幸福は鼓膜以外からも訪れる
幸福は鼓膜以外からも訪れる
頭に何重にも巻かれた包帯が煩わしく位置をずらそうと手を上げた瞬間、その場にいた全員に睨みつけられた。行き場のなくなった指先で前髪を弄り大きく息を吐く。部屋中に広がるヒリヒリと張り詰めた空気はため息の一つでは変わることはなかった。自室にこんなにも来客があることは初めてのことだ。圧迫感のせいで凄まじく居心地が悪い。
「 」
団長の唇が動くのを眺めていると、こちらを見てくしゃっと顔が歪んだ。医者を見て話していたから他人事のように眺めていたが、どうやらオレの話をしていたようだ。そんなに悲しそうな、悔しそうな、複雑な表情をしないで欲しい。気にするなと言おうと発声すると、いつもと違うくぐもった音が頭蓋骨の中をぐわんぐわんと反響して不協和音が響く。舌を鳴らして顔を顰めると、団長が一気に泣き出しそうな顔をしてその場の空気がざわめいたのを肌に感じる。
両耳を負傷した。正確に言うと首から上を大きく破損して再生した結果、両耳だけ損傷が残ってしまった。大型の星晶獣の決死の攻撃だったせいで、魔術的な再生を阻害されているようだ。ある程度の時間が経てばタワーや医療に関わる団員たちの力の方が勝って再生出来るだろうことが感覚でわかっているので個人的に焦りは感じていない。だが、よりによって耳とはいやらしい真似をしてくれる。
「書くものを」
声を絞り出す。気色の悪い音だ。外からの音は一切聞こえないくせに、内側からの音は歪んで響くだなんて意図的なものを感じる。吐き気を我慢して紙とペンを用意してもらい、ササッと文字を書いた。
『後で聞く。そのうち治るさ』
指を鳴らしてクラポティを出すとこめかみに当てる。大きめに音を出すと振動が骨に伝わり何を話していたのかが聞こえた。どうやら団長はオレが負傷したことに責任を感じているらしい。
確かに団長を庇ったような動きではあった。団長から一番近い場所にいたのが仮にオレでなく他の人間だったとしても、誰かしらが同じように動き負傷しただろう。他の人間ではなくオレであったことは団長にとって幸運だ。オレでなければもっと酷い結果になっていた。それにしてもこんなにも心配されているとは思っていなかった。
嬉しくて笑みが溢れる。醜い音と僅かな痛みが頭蓋に響いたが喜びの方が勝った。団長にウインクをすると照れているのか苦虫を噛み締めたような顔をして部屋から出て行ってしまった。他にいた医者や治癒魔法が得意な団員たちも顔を見合わせてから団長の後を追って去っていった。
客人たちがいなくなってくれて安堵する。鏡を見て顔や髪がきちんと再生されていることを確認して、包帯の位置を少しだけずらす。
ベッドに寝転がり先ほど録音した声をもう一度聞く。心配される音を何度か繰り返し聞いているうちに、喜びよりもどうしようもない焦燥感の方が強くなってきた。これはあまりいい音ではないのかもしれない。いつもの、そっけない声の方が団長らしくて好きだ。それに耳で聞くよりもどうしても音質が劣る。
早く治したい。オレの想い人が艇に帰ってくる前に治したい。恋しさから彼の声を録ったクラポティを出してこめかみに当てる。
「ロベリア君はいつもいい子だねぇ」
違う。こんな声ではない。もっと低くて、柔らかくて、甘く耳を撫でる。いつもと違って聞こえる音に思いっきり顔を顰めた。壁に向かってクラポティを投げつけたくなったが、思い止まり大切に保管し直した。
録音した音は何も悪くない。
現実ではない仮想の世界は今のように感覚が欠けた状況では実に有効的だ。自室で安静にしている振りをしてシミュレーションの世界で自由自在に振る舞う。燃え尽きる命が本物ではないという点に目を瞑ればの話だが、耳も健在で音が鮮明に聞こえてストレス発散に最適だ。
タワーが腕を振るう。振動が空気や地面を伝って全身に響く。派手で見事な破壊だが、どこか精細さに欠ける動きをしている。
「おいおい、どうしたんだタワー。どこか調子が悪いのか」
「お前は腹が立っていないのか、ロベリア」
タワーは再生を妨げられていることに苛立っている。オレが傷つけられたことも含めてご機嫌斜めだ。
そのうちタワーの力が勝つのだから気長に待てばいいものを、情緒が育ちきっていない相棒は待つことが得意ではないのだ。こうして楽しい時間を一緒に過ごしても不満を隠さない。
「まぁ、騎空士をしていればこんなこともあるさ。それよりも周囲の会話で必要なことは逐一伝えてくれないか。これはオレの相棒であるタワー、お前にしか出来ないことだぜ?」
