誓いのキスは唇に
誓いのキスは唇に
「昨日は飲み過ぎちゃってごめんね。迷惑かけたみたいで……」
久しぶりの二日酔いが治ってすぐ、一緒に飲んだ相手に謝罪にきた。
昨夜の記憶がないとはいえ自分の足で歩いて帰ってきたのだと思っていた。心配して様子を見にきた団長に、ロベリアに背負われて帰ってきていたのを見かけたと言われた時には一気に血の気が引いた。
手本となる大人として恥ずかしいところを見られてしまった。団長はシエテもそういうことをするんだねと笑って、お酒の恐ろしさを胸に刻んでくれたからまだいい。問題は迷惑をかけてしまった相手だ。そこそこ仲は良い方だが、本心ではどう思っているのか読めないタイプの団員だ。まさか吐いたりしていないか、嫌われてしまったんじゃないかと不安で胃が捻れる。
「ノン、気にしないでくれ」
にこにこと笑っている。単に眠ってしまっただけのようだ。わざわざ連れて帰ってきてくれるなんて思っていたよりも親切な人物だった。
「ありがとう。今度お礼をしないとね」
「いいんだ。愛しい人との時間はかけがいのない大切なものさ」
どういうことだろう。愛しい人との時間を重視したいから、礼は不要ということだろうか。
まるで視線の先にその愛しい人を思い浮かべているような、穏やかで柔らかい表情をしている。
「へぇー、ロベリアのような人間にも恋人がいるんだねー」
言い方が無神経だったかもしれない。ロベリアの顔が不機嫌そうな表情に変わった。唇の端がピクピクと震えている。こちらをじっとりとした目で見つめてくる。何か地雷を踏んでしまった。
「……聞くかい?」
パチンと指を鳴らす音がして、取り出したクラポティを投げて寄越された。
片手で受け取ると硬く冷たい感触に気分も冷える。この白い貝殻に恋人の最後の音を入れているのだろうか。
「いやいや、遠慮しておくよ」
持っていたくなくてすぐに投げ帰す。
「勘違いしないでくれ。これは恋人の壊れる音じゃないぜ」
もう一度放り投げてきたから今度は両手で受け取る。ロベリアが自身のコレクションをこんなに雑に扱うのを初めて見た。一つ割ってしまっただけで大騒ぎして暫く引きずっていたようだから、破壊の音ではないのかもしれない。警戒しつつも耳に当ててみた。
聞こえてきたのは自分の声だ。ロベリアと会話している。昨日、一緒に酒場で飲んだ時のもので、人が壊れる音ではない。安心して笑みが溢れた。
「てっきりこのクラポティが恋人だってことかと思ったよ」
「まぁ、最後まで聞いてくれよ」
隣にやってきて一つのクラポティを二人で挟んで聞く形になった。
会話は他愛もない話が続く。二人とも穏やかで楽しそうな声をしていて、こうして改めて聞くと気の知れた友人のようだ。酒場もいい店だった。酒も食べ物も美味しくてたくさん追加してテーブルの上に置ききれないほどだった。
そのうち俺が深酔いして呂律が回らなくなってきた。世界が平和になったら心ときめく恋がしたい、物分かりのいい恋人が欲しいだのと喚き、更にはロベリアは恋人いるの〜? と聞いている。
あぁ、しまった。既に聞いていたことをまた聞いてしまったのか。そりゃあ不機嫌にクラポティを投げて寄越すか。
気まずい。隣にいるロベリアの様子を伺うが、視線が合わず表情も読み取れない。
『いない。……シエテ、キミがなってくれると嬉しい。大切にする』
真剣な声に思わずドキッとしてしまう。こんなことを言われていたのか。俺はなんて答えたんだ。全く覚えていないけど、ちゃんと断ったはずだ。空の世界を守る使命があるのに恋人なんて作っていられない。幸せを望むのも許されない立場だから。
