chevauchement
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平和だ。団長の成長が著しい。六竜がいて、秩序の騎空団がいて、十二神将がいて、天司長もいる。有事があれば十天衆も動くが、今は異変も脅威もなく急いでやることがない。どこかでお祭りでもやっていれば参加するのにそんな情報もなかった。剣だけでなく防具の手入れもして、後回しにしていた雑務もたった今終えてしまった。
テーブルの上の書類をまとめて片付けると他にやることが思いつかない。
「ヒマだなぁ」
「オレたちと幸福の音を追求するかい?」
思わず漏れた言葉にロベリアが肩を大きく回しながら聞いてくる。今からタワーと破壊に勤しむのだろう。気を遣って誘ってくれたのだろうが、どうせならデートのお誘いの方が良かった。
「そういう気分じゃないんだよねぇ」
暇だとはいえ無闇矢鱈と力を振るいたい訳ではない。死なない程度に加減をしてくれて回復もしてくれるとはいえ、痛い思いをするのも親しい相手を傷つけるのも嫌だ。自然や人工物を壊すのも罪悪感があって好きではない。
「ウィ、気が変わったらいつでも呼んでくれ」
そう言い終えると同時に消えてしまった。ロベリアとタワーは二人きりの世界で他人に迷惑をかけずに破壊に明け暮れている。世界が平和であってもなくても自身の幸福を追い求めて生きている二人には、休息の時間はあれど暇な時間はないらしい。
「散歩でもするか」
部屋に閉じ籠もっているのは性に合わない。空でも眺めようと甲板に出て、ニオの存在に気がついた。柔らかな風が美しく優しい旋律を運んでくる。
今近寄るとニオの気を散らせてしまい、せっかくの音色が止まってしまう。離れた場所で気配と精神の揺らぎを消して眺めていると、ニオの武器である楽器に目が止まった。ニオの使う音で操る武器の仕組みは他では見たことがない。見ればみるほど不思議だ。魔法とは気配が違う。同じように剣以外の飛び道具を操れたら面白そうだし、コツを掴めば剣拓の動作を洗練させられるかもしれない。それにニオのことをもっと深く知りたい。団長も楽器が放つ音色を武器として戦うことがあるから、剣ではなく楽器を使って一緒に魔物退治に行ったら楽しそうだ。今は時間の余裕がある。新しいことに挑戦してみるいい機会かもしれない。
俺は剣は一流、刀もそこそこ扱えてスモウォーの技術と精神も習得した。斧や槍もやろうと思えばそれなりに振り回せる。実はトランペットも吹ける。でも、弦楽器に触れたことはあまりない。
――そうだギターを弾こう。
楽器を演奏する人は楽しそうにしている。弾けるようになればニオとも団長とも一緒に弾ける。絶対に楽しい。それに剣ほどでもないが格好良い。早速、ギターを担いでニオの動きを観察することにした。動きを覚えて同じ動きをすればいいのだからそう難しいことではない。
と、気楽に考えていた。なんだかんだでニオに教えてもらえることにはなったが、楽器の演奏はそう簡単ではなかった。そこがまた成長を感じられて面白くもあるし、とにかくいつもと違う動きをするせいで手が痛い。
「うぅ、指の付け根が痛い」
見たままに動いても音は奏でられない。ニオ先生からの特訓が終わって部屋に戻ってからも練習を続けた。ロベリアがいると夜遅い時間でも隣室への音漏れを気にせずに練習が出来る。調子に乗って弾き続けたせいで手が強く痛み始めた。もう少しで出来そうなのにもどかしい。
少しでも痛みが引くように左手を揉んでいるとロベリアに手を差し出された。なんとかしてくれるのかと期待して手を重ねる。いつになく真剣な眼差しでじっくりと観察された後、程よい力加減の揉みほぐしが始まった。手のひらだけでなく手首まで血流を促すように指圧されていく。
「あぁ~、気持ちいい~。ロベリアはマッサージが上手だよね」
ほんの少しだけ魔術も使っているのかすぐに痛みが和らいできた。手を握って開いてを繰り返しても違和感がない。これでまた練習に励める。
指は手首から二の腕までぐりぐりと押し進んでいく。手の痛みが解消されたからもう終わっても良いのに他の凝った場所も揉みほぐしてくれるようだ。
「ん……うぅ……はぁ……」
ロベリアは黙ったまま背後に周って肩、背中、首周りや頭までマッサージを続けてくれる。全身がぽかぽかと温かくなってきて自然と瞼が下がってきた。段々と指先が下がってきて、腰まできたところで指ではなく手のひら全体を使って撫でるような動きに変わった。違う気持ちの良さを捉えそうになったところで更に手が下がり、慌てて手首を掴んで止めた。このまま続けると寝落ちた上で別の行為に流れてしまう。
「まだ練習があるからだめだよ。今日中に出来るようになって先生に認められたいからね」
心地よくて眠ってしまいそうだった頭を切り替えてギターを構える。ロベリアも本気でするつもりはなかったのか、すぐに離れてくれた。
「さっさと終わらせてくれよ。キミのことだから本気を出せばすぐに出来るんじゃないか」
「これが思ったよりも難しいんだよ。ねぇ、ロベリアも何か演奏してみない? 団長ちゃんと演奏会が出来るかもよ」
