無自覚と無自覚 [R15]
無自覚と無自覚 [R15]
部屋の中の空気が動く。勢いよくカーテンが開かれる音がする。眩しさから逃れるように身を捩った。さっきまで隣で眠っていた相手がきびきびと淀みなく動き、防具を装着する金属音が耳に入ってくる。
「今日の予定はー?」
頭上から明るく弾む声が聞こえた。まだ目覚めていない脳を働かせて口を開く。
「討伐の依頼が、まぁ、いつもの後方支援さ」
全身を伸ばしながら欠伸をしている間に、尋ねてきた相手は身支度を終えてドアの前まで移動している。
「お互い頑張ろうか……それじゃ、またね」
この部屋の中で何もなかったかのように去ってく、そんな後ろ姿だけがかろうじて見えた。翻る真っ白なマントを何度見ただろうか。時間はあるのだからもっとゆっくりしていけばいいのに毎度の流れだ。互いに持て余している性欲を解消するだけの相手なのだから、こんなものなのかもしれない。
すっきりとした朝の空気に変わってしまった部屋は微睡みに適していない。のろのろとベッドの上から起き上がると、陽の光を浴びながら再び体を伸ばす。昨夜のうちに溜まっていたものを吐き出してすこぶる調子がいい。今日は良い音を奏でることが出来そうだ。
体をさっと清めてから服と香りを身に纏い、時間をかけて髪型をセットするとピアスを選ぶ。いつも着けているチェーンと、団長から贈られた特別な耳飾りをして集合場所へと向かう。窓ガラスに映る姿は完璧に整っている。つい数時間前に人に言えない淫らな行為をしていたなんて誰にもわからないだろう。痕跡を全く残さない相手と同じように、何事もなかったかのように日常に戻る。
丁度いい、都合いい、そんな相手。壊したいという欲求が薄いのに、性的な目で見ることの出来る稀有な存在だ。いいや、逆なのか。興味があるのに、壊したいという欲求があまり湧かない。卵か鳥のどちらが先かと同じようなもので、そんなことは生きていく上でどうでもいい些細な事柄だ。けれどここ最近ずっと気になっている。
どうしてシエテのことを壊したいとは思わないのか。
壊したいけどリスクが高過ぎて、それほど壊す気持ちが昂らないのかもしれない。下手に手を出すと手酷い報復が待っているし、不意をついても返り討ちに合う可能性がそれなりに高い。
既に屈強な剣士の音をいくつも持っているせいかもしれない。みっともなく命乞いをする音も、命が尽きるまで折れずに抵抗し続けた音もある。探せばきっと似た音が見つかるはずだ。だからわざわざ壊す必要性がない。
肉欲を吐き出すのに最適で、手放せばきっと代わりは見つからない。この騎空団でオレ相手に無防備に足を開く団員が他にはいない。無理やりするほど若くもないし、簡単に綺麗さっぱり跡形もなく後始末していた昔とは状況が違っている。恩人である団長の元に居続けるということは、そういうことだ。
シミュレーションの空間にはタワーもいるからか気が向かない。タワーと一緒にもっと楽しいことが出来るのに、そんな場所で性欲処理なんかしたくない。日常生活を見聞きされている分にはなんとも思わないが、目の前に居られると行為に及び難いものだ。人に見せつけて興奮する癖もない。
なんとなく複数の理由が思い浮かんで、どれもある程度の説得力がある。それらが積み重なった結果なのだろう。
それなのに、すっきりしない。
「ロベリア、何か悩みでもあるの?」
団長が近づいていたことに声をかけられるまで気が付かなかった。他の団員もいる前で相談する気もせず、慌てて首を横に振ると睨まれた。どうやら心配されてしまったようだ。団長の表現は少しばかりわかりにくくはあるが、隣にいるルリアの表情を見ればわかりやすい。不意に純粋な優しさに触れると堪えるのが難しい。やはり団長のことは壊したい。団長の壊れる音を何度も何度も何度も繰り返し聞きたい。歯を食いしばり、手を握りしめて爪を立てる。
団員たちから少し離れてこっそりとクラポティを出して声を聞く。今朝、予定を聞かれた時の声だ。柔らかくて朝の清らかな香りに包まれるような感覚が満ちてくる。気持ちが和らいでいき、これでまた団長の仲間たちの中に紛れ続けられる。
次はいつシエテと会えるのだろうか。シエテとの付き合いは最低限だけの交流で楽だが、少しばかりの物足りなさもある。
「ロベリアー?」
団長たちから離れ過ぎてしまい大声で名前を呼ばれた。小走りで向かう先に、今日一日中考えていた相手がいてくれたらいいのに。
結局、後方支援の片手間に団長の音を録音しながら考え続けても納得のいく答えは出なかった。
