばしい匂いが鼻を擽る。クラッカーの鳴る音と驚くような声が聞こえて、思わず笑みがこぼれた。
遠くからこちらに気づいた団員に手を振られ、黒い革の手袋を着けた手を小さく上げて返した。今のこの衣装では大きく手を振り返すには相応しくない。華やかさを重視して選んだ黒と赤の衣装は、ドレスアップした団員の中に程よく馴染んでいる。祝いの会に合わせて新しく下ろした装いに身を包んでいると、自然と背筋が伸びた。
「シエテ、今日の格好すごく良いね。十天衆の頭目みたいだよ」
「あはは、そりゃあ頭目だからね……うん、ありがとう。団長ちゃんもよく似合ってるよ。いつにも増して格好良いじゃない」
「えへへっ、そうかなぁ」
褒められて照れている団長の近くに立つと、一年前よりも視線が近くなっていることに改めて気がつく。
「おめでとう、団長ちゃん。これからも試練が続くだろうけど、十天衆の皆で支えていくからね。シエテお兄さんにももっと頼ってくれちゃっていいんだよ」
「ありがとう、シエテ! それじゃあ早速、シエテの奢りで追加の料理をご注文して貰おうかな」
「えぇっ! そこはもっと剣術の稽古とか、集団を率いる者の心得とか……」
そうやって冗談を言い合っているうちに他の団員達も集まってきた。団長のついでであっても、装いを褒められるのは気分が良い。
頃合いを見て、場所を譲り輪から離れた。料理と酒の確認も軽く済ませ、ウーノかオクトーと合流して酒を飲もうと視線を巡らせる。
ふいに強い視線を感じて振り返ると、もう随分と見慣れてしまった緑色の瞳と目が合った。
団長が旅を始めた日を大々的に祝う習慣を始めたのは、いつからだったろうか。ルリアたちと出会った記念すべき日だと周囲からの強い勧めもあり、今では恒例の行事になった。当初は恥ずかしがっていた団長も、張り切って自分から準備をするようになった。今も大勢に囲まれて笑っている。
用意された料理を食べ続ける団員もいれば、歌ったり踊ったりしている団員もいて、周辺一帯がとても賑やかだ。さりげなく目立たないように人の気配のしない方へと歩いていく。
ロベリアの視線に気がついてない振りをして無視してもよかった。何かこちらに伝えたそうな顔をしていて、そのまま放っておく訳にもいかなかった。
「何かあった?」
昨晩か今朝のうちに言えなかったということは緊急の用件なのか。笑いを堪えているような、やけににやついた顔をしている。頬が緩むのもこんなにめでたい日なら仕方がない。誰も彼もが浮ついて幸せで満ちている。
「左手を貸してくれ」
言われるままに左手を差し出す。着けている手袋を外されてしまった。ロベリアは外した片方だけの手袋をポケットにしまうと、代わりに取り出した金色の細いリボンを薬指に結びつけてきた。
皆で一斉にクラッカーを鳴らした時に見た覚えがある。色とりどりのリボンの中でも極稀に入っていたそれは、キラキラと光を反射して団長を含む子供たちがこぞって集めていた。
「近いうちに本物を用意するから、受け取って欲しい」
そう言って頬にキスを落とされるのを、避けずに受け入れていることに全身の血の気が一気に引く。起こり得る可能性が頭の中に駆け巡る。このまま受け入れ続けたら、きっと、この俺自身だけでなく世界にも良くない影響を及ぼす。
「……寝不足で頭回ってないんじゃない?」
口元が引き攣り、思わず周囲に人がいないか気配を探ってしまう。近くで賑やかな声は聞こえてきてもこちらに寄ってくる兆しは感じられない。ロベリアもそれを分かってやっているのだろうが、こんなところを誰かに見られたら誤解されてしまう。一体、何を考えているんだ。随分と甘やかしすぎてしまった。
こんな戯れを許すべきではない。すぐにリボンを外そうとすると手を掴まれた。指先に少し痛みを感じるほど強く力が込められる。
「ノン、めでたい日だ。少しくらいは見逃してくれよ」
細められた瞳が僅かに揺らぐ。長い睫毛が影を落とし、緑色の虹彩が深く濃く沈んでいるかのように見えた。瞳孔が真っ直ぐこちらへ突き刺すような熱を向けてくる。この切なく訴えてくる視線に弱い。せめてもの抵抗として目線を反らす。それだけで息がしやすくなった気がして、自然と肩に入っていた力が抜けた。
人が寄ってこない限りはすぐに外さなくてもいいだろう。手を握られたまま押し黙ると、視界の端でにっこりと微笑む姿が見えた。
