ゆっくりと初めてを
ゆっくりと初めてを
轟音と共に堅牢な拳が振り下ろされた。頑丈そうな時計塔が崩れ落ち、鼓膜を大きく震わせてぞくぞくと全身の肌が泡立つ。
だが、完璧には壊しきれていない。長針は落下し、その下にいた人間の体ごと地面を抉ったのはいい。短針が半壊した時計盤に残ったままだ。そのせいで体の一部が欠けて辛うじてまだ生き物といえる存在が、この場から逃げようと地面の上を這いつくばっている。小さく圧縮して音を搾り取るが、代わり映えのしないありふれた音がしただけで興ざめしてしまった。この不完全燃焼を解消するには追加の破壊ではなく、根本から改善しないといけない。
大きく息を吐くと、完全に手の止まった相棒を見上げた。
「なぁ、タワー。悩みがあるんだろう。隠さずに話してくれよ」
タワーの動きがいつもより豪快で緻密さに欠ける。大胆で力強い破壊が得意だとしても、集中出来ていないことは一目瞭然だ。
「……近頃、ずっとくっついていて気色が悪い」
そう言うと酷く嫌そうな顔をして、目線はどこか遠くを見始めた。
何と何がくっついているのか明言されなくてもすぐにわかった。オレとシエテのことだ。
近頃、恋人のシエテと密に過ごしている。今までは艇にいても各々好きに過ごし、夜だけはシエテの部屋に通うようにしていて日中に予定を合わすことはなかった。なのに最近はタワーと幸福の音を求める時間以外はずっと隣にいてくれる。食堂に行く時も、新しい音を求めて艇の中を散歩する時も、タワーと喋っているだけの時もすぐ隣にいる。
ついに完全に心が通い合ったということだ。これまでは飽きたり他に好きな人が出来たら円満にお別れしようと言っていた。付き合っていることを団長や団員たちに知られたくないと言って距離を置かれた。とにかくつれないことばかり言われていたが、シエテは変わった。オレのことが好きで好きで仕方ないようだ。
「くはっ! 嫉妬かい、タワー。オレの相棒であり兄弟なのはお前だけさ」
「そうではない。私とお前と二人きりで過ごした後に必ず何をしていたのか確認しているのも気味が悪い。以前はそんなこともなかっただろう。ロベリア、お前は監視されているぞ」
人間の恋愛感情を理解していないタワーが、勘違いから真剣な表情で言ってくるのが可笑しくてつい笑いそうになる。ここで笑うと臍を曲げてしまうだろうから優しく教えてあげることにした。
「ノン、これが恋愛というものさ。常に相手が何をしているのか気になって仕方ないんだ。オレもシエテが今どこで何をしているのか把握しているぜ」
指を鳴らしてクラポティを取り出すと、シエテが低めの声で真面目に会話をしているのが聞こえてきた。どうやら十天衆の人間と厄介そうな話をしている。良い子は特別に労ってやらないといけない。後でお菓子を用意しておいてあげよう。
「なにか監視されるようなことをしでかしたんじゃないのか」
「ノンノン、していない。タワーも知ってるだろう」
オレの話が全く響いていないのか、監視されている前提で話を続けようとしてくる。
シエテがオレのことを愛してくれているとしても、タワーがこの有り様では少しばかり困った状況だ。
タワーはまだまだ子供みたいなもので、星晶獣が空の民の感情をすぐに理解出来ないのは当然のことだ。オレのことと破壊に関しては完璧でも、恋愛に関しては時期尚早だろう。少しずつ教えていってあげたい。タワーにも愛するものが増えれば、それらを破壊する幸福も増えるということを理解してもらいたい。
「知らん!」
タワーの拳と共に稲妻が落ちる。真っ直ぐにオレの全てを狙う一撃は、幸福の音がした。
「くはっ! トレビアン! タワー、今の破壊は良かったぜ」
「うるさいぞロベリア、アンコールだ。もう一度同じ時計塔を破壊してみせる」
タワーによるパルフェなコンセールを堪能した後、お互いにすっきりした顔で幸福な時間を終わりにした。永遠に続けられるとしても、オレたちの求める幸福にはメリハリも必要だ。
シャワーを浴び終えて時計を確認すると、丁度いい時間だった。自室に戻る前にあの場所に寄ることにした。
