愛される良い子へ
愛される良い子へ
深夜の廊下を足音を立てずに歩く。艇の中は一日中暖房が稼働しているはずなのに空気は乾き冷えている。この空域の夜は特に冷えるからこれが限界のようだ。寝間着の上にブランケットを羽織ってきたが、もっと厚着をしてくればよかった。
今日は本当に冷える。一人では眠りたくないと、強く思ってしまうほどに。
急な訪問でも共寝をしてくれる恋人の部屋のドアを、互いに交換した合鍵を使って開く。起こさないように静かに部屋に入ると、人の気配がしないことに気がついた。団員それぞれに用意される個室はそう大きくはない。必要最低限の机と椅子、ベッドとクローゼットがあるくらいでひと目で部屋中を見渡せられる。暗い部屋の中、僅かな光に照らされた真っ平らなベッドを見つめながら恋人になにか予定があったかと思い出そうとするがいくら考えても心当たりはない。
部屋の主がいないのなら自分の部屋に戻って眠っても同じことだ。それでもいちいち戻るのが面倒だからと理由を付けてベッドの中に潜り込み、冷えきったシーツと毛布の中に丸まってじっと耐える。じんわりと熱を持ち眠気がやってくる頃には、窓にかかるカーテンの隙間から陽の光が差し込んできていた。
何も言わずに朝になるまで帰ってこない男に対して不満が膨れ上がる。次に顔を合わせた時になんて言ってやろうかと考えていることに気がつき鼻で笑った。自分だってここ数週間はこの艇から離れていたくせに。
誰かに個人的な願いや不満を打つけようとすることはこれまでになかったのに、人並みに欲が出てしまっている。相手が自身の欲求に忠実なタイプだからだろうか。あまりよろしくはない影響だ。
ぼんやりと考えながら、目を閉じる。クリスマス前に慌ただしく帰ってきたばかりで体は疲れているはずなのにすぐに眠りにつくことが出来ない。
艇の中で活動する人の気配を薄らと感じながら微睡んでいると不意に部屋の中の空気が動いた。
「シエテっ!」
「ぐぇっ」
突然現れたロベリアらしき大きな塊に、毛布の上から乗っかられておかしな声が出た。
大まかな現在時刻を確認したくて窓を見る。眩しくて思わず目を細めた。そうしている間に顔中にチュッチュとキスを落とされる。
「帰ったらベッドの上で待っていてくれるだなんて! なんて嬉しいサプライズなんだ! トレッビアンッ!」
勝手に部屋に入ってただ眠っていただけなのにいつになく喜ばれている。これがもしも逆の立場だとしたら、感じるのは驚きと困惑ではないか。
痛みを感じるほどに強く抱き締められた辺りで腕を伸ばして距離を取ろうとするが、手を握られて指を絡められる。テンションが上がったロベリアに対して手を繋ぐくらいは認めないと余計に面倒なことになるかと離れることは諦め、こちらからも指先に少しだけ力を入れてやった。
「それにしても朝帰りだなんて珍しいね」
珍しいなんてものではない。依頼で外に出た時は単独行動をして疑わしい動きをするロベリアも、普段は艇内でおとなしくしている。
しかも距離が近いせいで匂いがよくわかる。酒を飲んできた訳でもなく、いつもと違う石鹸の匂いがする訳でもない。急な依頼に行ったとすれば埃や血の匂いでもしそうなものなのに、本当にいつもと何ら変わった様子がない。何処に行っていたのか一切読めない。
「オレにもいろいろあるのさ」
誤魔化すように唇を重ねてこようとするので顔面を鷲掴みにして阻んだ。瞳が微かに左右に揺れる。
本当に珍しい。ロベリアは自分のことをなんでも知って欲しいのか些細な出来事でも、それこそ聞きたくないような過去や特殊な嗜好まで話してくる。こちらから聞いたことに対しても、今は明かさないだの説明が難しくて面倒だから他の人に聞いてくれだのと、基本的には正直に思考を開示してくれる。
「ふぅん、いろいろねぇ。例えば……浮気とか?」
感情を込めず低い声で問う。真っ直ぐに目と目が合い沈黙が続く。ピリピリと張り詰めた空気に先に耐えられなくなったのは、ロベリアの方だった。
「……くはっ、くははははっ! 浮気? このオレが? く、くはっ」
互いに浮気をするくらいなら先にこの関係を絶つだろう。一欠片も疑っていない。ただ少しばかり不在だったことを遠回しに責めたかっただけだ。