いちいちクラポティを介して聞いて筆談で返すのは時間がかかる。書いた文章も省略し過ぎていて内容がわかりにくいと言われてしまう。タワーの言うことなら耳が聞こえなくとも伝わってくるから我ながら良いアイディアだ。
「……仕方がないな。私が代わりに聞いて、お前に教えてやろう」
丁寧に頼るように言うと機嫌が良くなった。頭上を見上げると妙に得意気な顔をしている。
「頼むぜ、相棒」
若干の不安要素はあるが、頼りがいのある相棒を持てて良かった。
タワーを通して最低限の話はわかるようになった。本当に最低限で、問題が多く残った。
タワーの伝言は完璧ではなく勝手に省略するし、気分によっては適当な時や伝えてくれないこともある。もしも、オレが逆の立場ならもっと酷い状況だったと簡単に想像がついてタワーを責めることは出来ない。
それに聞こえる速度が早くなっても、伝えるのは筆談のままだった。タワーに代弁してもらうにはタワーの大きさ的に難しい。そもそもタワーが破壊に関わること以外はあまり協力的ではない為、喋るに喋れない。
結局、人とのやり取りは面倒だから全て聞こえていないままで適当に笑って流すことにした。そうと決まれば楽だった。頭に雑に包帯を巻いていれば、用事がなければ声を掛けられることも減った。極稀にこちらの様子を気にせずに話かけてくる者を除いて、だ。
なかなか治らない症状を団長が苦に思わないよう振る舞うのにも慣れた。聴力が無くとも全空一の天才魔術師は後方支援も完璧に行えると証明すると、本当に聞こえていないのか疑われたくらいだ。日常生活にも不便はないから簡単なことだった。
あとほんの少し、何か小さな塊が引っかかって邪魔をしている。
「呼ばれているぞ」
廊下を歩いている最中にタワーがそう教えてくれたが、試したい破壊方法があるから無視して部屋に戻ることを優先した。
団長以外に呼びかけられても碌な話だったことがない。天気や食事の話だとか、包帯を巻いているのにそろそろ治ったのかというズレた発言だとか、既に知っている次回開催の古戦場の話だとか、他の賢者の日常に纏わる話だとか……つまりは今すぐに必要な話ではなく、ただこちらに話を聞いて欲しいだけだ。万全な状態なら耳を傾けてもいいが、今はそうではない。無視してしまうのが一番楽な対処方法だ。
今日の仮想空間は現実にある国ではなく、覇空戦争時代の戦場にした。元からタワーが再現出来ていた馴染み深い世界だ。戦場は暴れ回るのに適している。
「くはっ、いいぞタワー! もっとアフェクテュに、だ!」
ここ最近のオレたちは個々の作品を聞かせ合うのではなく、共にアルモニーを奏でることに夢中になっている。一人で完璧に近い面白い音を出し合うだけでは限界がある。タイミングを合わせて、時にはお互いを巻き込み合いながら破壊の音を楽しむ。
「お前が気に入っている人間だった」
小さく連続で破壊して音の具合を確かめている最中に、タワーが漏らした言葉に引っかかりを覚えた。
今、破壊した人間は名前も知らない人間だった。覇空戦争の時代の再現なのだから知り合いがいる訳がない。気にせずに近くの人間の首をゆっくりと捻って悲鳴を搾り取る。そういえばさっきほど放った相手は団長と髪の色が似ていたかもしれない。振り返って地面を見るが全く違った。肉片から察するに黒髪のドラフだ。いくらタワーでもこれを団長と見間違える訳がない。
「タワー、オレのお気に入りは団長だけさ」
首の骨が捻り切れる音がして悲鳴が聞こえなくなった。次の標的を見定めると、腰が抜けていたのに不格好に立ち上がり大声を上げて走り逃げていく。膝の骨を砕くと派手に転がった。タワーの言葉に気を取られているせいかあまりイイ音が出せていない。指を鳴らして一気に壊してしまうと、今日はもう終わりだと手を下ろした。
「他にもいるだろう」
団長以外のお気に入りと言われても思い浮かばない。ビィとルリアと、フライデーやアオイドスといったオレに好意的な相手の顔を思い浮かべていくが、どうやら違いそうだ。
タワーはまだわからないのかと口の端を上げてにやけている。こうしてタワーが揶揄するようなことを言ってくる人物が思い浮かんだ。今はこの艇にはいない人物だ。
「シエテが帰ってきていたのか!?」
「呼ばれていると言ったぞ」
そう言われたのは随分と前の話だ。悪戯にしてはタチが悪い。
「ノンノン、シエテはお気に入りとは違う」
気に入っているというよりももっと根深い感情だ。所有したい。シエテがオレのものになったらオレはもっと幸福になれる。それも無理やりではなく、こちらと同じように望んで欲しい。