あまり人が選ばない廊下を歩く。人通りの少ない場所を選んでしまう癖は騎空団に所属するようになってもなかなか変わることがない。
暫くしてクラポティが近くで動いている音がした。術者であるオレ以外には聞き取れない音だ。その他にはあまりにも音や気配がしないから団長や他の団員ではなく、極力音を消して動いているシエテだとわかる。
用があるなら話かけてくるはずだが、付かず離れず一定の距離を開けたまま着いてくる。
「サプライズなら見て見ぬ振りをした方がいいかい?」
角を曲がってすぐに足を止めて振り返ると、シエテは逃げも隠れもせずに姿を現した。
「あれ、バレちゃった? 気配も精神の揺らぎも消してるつもりだったのになぁ」
「わかるさ」
「何でわかったのか教えてよ。やっぱり音?」
それを言ってしまうと徹底的に対策してきそうだ。小さなクラポティを忍ばせていると伝えるのはよしておく。
「くはっ! それは勿論、愛の力さ」
間違ってはいない。深い愛情の現れとして艇の中でだけ忍ばせている。あともう少しだけシエテがオレを理解した時に言えばいい。
「へぇ~、そうなんだぁ~、ふぅ~ん」
胡乱な人間を見るような眼差しに首を傾げる。オレがシエテを愛していることは充分に理解しているはずだ。シエテもオレとずっと一緒にいたいくらい愛してくれているはずなのに何か様子がおかしい。
進路を変更して寄り道をせずに部屋に戻る為、シエテの背中に手を添えて歩き出す。艇の中で手を繋ぐ訳にはいかない。こうして並んで歩いているだけでも小さな幸福を味わえる。シエテの用事も終わっているならすぐに部屋に帰って二人きりで過ごしたいだろう。
「なんで行き先を変えたの? 目的があって誰かのところに向かってたんじゃないの?」
シエテの足取りが重たい。こちらを見る目も何かを探るような鋭さを含んでいる。
「急ぎの用でもないからな。キミも早く帰りたいだろう。久しぶりにマッサージもしようか?」
周囲に誰もいないことを確認してから腰に手を回して引き寄せる。こうすると顔が近くなって綺麗な色をした瞳がよく見える。シエテもこちらの肩に手を回してきた。
「誤魔化すなよ。ねぇ、ロベリアくんはシエテお兄さんに知られないように、誰と会おうとしてたのかなぁ〜」
肩を掴んだ指先に相当な力が入り、骨が軋む。まだ廊下なのにどういうサービスなのかと胸がときめく。続きを待っていると目を覗き込まれた。
「シエテ?」
背筋がゾッとするような冷たい視線が肌に突き刺さる。滅多に見ることのない、取るに足らない矮小な命を見下すような表情をしている。
「……噂に聞いたんだけどね、女性団員の元に通ってて随分と親密にしてるらしいじゃない」
女性団員と言われて、パッと思い浮かばなかった。記憶を探るように視線を彷徨わせる。そういえば、今向かっていた先は確かに女性団員のいる場所だった。ただし個室ではなく共有スペースで、他にも何人か集まっていることだろう。この時間になると予定のない団員が、決まって集まる場所がある。
醤油の焦げた香りがするあの場所は、パチパチという火の音と幸せそうな団員たちの音がして悪くない。オレのことを警戒せず、いつ訪れても歓迎してくれる場所は艇の中でも希少だった。
「ロジーヌおばあちゃんにおせんべえを貰いに行ってるのさ。齧ると良い音がするんだ。特に堅焼きが割れる音なんて、ん~、トレビアン! この前なんて保存しておいた分をタワーが全て割ってしまって……」
「わかった、わかったから」
ロジーヌおばあちゃんは、おせんべえを焼くのが好きな高齢の女性だ。皆に焼きたてのおせんべえを振る舞ってくれて、団員たちに慕われている。世間話が好きな団員も集まるから団内の情報収集も出来て何かと便利だ。ロジーヌの前では誰でも友好的に振る舞ってくれる。
割れる音が素晴らしく幸福の音だと言うと、もっと堅く焼くことも出来ると提案してくれた。オレ自身については名前も好きなおせんべえの種類も覚えてくれないが、その場で堅めとオーダーすれば間違えないからとても助かっている。タワーはおせんべえを食べられないが、割りたがって取り合いになるくらい卓越した一品だ。今日はシエテへのご褒美にざらめを貰ってこようかと思っていた。