額に片手を当てて大声で笑うロベリアに釣られて笑ってしまう。
「あははっ、そんなに笑わなくても。ふふっ」
「だってキミの顔、くはっ! 口元がぶるぶると震えていたぜ」
「お前も眉がぴくぴく動いてたよ」
ひとしきり笑い合った後、二人でベッドに並んで座ると、ロベリアが大きく息を吐いてから口を開いた。
「オレの負けさ。誰にも言わないでくれよ。実はサンタさんのお手伝いをしてきたんだ」
「手伝い? お前が?」
「ウィ!」
ロベリアは得意気な顔をしているがどうも信用出来ない。手伝いといいながら忙しい時期に訪問して迷惑をかけた可能性も考えられる。だいたいサンタクロースの手伝いを一般人が出来るものなのか想像もつかない。
「具体的に何をしてきたのかな?」
さりげなく、普段どおりの声色で尋ねた。手伝いの内容によっては謝罪と、なにかしらのフォローをしないといけない状況かもしれない。平然とした表情を保って、内心ではどうか無事であってくれと願う。クリスマスは楽しい予定が盛り沢山なのだから不意のトラブルは避けたい。
「心地よい音楽を流したり、マッサージをしたり、お茶を淹れたりさ。サンタさんも喜んでたぜ」
返ってきた答えは極々普通のことで、その程度なら艇内の老人相手にもしていて喜ばれているのを見たことがある。意外にもまともに手伝ったようだ。
「ラッピングも手伝えるとも言ったんだが、プレゼントには触らせて貰えなかったな」
ロベリアが子供たちへのプレゼントに触れることを許さないあたり、サンタクロースもロベリアのことをよく理解している。悪気もなく平気で異物混入させたり、中身を抜いてしまいそうだ。この悪気がないというのが非常に厄介で、ロベリアなりの親切心からの行動がややこしい問題を起こしたりもする。団長相手にはそんなことはしないのに、何故か俺が関わるとやらかすのだ。この男は。
「シエテ」
名前を呼ばれて、返事する前にベッドに押し倒された。肩を抑えつけられながらじっくりと瞳を覗き込まれる。
「まさか、キミはこのオレがまともにサンタさんのお手伝いが出来ないとでも思っているのか?」
「え、いや、まぁ。ほらっ、サンタクロースの手伝いなんてかなり特殊なことだからさぁ……」
疑いの眼差しに耐えきれず目を逸らした。ロベリアのことを知っている人ほど、この男がまともに他人の手伝いを出来るとは思わないだろう。
「心外だな」
額に唇を落とされ、押さえつけられていた力が弱まる。そのまま隣に寝転がるロベリアを眺めているとまだ腑に落ちていないらしく、何か言いたそうに口をもごもごと動かしている。
「なんの目的もなくわざわざ手伝いに行かないよね?」
少しでも機嫌が直るように頭を撫でながら話しかけると、効果があったようで左側の口角が上がった。
「勿論、メリットはあるさ」
サンタクロース相手に手伝いをした場合のメリットとして真っ先に頭に浮かぶのは、クリスマスの夜にプレゼントを貰うことだ。しかし、子供でないとプレゼントは貰えない。それも世間一般的な感覚で良い子じゃないといけない。俺たちはそのどちらでもない。それに先程ロベリアが言っていた手伝いの内容はプレゼントが貰えるほどのことではない。
「くはっ、クリスマスが楽しみだな」
望みが叶わずにがっかりしないといい。へこたれるような人間ではないが、出来ることならいつでも楽しそうに笑っていて欲しい。
「今年は特に良い子にしてたんだ」
「そうだねー」
やはり、良い子のご褒美を期待しているのか。俺からのプレゼントは手配はしてあるが、もっと豪華なものにした方がよかっただろうか。ロベリアに見つからないようにシェロカルテの店に預けたままにしている。
「絶対にサンタさんが来てくれるさ。オレと約束してくれたんだ」
「うんうん」
ロベリアの元にはサンタクロースが来たことがないから、会おうとして何年も試行錯誤を続けて最終的に顔見知りになったと聞いた時、実に彼らしいと思った。それと同時に、自分と同じくサンタクロースにプレゼントを貰っていない人間もいるのだとほんの少しだけ安心した。大人になってからクリスマスにサンタクロースからプレゼントを貰ったことがないなんて不名誉な話はそう簡単に言って回るものではない。普通の人間ならばプレゼントは貰えるものだ。