「オレは聞く専門なんだ。指揮者としてなら参加してもいいぜ」
「えー、一緒にセッションしようよー」
「ノン、気が乗らないな。ほら、練習に戻らなくていいのかい?」
演奏には興味がないのか全く乗ってこない。ベッドに横に寝転がりにやにやと笑みを浮かべてこちらを眺めている。クラポティも出さずに練習を見守ってくれるようだ。いくら音を自在に操れても、狭い部屋の中で楽器の練習をしていたら動きが気になって先に寝ることも難しいだろう。集中して少しでも早く今日の動きを習得したい。
何度も繰り返していくと自然と指が動くようになる。一度もミスせずに弾ききれた。大きく息を吐いてから時計を見ると、思ったよりも時間が経過していることに気がつく。もう日付が変わっている。ロベリアの方を向くと目を細めてから立ち上がり、こちらに一歩近づいてきた。
「トレビアン! 今のは完璧だったぜ。キミは本当に器用だな」
そう言ってギターを取り上げられ、抱き締められて額にキスされた。こんなに褒められるなんて滅多にないことだ。素直に嬉しい。感覚を忘れないようにもう一度おさらいしたいところだが、そんなことを考えている間にベッドに向かって押し倒されてしまう。
ギラギラした緑色の瞳と目が合う。強い視線が待ちきれないと雄弁に語る。意図せず焦らしてしまった。
待たせてしまったことに申し訳ないとも思うが、目標を達成した充実感からすぐに気持ち切り替えられない。気恥ずかしさから、つい茶化してしまう。
「ロベリアは魔術以外は意外と不器用なところがあるもんねぇ〜」
身を捩って抵抗してみせると手首を握り締められた。いつの間にか表情が消えて余裕がなくなっている。真上から無表情で見下され、ロベリアの顔に影がさすと途端に凶暴さが垣間見える。
「そんなことはない、さ」
口元だけが笑みの形を作る。
「疲れてるから今日は……」
そこまで言うと唇を塞がれた。執拗に舌を絡めてきて息が苦しい。舌と口蓋が刺激されて背筋にぞくぞくと震えが走る。疲れてるから今日は『軽くね』と言うつもりだったのに、どうやら勘違いさせてしまったらしい。最初から何もしないという選択肢はなかったのに伝わっていない。
「キミには魔術とマッサージ以外でも器用なことを知ってもらわないとな」
「もう、充分知ってるから」
ロベリアは生き物に対して音を出させること全般が上手い。それはもうこれまでに随分と思い知らされている。反応を抑えて息を殺しても、僅かな違いを聞き分けて的確に責め立ててくる。
「もっとキミの音を聞かせてくれ」
首を覆う防具で隠れるギリギリのところを噛みつかれ痕を残される。ヒマだからと艇にいる時間が長く、至るところに痕跡が残っている。消える時間もなく増えていくばかりだ。今はとてもじゃないが水着姿になれない。情熱的に求められるのは悪くないがやりすぎは困る。
「お手柔らかに頼むよ。明日も練習があるからね」
ピクリと眉が動いた。迷っているのがわかる。練習には団長も関わっているし無体を働くことはないだろうが、何をするか計り知れない面もある。
楽器を演奏して同じ曲を奏でて心を通わせることは難しくても、言葉を交わすことは出来る。
「早く一曲通して聞かせてあげたいな。その時は音を記録してよね」
普段は騒がしいのに説明不足、言葉不足と皆に言われ続けてきたが、多少は変われていると思う。思ったことをそのまま言うと胸の奥に抱えたものが僅かに軽くなったように感じる。まだまだ言えないことは多いけれど、一部分だけでも知って欲しい。天星剣王でも十天衆頭目でもない一人の男のことを覚えておいて欲しい。
「キミの音は全て記録しているさ」
練習中の下手くそな音も残っているのは少し恥ずかしいなと思いながら脚を絡める。すぐに頭の中がいっぱいになって物事が深く考えられなくなっていく。気持ちが良くて、全身が熱い。
「……好き……好き、だよ」
普段はあまり言えていないことまで口に出してしまった。言うのなら完璧な準備をしてから格好良くキメたかったのに、つい言ってしまった。離れたくなくて、縋りつきたくて、指先に力が入る。強過ぎる刺激のせいで苦しくて目を開けていられない。ロベリアがどんな顔をしているのか見えないけど、荒い息のリズムがぴったりと重なり合ったことは感じ取れた。
目が覚めて頭の中がすっきりとしている。今日も練習に励もうと気合をいれてロベリアを見た瞬間、全ての音を録られている意味を理解してしまった。全て、というとはギターの音だけでなく本当に全てを示す可能性が高い。好きだと言ってしまったり、あられもない声をあげた時も含むなにもかもを、こちらに気取らせないように黙って録り続けている異常性に気がついてしまった。
「これまでに俺の音を録ったクラポティってどのくらいある?」
「見せてもいいが、この部屋には収まりきらないぜ」
これまでに俺の音を記録した白い貝殻が、騎空艇の一室なんて簡単に埋め尽くしてしまうほど存在しているなんて思ってもいなかった。将来的にはグラン・サイファーを埋め尽せると心底嬉しそうに語る恋人に返事もせず、ギターを手に取り練習へ向かう。
ニオの元に辿り着くまでには、頬の熱も口元の緩みも治っているはずだ。