シエテを壊して、記録した音をオレの手の中だけで永遠に残しておくことはあまり魅力的には思えない。明確な理由などなく、ただそれだけがはっきりとしている。
騎空艇に帰還した後、団長の音を堪能してからタワーと共に新しい音を奏でて楽しむ。音と音の合間にシエテのことを話した。タワーもオレと同じくシエテに対しては破壊欲求が湧いてこないという。
「どうして壊したいと思わないのか、いくら考えてもわからないんだ」
「過程を楽しんでいる最中なのではないのか。壊したらそれで終わりだろう」
「それは、そうだな……」
団長に対する感覚とはまた別だ。シエテはケーキのチョコプレートではなくケーキそのものに近いような、かといってただ食い散らかして終わりにするのも勿体ない。脳みそをかき混ぜられた時のようにぐちゃぐちゃで、心臓と肺が握り潰された時のように苦しい。全く説明がつかないどころか説明のきっかけすら掴めない。
「今、ではない。ただそれだけじゃないか」
タワーが景気よくパァンッと手を鳴らした。圧迫された空気の衝撃に体勢を崩す。鼓膜が破けるところだった。あまりにも音が大きくて悲鳴も肉や骨の潰れる音も何も聞こえなかった。タワー自身も失敗したと思っているのか手の平を見つめて首を傾げている。
「くはっ! タワー、力加減を調整してもう一度だ!」
気持ちを切り替えて破壊に集中する。今ではないこの先に、シエテのことを壊したいと思う瞬間がやってくるのか。全く実感がわかない。納得のいかないことばかりだ。苛立ちをぶつける為、思う存分に破壊を楽しんだ。
数週間ぶりにシエテがオレの部屋にやってきた。時間が空くと、あぁ、また来たのかという程度にしか思わない。嬉しさもない、煩わしさもない、興奮もない、感情はただ凪いだままだ。
「元気? 良い子だった?」
「……ウィ、勿論さ」
シエテが蕩けるような目でこちらを見つめてくる。その瞬間、気付いた。オレは好かれている。求められている。愛されている。パパやママのように愛してくれる存在を、少しでも長く隣に置いておきたいだけなのだと結論付ける。
同じだけの感情を返せないことに胸が痛む。オレはシエテのように無防備に体の自由を明け渡すことも出来なければ、こんなに熱の籠もった瞳で見ることも出来ない。
室内を換気する微かな風に揺れる髪を眺めていると、視線が気になったのかシエテが振り返った。
「今日はずっと何か言いたそうな顔しているねぇ」
考えていることを全て話したかった。話せば気を悪くさせてしまうかと押し黙っていたことを気取られている。
こちらを気怠そうに見る瞳は慈愛に溢れている。シエテはオレを愛しているのだからきっと受け入れてくれる。隠し通すのも互いの為にならないだろうと口を開いた。
「オレは……、キミのことを愛しているとは言えない」
「へっ? はぁっ!?」
シエテは珍しく大きな声を出して、目と口を大きく開いた。暫くの間、両手で頭を抱えてから、困惑した表情でこちらを観察するように見つめてくる。大きく息を吐いてからゆっくりと口を開いた。
「いやいや、そんなこと俺も考えたことなかったし、俺達の間に愛だとかそういうものはないよねぇ!?」
シエテはそう言うと落ち着きを取り戻したのか距離を置き、酷く冷めた目で見下ろしてくる。
「そう、だったのか」
オレたちの間に愛などなかった。愛してくれてはいなかった。オレと同じように単なる性欲処理の相手としか見ていなかった。
「勘違いさせちゃった? ごめんねぇ〜」
「ノン、お互いに愛情はないというだけさ。何も変わらない、何も……」
シエテはオレのことを愛していない。ただそれだけのことだ。指先から血の気が引いていき、体の動きが鈍くなる。それだけのことなのに呼吸の仕方がわからなくなりそうになっている。
苦しい。
何故、愛してくれていないのか。あんなに蕩けた目をしていたのに愛していないだなんてことがあるのか。先程まで確かにそこにあった優しい眼差しは消えてしまった。
オレが、シエテを、愛していることに気がついていなかった。愛している。失いたくない。タワーのように当たり前にオレのすぐ側にいて欲しい。
「あははっ、その割には真っ白い顔だ……けど……ロベリア?」
視界が滲み、瞬きと同時に涙が一粒零れた。
これほどまでに愛しているのに愛されてはいないことに激しい憤りを感じる。ぐるぐると腹の下が熱く煮え滾る。愛してくれないのなら、いっそのこと今すぐにでも壊してしまいたい。無意識に指を鳴らそうと上げた手を、両手で包まれた。額に額がぶつかってきて、ゴンッと音が頭蓋骨と脳に響いた。