こうしている場合ではない。聞こえないからと呼びかけを無視してしまった。シエテから声をかけてくれることは滅多にない。こちらの視線に気がついても軽く手を振ってくるくらいで、近寄って話しかけるのはいつだってオレからだ。どこか距離を置いているシエテが声をかけてくれただなんて。どんな音をしていたのだろうか。聞きたかった。周囲の音を全て録音していなかったことを悔やむ。
「あぁ、お前が熱を上げているが全く相手にされていない人間だな」
タワーの言うように全く相手にされていない訳ではない。時間をかけて確実に仲良くなっている。近寄っても警戒しないし、いつだって笑顔で話してくれる。シエテが恋慕の感情に対して酷く鈍感で伝わりにくいだけだ。
「もっと早くに言ってくれ。嫌われてしまったらどうするんだ」
「だから言ったと言っている」
無視してしまったのは故意ではない詫びという理由で接触しよう。団員同士でも理由もなく部屋を訪れてはいけないと注意されているが、理由があれば行ってもいいのだ。早く団員同士ではなく親しい関係になりたい。そうすれば理由なく部屋を訪ねても許される。
そう遠くはない輝かしい未来を想像しながら自室のドアノブに手をかけた瞬間、ドアがノックされる振動を感じ取った。タイミングが悪い。居留守を使うか少し迷ったが、タワーがシエテだと教えてくれた。流石に悪戯がやりすぎたと思ったのか素直に声をかけてくれて助かった。
互いに会おうとしていることに運命を感じながらドアを開けると、花束を持ったシエテが立っていて微笑まれた。鮮やかな色合いの花束がよく似合っている。喜びのあまりこちらの表情も緩んでしまう。
すぐにタワーに呼びかける。
「タワー、シエテにはわからないように一言一句漏らさず彼の言葉を教えてくれよ」
「……面倒だ。断る」
「おい、タワーっ!?」
こちらの動揺を察したのかシエテが首を傾げている。
花束なんて誰に捧げるんだと気になって見ていると手渡された。受け取ると部屋の中を指差される。部屋に飾ればいいのか、それとも中に入りたいのか、すぐに聞けないもどかしさを感じながら手首を掴んで部屋の中に引き寄せる。シエテは抵抗せずに部屋の中に入ってきてくれて椅子に座った。
オレの為の花束をひとまずベッドの上に置き、向かい合って座ると目が合う。こちらが見ているとわかるとシエテはゆっくり口を動した。唇の動きから察するに、大丈夫なのか聞かれているようだ。縦にぶんぶんと頷いて返す。なにがおかしいのか笑っている。早く治して今この瞬間の音を聞きたい。きっと幸福を感じるに違いない。
「メルシー、ジュテーム」
シエテが見舞いにきてくれて嬉しい。この喜びを伝えたくて声を出す。
相変わらず頭の中に反響して気持ちが悪いし、上手く発音出来ているのかわからないがどうしても伝えたくて紡ぐ。
「好きだ。愛してる」
テーブルの上に置かれた手を取り、金属製の防具に覆われた指先に唇を落とす。目を閉じて、何も覆われていない肌に唇を落としたいという願いを込める。
「シエテ」
真っ直ぐに瞳を見つめて名前を呼ぶとシエテは立ち上がり、こちらに背を向けた。
急に距離を詰めすぎてしまったのだろうか。それとも無理やり出した声は聞くに耐えない酷い音だったのかもしれない。待ってくれとも言えずに、そのまま部屋を出て行ってしまう後ろ姿を茫然と眺めていた。
シエテが部屋を出る瞬間、ちらりとこちらを見た。一瞬だけ見えた顔は頬が赤く染まって目が潤んで見えたが、もう閉まってしまったドアの向こう側を確かめる術はない。
指を鳴らして一番新しい、たった今生まれたクラポティをこめかみに当てる。追うとしてもシエテが何を言っていたのか確認してからだ。全空一の剣士が相手では、慎重に考え策を動かなければ捕まえられない。
口の動きを見せてくれた時に読み取った大丈夫? と心配する声は合っていた。音質が若干悪く聞こえるが耳が戻れば鮮明に聞こえるのだから楽しみに待つことにする。オレから感謝と愛の言葉を伝えた後、立ち上がる音がして、それから続く言葉に心臓が捻り潰される痛みが生じる。
「俺も好きだよ。まぁ、こんな状況でもなきゃ言えやしないけどね」
都合の良い幻聴かもしれない。もう一度再生する。骨を伝って聞こえる声は、変わらずに好きだと返してくれる。
「……オーララ」
心臓から全身に熱と共に魔力が漲っていく。耳を塞いでいた何かが消えた。今ならこの世界を壊し尽くせそうな万能感だ。頭の包帯を毟り取り、勢いよく部屋を飛び出してシエテの部屋に向かって廊下を走る。床板を叩く靴の音が大きく響く音を、耳で感じる。
愛の言葉は、骨を通してではなく録音でもなく直接鼓膜で聞きたい。