シエテは眉間に皺を寄せ、何かを考え込んでいるようだ。無防備になっている。これは絶好のチャンスだと唇に、啄むようにキスをすると額を叩かれる。ペチッという可愛らしい音がした。
「くはっ! たまにお礼として肩を揉んだりするから接触がないとも言えないな。キミが嫌なら会うのはやめようか」
相手を女性としては見ていなかった。だってロジーヌは、ロジーヌとおせんべえという絵本に出てくる登場人物でもある。サンタさんのような存在でオレとは住む世界が違う。こちらから会いに行かないと出会えない。シエテのようにオレの元に来てはくれない。
老人だから指圧をすると関節から大きな音がする。だから凝っているのがわかるとさり気なく接触はしていた。オレが異性に触れることをシエテが気にするなら今後は控えても構わない。男性の老人や成年でも、凝り固まった人間を探せばいい。この団は団員の数が多いから探せば大勢いるだろう。
おせんべえも誰か他の団員に貰ってきてもらえばいい話だ。
「い、いや、その、別に会うことに反対はしてないよ」
シエテは動揺しているのか心音を抑えきれてない。頬を赤くして、声も小さく弱々しい。それを見てやっと気がついた。オレが女性団員と親密にしていると言われてピリピリしていたのか。
「まさか、嫉妬したのかい?」
思ったまま口にしたオレの言葉に、シエテは目を見開いて驚いて見せた。どうやら自覚していなかったようだ。
本当に珍しいことだった。シエテほどの男でも嫉妬をするのか。愛し合うとシエテでもおかしな行動をしてしまうなんて、知らなかった。
確かに、特に理由がなくてもオレに秘密にしてシエテが他の団員の元に通っていると想像すると……面白くはない。許し難い。あり得ない。それが女性だとか男性だとか関係なくとにかく面白くない。嫉妬しない方がおかしい。
「嫉妬なんかしてないってー。だって俺、十天衆の頭目で天星剣王だよ? 最強なんだよ?」
「でも、オレの浮気を疑ったんだろう」
シエテは嫉妬したことを認めたがらない。嫉妬とは程遠い生き方をしているせいだろうか。そんな男が嫉妬してくれた。自分でも口元が緩んでいるのがわかる。
「だからそういうのじゃないってば。ほら、ロベリアが別れたいならいつでも別れられるし。ただ、二股かけられてたら天星剣王としてのプライドが許さないって思っただけで、念の為に調査をしてただけ。団長ちゃんが深刻そうな顔をして言ってきたから……」
「愛する人に誤解されていたなんて心外だな」
わざとらしくため息を吐いてみせる。周囲にはまだ人が来ていない。シエテはオレの肩に手を置いたままだ。戸惑いが指に現れ、彷徨っている。服を摘んでは離したり、円を描いたりと忙しない。
「ごめん。大人気なかった」
「くはっ、何も謝ることなんかないさ」
抱き寄せて背中と腰に手を当てる。抱き合うと顔の位置が同じくらいの高さになって耳と耳が触れ合う。今日は片耳にしかピアスを着けていないから遠慮なく頭を擦り寄せる。
「な、なに」
困惑しているだけじゃなさそうだ。手のひらから伝わってくる熱と鼓動が、耳から聞こえる音全てが甘く愛おしい。
「今、聞いたことのない面白い音がしてるぜ」
茶化すように告げる。恋人同士ならここで愛の言葉を注ぐのが正解だろうが、オレもシエテも初めての状況で余裕がない。オレたちには初めてのことが多く、お互いに手探りで関係を続けている。
シエテが顔を僅かに上げてオレの耳に唇を寄せた。内緒話をするように、声を顰めて耳の中に直接注ぎ込むように話す。
「……お前の聞いたことのない音、まだまだあるよ」
自信家で負けず嫌いな恋人らしい言葉に心臓に剣を突き刺されたような痛みが走り、くらっと眩暈がする。
肩を押して顔が見れるように少しだけ距離を開ける。空色の瞳がこんなにも揺らぎ、潤むことを知っている人間は他にはいないだろう。
「聞かせてくれよ、ゆっくりと、さ」
煽った自覚がないのか、首を傾げるシエテの唇に食らいつく。艇内の廊下でキスをして怒られなかったのも今日が初めてのことだった。