幼い頃はサンタクロースの存在自体を知らなかったし、存在を知る頃には良い子だとは言えないような生活をしていた。自分なりに人助けをしてはいたが、上手い方法とは言えず常に他者から恐れられていた。変われたのはウーノと出会ったからだ。ウーノと出会えていなければ、今もクリスマスに浮かれる生活とは縁遠い孤独な生き方をしていただろう。それに団長たちに出会ってからは十天衆の皆ともより友好的な関係を築けている。一つ一つの出会いに感謝を感じながら、目の前の人物の幸福を密やかに願った。
クリスマス当日。星屑の街の子供たちへプレゼントを配り、ケーキや食事を受け取りに行く道中に不審な動きをしている者がいないか見回りをして、団長たちと十天衆のメンバーでクリスマスパーティーを開催した。後片付けを終えると部屋に戻る。もちろん、シェロカルテに注文しておいたプレゼントを受け取ることも忘れていない。
用意したのは刺繍の入ったハンカチだ。銀糸で巻貝とLの文字を刺してもらった。それなりの金額の高級品だが、クリスマスのプレゼントとしては少しばかり地味な気がしている。金糸にするか、もっと大きな面積のスカーフやストールにすれば良かった。そう思っても急には変更できない。悩んだ末にメッセージカードに『今年一年いい子にしてたロベリアくんへ♡』と書いて添えた。ハートの部分だけわざわざ赤く塗ってやったからきっと喜ぶだろう。それらをテーブルの上に置くと、特に意味もなく窓の外を見る。
今晩、ロベリアは帰ってこない。
急な依頼に嫌そうな顔をしながら、団長の代わりに行ってくると慌ただしく出ていった。戻ってくるとしても明日の昼過ぎだろう。キッチンではクリスマスも働かなくてはいけなくなってしまった団員たち用に、クリスマスの翌日もケーキとクリスマスのメニューが用意されると聞いている。帰ってきてから一日二人でゆっくり過ごそうと約束して送り出した。どさくさに紛れて団長とも二人きりで過ごすことを約束していたから抜け目のないやつだ。
ロベリアは出かける直前に、良い子は早く寝るようにと言ってきた。オレがいたらシエテは眠らずに熱い夜を過ごしたがったかもしれないし、これで良かったのかもしれないとまで言っていた。とにかく、絶対に夜更かしはせず寝るようにと何度も言われてしまったからには大人しく言う通りに眠るしかない。どうやったのかは知らないが、温めておいてくれた布団に入るとすぐに眠気がやってくる。
クリスマスの夜だからか、遠くに鈴の音が聞こえた気がした。
目覚めると枕元に大きな袋が置いてあった。きらきらと光沢があり派手な赤色の袋は、艶のある白いリボンで封されている。どこをどう見てもクリスマスのプレゼントといった見た目の袋をぼんやりと眺める。昨夜、寝る前にはなかった。
誰かが部屋に入ってきたら流石に気がつく。例えそれが星晶獣や六竜でも完全には気配を消せないはずだ。ロベリアだとしても、音は消せても匂いは消せない。特に依頼中に戻ってくるとすればそれなりに痕跡が残る。それに、ロベリアに用意したプレゼントはテーブルの上に置かれたままだ。プレゼントが置いてあったら真っ先に開けるだろう。プレゼントだけが降って湧いたようにそこに存在している。
どうにも腑に落ちないまま袋を開けてみると中からはメッセージカードと茶色のセーターが出てきた。メッセージカードを読んで思わず口元が緩んだ。
筆跡でロベリアだとすぐにわかるのに、『頑張っている良い子へ サンタクロースより』と書かれている。
「良い子って、俺のことを言ってたんだ」
プレゼントを届けることだけをサンタクロースに頼んだのだろう。艇にいる良い子たちに配るついでならロベリアの言っていた手伝い程度でも引き受けてくれそうだ。プレゼントを配るサンタクロースが相手では部屋に侵入された痕跡に気がつく訳もない。クリスマスの夜、眠っている間にプレゼントを配る特別な存在なのだから。
カードをテーブルの上に置くと、昼過ぎには帰ってくる俺のサンタクロースへ良い子のご褒美をたくさん用意する為に動き出す。足取りは軽やかで加速していき、廊下の窓から差し込む美しい朝の光に瞳が潤む。零れ落ちてしまいそうなほど溢れ出る温かな感情を、早く言葉にして伝えたい。
どれもこれも新品のセーターが暖かいせいだ。