「くはっ、トレビアン」
とても良い音が全身に甘く広がった。細胞の一つ一つが喜びの声を上げる。小さく鈍い音だったのに味わったことのない甘酸っぱい果実のような音だった。微かに残っている痛みと余韻すら愛おしい。
まだ知らない音がある。壊したくない。
額をくっつけたままシエテが話し出す。
「恋だとか、愛だとか、わからないし、ずっと側にいてあげられないけど」
ゆっくりと、考えながら言葉を選んでいるようだ。聞き逃さないように集中していると頬に唇を落とされ、涙を吸われた。
「ロベリア、お前のことも大事だよ。それじゃ、だめかな?」
微笑まれる。瞳に熱が戻った。胸の辺りがじんわりと温かくなっていく。
「ジュテーム、シエテ。愛しているよ」
自然と口から溢れ出た。オレはシエテを愛している。愛しているから今は壊したくない。そう結論付ければ納得がいく。
「ちょっとちょっと、愛情はないんじゃないの?」
驚いて困惑しているが表情は柔らかく、とびきり嬉しそうに笑っている。きらきらと特別に輝いて見える。
「キミを愛していることに気がついていなかっただけさ。例えキミが愛してくれていなくても、オレは幸福だ」
全てが愛おしく思えてきて、シエテの指先にキスを落とす。
壊さない。音だけでなく全て、もっと、余すことなく記憶したい。壊すにはまだ足りていない。今じゃない。
「……そう」
肯定とも否定とも判断のつかない、ぼんやりと上の空な返事が返ってきた。
これまで悩んでいたものが解消され、凪いだ海のように穏やかな気持ちに満たされている。今はまだオレとシエテが愛し合う姿が具体的に想像出来ない。少しずつ頭に描いていき、理想を現実にしていこう。きっとすぐに現場に物足りなくなって、幸福を求めて行動に移すだろう。これまで生きていたとおりに。今日のところは引いて部屋に帰ろう。そう考えた矢先に襟元を掴まれて強引に引き寄せられた。
完全に気が抜けていた。鋭い瞳に射抜かれ筋肉が硬直した一瞬の間に唇を奪われる。舌を捩じ込まれて口内を蹂躙されていく。歯と歯がぶつかり合いガチッという音が脳を震わせる。下半身に熱が集まるのを自覚すると、それを察したのか耳を塞がれて音が体内に籠る。獣のような呼吸音と心臓の鼓動が響く。今までにない激しい喰らい合うような口付けに頭がくらくらしてくる。唇が解放されて見上げた先のシエテの顔は満面の笑みを浮かべて唾液の垂れる口元を拭った。
「……シ、エテ?」
こちらはまだ息が上がったまま身動きが取れないというのに乱雑に身につけた衣服を剥ぎ取られていく。ピアスまで外されて耳に噛みつかれた時には思わず達してしまいそうになった。
甘ったるい声が部屋の中に響く。オレが魔術を使っていなければ隣の部屋に聞こえてしまうことだろう。今までは枕に噛みついてまで声を殺そうとしていたくせに、浴びせるように嬌声をあげる姿に興奮が収まらない。
愛する人との行為は格別な幸福だ。聞いたことのない音が溢れる。
痙攣して搾り取るように締まる孔に何度目か分からなくなるほど吐き出すと、倒れるようにシエテの体に覆い被さった。汗と体液で湿った熱い肌が心地よい温度に変わっていくのを感じながら瞳を閉じる。トクトクという心臓の音を聞き漏らさないように抱き締めると、クスッと笑いを漏らす声がした。どんな表情をしているか見たいのに目蓋を上げるだけの力も残っていない。頭を撫でられる優しい指の感触を感じながら眠りについた。
部屋の中の空気が動き、カーテンが開かれた。眩しさから逃れるように身を捩る。起き上がった人の気配が、眠っているすぐ隣に勢いよく横たわった。異変を確かめるように向かい合うと抱きつかれた。
どうしているのだと聞く前に、シエテの口が開く。
「もう少しだけ、一緒にいてあげるよ。俺の大事な人だからね」
「……メルシー」
なんだかよくわからないが礼を言う。掠れた声しか出なかった。シエテの声に応えるように、オレの愛情が伝わるように何度も何度も名前を呼んだのだった。体を動かすと酷使した筋肉と関節が軋む。シエテの顔色を伺うが、これまでどおり何もなかったかのような澄ました顔をしている。愛し合う関係になったら、こちらが壊されてしまうかもしれない。それはとても甘美で魅惑的な事のように感じる。
一気に目覚めた脳をいくら働かせても、結論は出ないが目覚めた時に愛する人がいることはとても気分が良い。朝日に照らされながら、オレにとっても大事な人を抱き締めた。
微かな呼吸音や鼓動に、とびきり大きな幸福を感じる。壊さなくていいのだ。今は、まだ。