このくらいで満足して黙っていてくれるのなら、もう少しだけこのままでいても許されるだろう。互いに何も語らずに向かい合い、手を握ったまま時間が過ぎていく。
話すことが好きな者同士、喋り始めると止まらなくなる。からかい、冗談を言っては笑い合う。噂話や島々の情報交換など話題は尽きない。
でも、時々、こうして無言になる時間がある。
早く手袋を返して貰わないといけない。なのに言葉が出てこない。
状況を持て余していると、ロベリアが先に口を開いた。
「団長がキミから少し早いホワイトデーのお返しを貰ったと言っていたんだが……、オレの分はないのかい?」
「借りは作らなかったはすだけど。それに、俺は誰かさんとは違って失敗しなかったからねぇ」
厨房に行けば誰かしら料理上手な団員がいる。見守っていて貰えば失敗することはそうそうない。ホワイトデーのお返し作りは何度もやっている。もう手慣れたもので、団長たちへのお返し分は一回で完璧に作れた。
「くはっ、相変わらず手厳しいな。そんなところが、また……」
ゆっくりと顔が寄ってきて、鼻先が触れる距離まで近寄ったところで遠くからこちらの方向にやってくる足音が聞こえた。
「しっ、誰か来る」
開いてた右手でロベリアの口を塞ぎ、壁に押し付ける。足音はこの付近を通り過ぎ、遠ざかっていくのを確認すると小さく息を漏らした。すぐ側にあるロベリアの顔を見ると軽く鼻で笑われた。慌てて手を離し、距離を取る。
「隠れる必要なんてなかったんじゃないか」
「お前と仲が良いと思われたくないんだよ」
「くはっ、こんなに仲良くしているのに?」
今度は逆に壁に押し付けられた。唇が重なり、舌先が絡み合う。明け方まで遊んでいたせいで体が覚えている。腹の下が熱くなってくるのを感じてロベリアの胸元を押して拒む。羽織りコートの飾緒に指を掛けられて、留め金具から小さな音がした。強く突き放すのを諦めると、一人分のスペースを空けて向かい合う。団員同士としておかしくない距離だ。
「今日の服だが、トレビアンッ! 血が目立ちにくそうで、キミによく似合っているよ」
褒められているのか分からない言葉に苦笑いしていると、飾緒を少しだけ引っ張られる。
「……オレが脱がせたい」
内緒話をするように声をひそめて告げられても了承は出来ない。
「だめだめ、予定通り今晩発つからそんな時間はないよ」
だからこそ昨晩、一緒に過ごしてしまった。そのつもりはなかったのに、いつの間にかこちらの予定を全て把握されていた。
「オーララ、残念だ。また今度、オレの為に着てくれ」
「おい、あまり調子に乗るなよ」
そう言って指に付けられた金色のリボンを再び外そうとすると、飾緒に掛けていた指が離れて左手を掴まれる。睨みつけるとロベリアが大きく溜め息を吐いた。無視してリボンを解こうとするが、固く結ばれているようで端を引っ張っても解けない。珍しく帯剣しておらず、すぐは切れない。剣拓を出すかと考えている間に、ロベリアはリボンを指から外してくれる気になったようだ。両手を使って結び目を解かずに指からずらして外すと、指を鳴らして目の前から消してくれた。
指の付け根に薄っすらと赤い痕が残っている。眺めているとすぐにそれを隠す手袋も返してくれた。両手でゆっくりとはめられるのを、左手を差し出したまま黙って見ていた。全て元に戻ったらもう一度団長の元に戻り声をかけて、それから十天衆の面々にも──
「そんなに残念そうな顔をしなくても、後でキミの部屋のデスクの上に届けておくさ」
一瞬、何のことか分からなかった。さっきの輪になった金色のリボンに気を取られていたと誤解されてしまったのか。そんなことはない。そんなはずがない。あんなもの、喜んで拾った子供たちだってそのうち興味が失せて忘れ去られ捨てられるようなゴミでしかない。
仲の良いところを見られたくない。あまりよくない相手で、最悪な関係だ。しかも、好意を言葉だけでなく形にしようとしている。
首を横に振って、背を向ける。いつまでも一人に構っていられない。
「要らないよ。捨てておいて」
ウィ、という明確な返事が返ってきたのに、忘れた頃にデスクの上に置かれていた。こちらの都合も関係なくキラキラと光っている。
次に顔を合わせる時に、きちんと断らないといけなくなってしまった。