何か酷い突き放すようなことを言って断ったかもしれない。きっと手のひらを返して冷たくあしらったのだろう。この時のことを思い出させてしまって、こうしてクラポティまで出させているのは残酷な行動だ。覚えてないことを謝ろうと口を開きかけた瞬間、返事が聞こえてきた。
『えぇ〜、ほんと〜? お兄さんうれし〜♡』
チュッというリップ音も聞こえた。最悪だ。最悪過ぎる回答に頭を抱える。普通に考えたらあり得ないことを、酔っ払って言っている。しかも、恐らくだがキスまでしたのか。どこにしたんだ。あり得ない。
視線を感じてロベリアを見ると、じとっとした冷たい目でこちらを見ている。
「あはっ……あははー……迷惑な酔っ払いだねぇー」
大きなため息を吐かれてしまった。迷惑なんてもんじゃない。人として最低最悪の行動をしている。
シエテ、とクラポティから名前を呼ぶ甘い声がしたが、同時に俺の寝息も聞こえる。しっかりしろ。早く起きて謝れと祈りも虚しく音の再生は、ロベリアの大きなため息と共に終わってしまった。
「たった数分だけだがオレにも恋人がいた。分かったかい?」
「ご、ごめん」
「いいさ、愛しい人との時間はかけがいのない大切なものだから、な」
背負って送ってくれたのも、今日の謝罪を聞き入れてくれた時も俺のことを想ってのことだった。
「ごめんってば」
「ファーストキスだったのに、無理やり奪われてしまった」
悲しそうな顔をされてしまうと落ち着かない。成人済とはいえ若い男の子の唇を奪うなんて、とんでもないことをやらかしてしまった。
「俺が悪かったから許してくれない?」
「責任を取ってくれるよな?」
「いや、でも」
「オーララ、オレの恋心を弄んだのか」
いつの間にかクラポティはロベリアが持っていて胸の前に抱えている。
今回のことを団内で訴えられたら確実に負ける。口を聞いてもらえないどころか十天衆から追い出されるかもしれない。
「……わかった。責任持ってきちんとお付き合いしよう」
「くはっ、誓ってくれるよな? 唇に」
ロベリアが自身の唇を指さす。何か塗っているのか艶めいている。手入れされた綺麗な色だと意識すると照れくさい。
目を瞑って待つロベリアの肩に手を置いて、ゆっくりと唇と唇を重なり合わせた。温かくてしっとりとしていて、話に聞いていたよりもずっと気持ちがいい。告白されたからと、こんなことを無理やりしてしまったのか。思い出しそうで思い出せずにもやもやする。ロベリアの香りがして余計に思考を掻き乱す。
離れようとしたが腰と背中に手を回され、何度も唇を押し当てられて舌が触れてきたその時、もやもやとした違和感が形を結んだ。
「……ねぇ、さっきファーストキスって言ってたけど、俺がキスしたのは指先だったよね?」
テーブルに向かい合っていた。木製のジョッキや酒瓶、つまみの皿が並んでいて身を乗り出してはいない。手を伸ばせば届く位置にあった手を取ってキスはした。告白してくれた相手を大切にしていこうと思って、誓いを立てるように唇を落としたのだ。
「くはっ! 今更思い出しても遅いんじゃないか?」
ゲームの勝者のように、にやにやと笑っている。負けず嫌いの自覚があるのにちっとも悔しく感じない。今日のやりとりは勝負ではない。始めから結末は決まってきた。素面の状態で何度もキスをして今更無かったことにするのもおかしな話だ。
「……まぁ、それもそうだね」
そう言ってチュッと軽く唇を重ねた。返答に相当驚いたようでロベリアは目を見開いている。もう既に誓っていたからか、状況を受け入れることに全く抵抗感がない。肩に置いていた手を背中に回して抱き締めると温かくてしっくりときた。
昨夜、背負われていた。とても安定感があった。鼻歌が子守唄になって確かに幸せを感じた。意外と思い出せるものだ。
動きが完全に止まったロベリアがトレビアン! と叫びだすまでの僅かな時間は、誓いを完全に飲み込むには充分な長さだった。